何もない

 3年ばかり住んだマンションから引っ越した。旧居での用事が一つ残っているので、その待ち時間に部屋でこの文章を書いている。フローリングの床にあぐらをかいて、その上にiBookを置いている。先ほど買ってきたドトールのブレンドMサイズを飲みながら。
 外は既に暗い。部屋には見事に何もない。カーテンもない。正面を走るJRの明かりがよく見える。玄関と台所と洗面所の備え付けの照明が辛うじて光源。
 音が響く。ドアを閉めたときの金属音が部屋に反響した。靴ひもをほどこうと前屈みになったとき、シャツの胸ポケットから落ちたサングラスは思いの外鋭く自己主張した。今、こうして文章を書いていても、驚くくらいにカチャカチャとキータッチの音が耳をも叩く。大学入学から使っていたコンポは調子が悪かったので、この機に粗大ゴミに。だから、いつものFMも聞こえない。
 一人で住むには贅沢な程に広い家だった。2LDKで、50平米以上あった。駅に近いとは言い難いこと、線路が目の前を走っているということ、それに築二十数年というあたりで、なんとか予算に収まる家賃だった。
 家探しの際、二口のガスコンロの設置というのが大きな条件だったが、そうするとどうしても家族向けの物件が多くなる。ここもそうだった。自転車置き場にはアニメのキャラクターが描かれた小さな自転車や、三輪車なども置いてあった。夜の廊下で、親に叱られた幼児が泣いていたこともある。食事の匂いや、温かで包み込むような風呂の湯気の匂いが漂っていた。管理人夫妻もよい方で、いつも快く荷物を代わりに受けとっていただいた。朝、ゴミを出すときにパーマがすごいことになっている寝起きのおばさんもいた。毎朝、出勤する夫に手を振る初老の女性もいた。
 帰宅時に道路から窓を見上げると、僕の部屋には光は灯っていなかった。でも、一人で本を読んだり、コーヒーをいれたり、食事を作ったり、酒を飲んだりというのが好きなので、とても快適だった。家事全般は大抵において楽しく、それなりに上手にこなすことができると思う。自分の狭い世界を自分が好きなように彩ることに大きな興味と喜びを見出すからだ。
 こんな所へも、結構いろんな人が遊びに来てくれた。大体は酒を酌み交わしていたような気がする。今ではもう会うことのない人もいる。交友範囲が狭いので、ほとんどが大学関係か旅行関係のつながりだった。中には、少林寺拳法の試験を受けに来た巨体のアメリカ人が友達の紹介だと言って数日過ごしていったこともあれば、四川料理パーティーに色々な言葉の人たちがやって来たことも。
 今日の用事は夜にならないと片づかないので、空き時間に髪を切ってきた。ここにはほぼ月に一度通った。清潔で、和気藹々とした店だった。今まで色々な床屋で散髪してきて、ここが一番好きだった。マスターの手にかかると、僕のぱっとしない見た目も、少しよい方向に引っ張り上げられるようなうれしさが得られた。残念なことに、彼は手の腱を切り手術をしたということで、今日は店にいなかった。

 既に、発泡スチロールのカップに飲むべきコーヒーは残っていない。電車が西から東へ走り抜けて行った。こういう時間は無性に寂しい。けれど、とても大切で、将来ふとした拍子にこの時の記憶が心をかすめてゆくような気がする。


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