同じ名の島

 「もしあなたと同じ名前のついた小さな島がエーゲ海にあったとしたら、あなただって一度はそこに行ってみたいと思うでしょ?」と村上春樹は「遠い太鼓」の中で書いていた。彼の場合、ハルキ島はエーゲ海に浮かんでいた。だが、僕が訪れるべき島は新潟沖にある。名を「粟島」と言う。ハルキ島ほど麗しい一致ではないにせよ、なかなかに珍しい。しかし名前の微妙な一致よりも、「魚がすごいおいしんだよ」という友人の誘いに釣られた。
 梅田から高速バスで早朝の新潟へ。夜行バスなんて何年ぶりだろうか。新潟駅からは、通学の高校生で賑わう電車に乗る。スカートはとても短いけど、素朴という表現では物足りないような女子高生たち。対向車両と間合いをとりながら、列車は単線を進む。東京からムーンライト越後でやって来た友人と岩船港で待ち合わせて島へ渡った。
 「大謀網」……大いなるはかりごとの網。粟島沖合の定置網を地元ではこう呼んでいる。インパクトのある名前だ。この大謀網を、漁船に乗せてもらって見物できるという。
 翌朝、4時起床。「ここで一番大きな」という小さな漁船の甲板へ。穏やかな、そして暖かくはない海の上を滑るように走る。僕は風を通さない上着を羽織っていたからよかったが、友人は長袖の綿のシャツ。風の冷たさに震えていた。
 本州側の山の稜線は、柔らかなピンク色。途中、山の向こうから朝日が昇り、空の色がオレンジ色へと変わる。青暗い海も次第に溶けてゆく。
 網が巻き上げられると、ぼろぼろになった鰯がたくさん引っかかって、きらきら光る。「魚偏に弱いっていうのがよく分かる」とは友人の言。漁師はそんなものを相手にしないが、それはそれですらうまそうに見える。上空を舞うカモメが、時折獲物をくわえていく。
 漁の本命は鯛。二艘の舟の間で網が手繰られ、どんどんその面積を狭めてゆく。見えてきた中身は桜色一色。豪快に跳ねる鯛を次々とたもですくっている。どこまでいっても鯛。こんな多くの鯛は水族館でも見たことがない。
 甲板に転がった20cmほどのアジを漁師がくれた。洋上での作業は終了。
 獲物はトロ箱に詰められ、港に揚げられる。外道はひょいっとそのまま放り投げられる。小さなエイが、白い腹を見せながら透明な港の底にゆらゆら沈んでいった。選り分けていた漁師が小振りのほっけを二匹、今度は僕らに向けて放り投げた。「それ、やる」
 ぬるぬるぴちぴちしたままのそいつを手にして宿に持ち帰る。ついさっきまでは冷たい水の中にいたアジは刺身に、ほっけはいい色の煮付けになって朝食に登場。
 粟と栗は似ている。だから、「クリヅ」呼ばわりされることがままある。しかし、一軒の食堂だか民宿だかの看板に「栗島」とあったのは少しまずいんじゃないかと思う。自分と同じ名前の島に来て、同じ間違いに堂々と出くわすなんて思ってもみなかった。


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