羊を進呈
二年ほど以前の、ちょうどこのくらいの季節。文学部のある教室にて。
ふと集中の糸が途切れて窓の外を見やると、いつの間にか真っ暗になっている。夏休み前だと、講義が終わってもまだ明るかったのに。
七分程度の長さの袖の部分は半透明、それ以外は上も下も完全な黒をまとった教官の首には、細い金のネックレスが見えかくれする。とても秋にふさわしい服装だが、春からずっと同じ格好だ。この講義にはこの服装、と決めているのかもしれない。
中世イギリスの修道院の戒律を専門にする彼女は、よく笑う。学生が発表すると、それにコメントをしながら、そしてしばしば「うーん、いい訳ですねえ」とほめながら。そして、キリがいいと半時間を残していてでも授業を終了するというウマイ時間の使い方を知っている。
学部の講義で使う教材なんて、彼女にとっては何度も読んだテキストなのだろうが、それでも毎回入念に下調べをしている。単に語の意味にとどまらず、どこから集めてくるのか現代語とのつながり、当時の風習などなど、退屈することなく講義は進む。一度なんかは、占星術の説明のために、プリントを配った上にホワイトボードにずらっと星座の名を書いて、当時の医学と占星術との関連について詳細に説明をした。身体の各部位にはそれぞれの星座の影響があるのだと言う。頭は牡羊、胸は獅子、性器のあたりは蠍、といった具合に。
ここ何回か、僕たちはカンタベリー物語のプロローグを読んでいる。登場人物が順に紹介され、そして多くは辛辣に描かれる。それはその人の容貌に関してであったり、あるいはその性格についてだった。
粉屋は、レスリングの大会ではいつだって優勝し、そして賞品として羊を与えられる。さらに、彼が頭からドアに突っ込むと、ことごとく蝶番が吹っ飛ぶほどだった。ひとわたりその力強いことをほめてから、例によってその高みから引きずり下ろされる。記述は彼についての見た目に及ぶ。彼は「(好色な)雌豚のような」髭を蓄えていた。
この部分を担当した学生は、粉屋の鼻の頭の<右側に>イボがある、と訳した。rightという単語の真っ当な解釈だ。しかしそこで先生は疑問をはさんだ。
「どうでしょう、これは<まさに>鼻の頭に、という感じがしませんか。私はどうもそう思うんですが」「現代語訳の方ではどうなってるでしょうね」
机の上で(彼女は教卓ではなく、学生用の机に反対側から座って講義を展開していた)ぱらぱらとめくる。
僕の目はon the right sideという語を捉えた。一呼吸遅れてから彼女もそれに気付いたようだ。
自分の間違いを訂正し、発表した学生をほめた。そのときの笑いは、いつものそれと何ら違う点が感じられないので、そこに照れや戸惑いがあったかどうかは計りかねる。ひょっとしたら、正しい解釈を知り得た喜びからの笑みだったのかもしれない。
「だったら、・・さんに羊を一頭進呈しなくてはいけませんね」と言って、そしてまた彼女は笑った。
僕もその冗談に微笑んだ。声にはならなかったけれど、かなり好意的に。
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