再訪

 2005年の年明けは、アンコールワットだった。初めてバックパックを背負ってインドシナ半島とマレー半島を旅行した、1996年夏以来の再訪である。
 拠点となるシェムリアップは、当時の「村」という感じから、明らかに「町」へと変貌していた。大抵の道路は気持ちよく舗装され、スパや劇場やギャラリーなどの小洒落た建築が目を引き、バーのカウンターではサーバーからよく冷えた生ビールが注がれ、停電もなく夜の闇は森の向こうに押しやられ、ラッフルズやメリディアンなどの高級ホテルが、スプリンクラーが水を捲く広大な芝生の向こうに輝く。そもそも驚いたのは、ウェブで見つけた代理店で、ゲストハウスですら、予約とクレジットカードによる決済が可能だったことだった。
 また、入域パスには顔写真が必要で、個々の遺跡では係員によってはちらりとも見ない人もいたが、町から遺跡方面に通じる入り口では、必ず毎回必ずチェックされる。しっかりと料金を徴集するシステムが確立されているのは、僕はよいことだと思う。
 人の集まる場所で何より大事な二点は、廃棄と排泄の手当てだと考えるが、そこにもきちっと気を配ってあった。ゴミ箱はそこかしこに置かれ、十分に手入れの行き届いたトイレも、少なくとも僕には、必要十分な密度で設置されていた。中心の遺跡群に関して言えば、みやげ物売りの人たちにも何がしかのルールが適用されているようで、彼らの活動できるエリアが制限されており、民芸品を手にした小さな子どもが、「わんだらー、わんだらー(1ドル)」と、どこまでも小走りで着いてくることもなかった。
 ずいぶんと変わったものだ、というのが何よりの大きな印象だった。
 でも、そんなのって当たり前のことだ。漫然と時を流れている僕ですら、この7年半の間に実に多くのことが変わっているのだ。町、あるいはこの国にいたっては、より明確な方向を目指して、僕なんかよりももっと意識的に変容しようとしているのだから。
 ただしかし、遺跡そのものについて概論すれば、修復が進みつつあるということを除けば、ほとんど何も変わっていない。僕がたどってきた7年半の時間など、その千年の歴史の前には誤差ですらない。見慣れたというほどではないが、まったく未知というわけでもない気楽さの中、トゥクトゥクを雇ってあちこち巡り「ああ、あの時はこうだったな」と、折に触れて思い出すこともあった。
 そして、日射の激しい昼下がりには、日陰に吊るされたハンモックに揺られて昼寝を決め込み、水分補給の名目のもと、アンコールビールをしょっちゅう喉に流しこむ。日中は暑くて観光どころではないという事実、そしてここにはアンコールの名を冠されたビールがあるという事実を、今回の僕は予め知っていた。
 そう、僕はここを知っている。

 旅の中で、再び訪れる地が増えていることに、かすかな後ろめたさを得る。
 今回のわずか1週間前まで予定していたシミラン諸島のダイビングクルーズも、スマトラ島沖の大地震がなければ、2度めになるはずだった。何だかんだでこれまでに3度足を運んだ香港やバリ島にせよ、タイ国内に目を向ければアユタヤやチェンマイやホアヒンにせよ、既知の土地をなぞることが少なくない。
 もちろん、そこには新鮮な発見もあれば、心の高鳴りもある。だけど、夜を徹した列車で初めての駅に降り立つような、期待と時としてそれ以上の警戒心をさえ抱かせるあの感覚は、希薄だ。アンコールワットの素晴らしさも、初めの衝撃は他の何にも例えることはできない。0が1になるのと、1が2に増えるのとでは、その間に存在する意味の差は決定的である。
 世界の広大さを一時的に忘れてしまったかのような僕は、少しばかり退屈を覚え、そしてそんな自身に焦れている。


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