北京同仁堂(泰国)

 診察室に三人いる。僕とその両側、デスクを挟むように二人。左側の女性は通訳。右側には、お年を召した男性の医師。見受けられる年齢の割には、驚くほど肌がつやつやしている。僕は通訳に症状をタイ語で話し、通訳はそれを中国語で医者に伝える。医者はまず僕の左手、続いて右手の脈を取り、そして最後に舌を出すように言った。すると、手許の「處方」というカーボン紙の挟まれた紙に、なにやら流暢な漢字で書き込んでゆく。
 通訳が最後に僕に訊く。「自宅でされますか、それともここで煎じてお渡ししましょうか?」 僕は答える。「ここでお願いします」「では、12時半に引き取りに来て下さい」
 中華街にある漢方薬の店「北京同仁堂」における、日曜の午前10時過ぎである。友達が通っていて、なかなか調子がいいんだと言うので、興味半分で連れて行ってもらった。アトピーが治れば、あるいは少しでも楽になればよいんだが、という意図である。現在のところ、日常生活に支障が出るレベルではないが、夜中にかゆみで目覚めたり、乾燥すると肌がちりちりと苦しいなんてのは、無ければ無いに越したことはない。
 僕は階下で、処方箋を薬剤師に渡す。まず一人がコンピュータに薬剤の名と重量を処方箋に従って打ち込む。自動的に値段も計算されていく(882バーツだった)。そしてプリントアウトされたそのリストに従って、二人がかりで必要な物を取り出し始めた。
 どういう物が出てくるのだろう、と僕は興味津々だった。何せ、先生の手書きのそれはあまりに達筆で、よく判別できないのだ。そもそも、漢方には全く何の知識の持ち合わせがない。だから、どちらかと言うと、真剣に自分の身体を治したいという切なる希望よりも、「何が起こるんやろう」という異文化体験への期待の方が、よっぽど大きく僕の胸を占めていた。
 30センチ四方ほどの白い紙が2枚、ガラスのカウンターの上に広げられる。そこに、古式ゆかしい上皿天秤を用い、分銅と釣り合った皿からまず一山盛られたものは、体調3、4センチのサソリたちであった。
 サソリ? 僕は思わず声を上げる。カウンターの向こうで「ふふ」という笑い声が漏れた。だが、彼らは手を休めることなく、診断に基づく適切な「何か」を、背後に整然と並ぶ棚から取り出し、天秤で計量してゆく。続いて二皿分盛られた物は、蝉の抜け殻だった。
 蝉の抜け殻?
 処方箋によると、全部で16種類。幸いにして、このスターターの二つを除くと、後は植物性と思しきものばかり。最後に、もう一人別の人が登場し、先生の処方箋と紙に乗った物を再確認。それらを不織布でできた大ぶりの袋にざっと流し込み完了。「煮るところ見せてもらえませんか?」と尋ねてみたものの、それはちょっとと断られてしまった。
 引き取りまでの間、連れてきてくれた友達とヤワラート通り(中華街の中心通り)の店で飲茶をつつき、市場や寺をそぞろ歩く。

 チョコレート色をした液体が一回分ずつきちっとパックされ、6日分渡された。朝夕の食後に一袋分ずつ、温めて飲むべし。見たところ、マグカップ1杯分ほどの分量がありそうだ。友人が、まるで託宣するように、重々しく教えてくれる。「これ、ごっつう、不味いからな」
 肝腎の味と効能であるが……夕食も食べ終えた同日午後10時半過ぎの時点で、目の前の袋をまだ開けてもいないことを白状しておく。飲んでしまうと「バンコクで、これまたおもろいことした」と、喜び浮かれている感情に、かなりの影響が出るのではないかと恐れるからだ。今日のところは、生まれて初めて中医にかかって漢方薬を処方してもらった、というところで、キーボードを叩き終えたい。
 何せ、サソリに蝉の抜け殻なのだ……。

僕は今日までまったく知らなかったのだが、この北京同仁堂は世界的にもずいぶんと有名らしい。創立は1669年で、歴代皇帝に薬を納めてきたとも店のパンフレットにある。ホームページはこちら


戻る 目次 進む

トップページ