見果てぬマナオス

 友人が一人バンコクに遊びに来ている。酒と文学と恋と妄想への情熱という共通項が、ここ7年来の両者間の友情を強固に成り立たせている。
 セントラルワールドプラザ前の屋台で、雷魚の塩焼きや牛タン網焼きなどのタイ東北地方の料理と、氷入りのシンハビールを堪能した後、はずみで日本居酒屋へ流れようということになった。
 BTSで移動している最中、車内アナウンスを聞いた彼が、「へえ、アソークって駅があるんだ。確か横浜か川崎にもアソークがあったはず……」と、感心したように言い出した。僕はきょとんとする。「ほら、アサがウまれるって書くアソウってのがさ、あったと思うよ」と。なるほど、麻生区というのがあるのですか。
 彼の誤解に妙に感心してしまった。慣れない情報に出くわすと、頭の中にある既知の情報に合わせようとする回路が働く。駄洒落めいたようにも思える彼の認識も、当然と言えば当然。タイ語にある程度慣れた僕には、その新奇さがおもしろかった。
 麻生区、いやアソークの次、プロンポンで下車。「いらっしゃいませー」「お二人様でーす」という威勢のよい声に迎えられて、靴を脱いで座敷に上がる。
 と、彼が質問を発した。「メニューのここにある、マナオスライスってどんなの?」
 「タイ語でライムのことをマナオって言うねん。せやけど、飲み物は生ビールやろ? そっちはもう頼んだから、つまむもん見ようや」
 ビール、焼酎、なんとかサワーなぞがあって、最後の方に梅干しとマナオのスライス。それはほら、ボトルを入れた人が頼むもので、生ビールにはちょっと必要ない。
 それでもまだ腑の落ちない様子の彼である。「マナオスライス、マナオスライス……」とつぶやく声が、少しだけ奇妙に僕の耳に届く。何かが違う。
 「マナオ・スライス」ではなく「マナオス・ライス」と。僕の頭がその音の区切りを変えた瞬間、ああ、なるほど。
 そこからである、我々の会話が現実を飛躍し始めたのは。マナオスという街があり、その名物料理がマナオスライス。この思い付きが頭に浮かんで離れない。我々はそれについて妄想を馳せる。実生活では全く役に立たない脳味噌の部分が、音を立てて稼働する。
 その語感からして、南米のどこかにあるに違いない。内陸部で、標高もそれなりに高いのではないだろうか。冬にはアンデスからの乾いた風が吹き下ろすが、夏には照りつける太陽に暖められた空気は、煉瓦造りの街並みの中をゆらりとも動かない。どちらかと言うと、過ごしにくい気候である。
 何の合理的な理由もないのだ。僕ら二人は、こういう馬鹿馬鹿しいだけの話しが好きなのだ。ジョッキに注がれた冷たいシンハビールが、脳内の特殊な活動を促す。
 かつて日本人が移り住んだという歴史もある。だが、そう、それは山がちな土地で、決して地味がよいとは言えなかった。初期の入植者は随分と辛酸を舐めた。彼らが遠い故郷を思い、現地にある材料で日本食を真似て作ったのがマナオスライスだったわけだ。
 それが、流れ流れてバンコクの日本居酒屋のメニューとしてここに並んでいるのだ。
 僕たちはずいぶんと、その想像上のマナオスという街の様子、その料理がどのようなものなのか、さらにはインディオと日本人との交流、日系2世のセルバンテス山田さんの物語などについて語り合った。瞼を綴じると、熱い血を湛えたシニョーラさえ浮かぶようだった。
 翌日、ふと気になって調べてみた。マナオス……ちゃんとブラジルに存在するではないか。しかも日本人学校まである。
 友よ、我々はあまりにも無知だ。我々の妄想力は、広大な世界の現実を越えることができないのか。

補足:話しの途中で「マナウスって地名は実際にあるよな」ということには二人とも気付いていた。だが、カタカナ表記にしたときに、マナオスとする場合があるところまでは知らなかった。てっきり僕たちの脳内だけの地名として話しに興じた。ただし、Google先生も「マナオス ライス」に関しては知識の持ち合わせがなかった。妄想力のささやかな勝利であろう。 さらに補足:川崎在住の友人から連絡。「麻生区」は「あさおく」との読みだそうです。友よ、世界は広い。しかるに我々は……。


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