広い家

 外に出るよりもうちにいる方が性に合っているし、多かれ少なかれ、その居場所は「広い方がいい」と思っていて、実際にもだいたいは、そうしてきた。
 もちろんながら、庭にプールがあるような豪邸とか、地上50階のホテルのスイートルームで生活を送りたいというレベルの話ではない。楽しく食事を作って気持ちよく食べられる場所と、安らかに眠るための場所に加えて、パソコンを使ったり本を読んだり酒を飲んだりあるいはこれらを同時に行ったりするような、プラスアルファのための空間が確保されればよい。それは、独立した部屋でなくとも、ちょっと余裕のある部屋の一角であってさえもよい。
 こう考えてみると、本当はさほど広くなくてもよいのかもしれないとも思う。
 大学時代に住んでいた北白川の下宿は、古いアパートだったけれど、六畳一間の貸間やあるいはワンルームマンションよりは、幸いにして条件のよい物件だった。八畳間には大きな押し入れがあったので、なんでもかんでも放り込めたおかげで、この部屋を有効に使えた。
 西宮北口に住んでいたときは2LDKだった。社会人を始めたばかりの一人暮らしにしては、少し贅沢な広さだった。ただ、築年数は、自分の年齢に近いほど相当のもだったけれど。特にリビングが広くて明るかった。
 日は昇り日は沈む。いつの間にか、一人暮らしでなくなった。さらにはその場所も、タイのバンコクを経て、東・東南アジアとは大きく文化圏の異なる、インドはニューデリーへと移ろった。
 この町には、いわゆるマンションというものが皆無で、3、4階建ての家があってその各階にそれぞれ一世帯が暮らすタイプが住処となる。
 どの地域にするかの次は、どの階を選ぶかというのが重要な選択肢だった。地上階は洪水と治安の問題があり、逆に最上階は暑季には太陽からの熱を一手に引き受けてしまうことから避けた方がよいとのアドバイスがあった。
 イギリスの影響が濃い土地だから、建物の一階はおしなべて「グラウンド・フロアで」、その上から1階、2階と呼ばれる。僕らが暮らす建物はさらに複雑で、実際の地上階部分は駐車場。その上から部屋がはじまって、そこが「グラウンド・フロア」。さらにその上の「1階」が我が家である。しかしまず駐車場があり、地上階があり、その上の階なので、日本の感覚で言えば、3階に相当する。
 そしてこの家も、広い。日本の数え方でいくと3LDKプラスアルファで、200平米ほどある。日本では自分の部屋の広さというのは正確な数値として覚えていたが、このようなインドの状況ではざっくりした数字しか認識していないし、正確に調べようとも今さら思わない。とにかく、広いのだ。
 一番大きな部屋は、居間と客間とダイニングが一つにまとまったような部分で、ここには5人がけのソファセットと42インチの液晶テレビがベランダに近い側に、そしてもう半分には6人がけの食卓を置いている。
 寝室として使える部屋が三つあって、それぞれにトイレと浴室が備わっている。それと、台所。さらにレイアウトのせいなのか、生活習慣の違いなのか、全体の中心部に、使い道の見つけにくいスペースがぽこっとあって、その隅にはゲスト用のトイレがもう一つ。そんなわけで、二人暮らしなのにトイレが4つもある環境でもある。ベランダは大小合わせて3か所ある。
 ここまでくると、いやいや、物には限度があるだろう、と言いたくなる。下宿人を置いたっていいくらいだ。二人で暮らす日常の活動においては、相当もてあまし気味でいる。
 特にそれが顕著なのは、日々の食事。できた皿を持って、台所のドアを開け、真ん中の空間を抜け、玄関の前を通って、リビングのガラスの扉を開き、食卓にたどり着く。「あ、お醤油忘れた」と思ったら、この往復を歩かなきゃいけない。次第に面倒くささが勝ってきて、結局、作るはしからそのまま台所で食べるようになった。風情としては、立ち飲み屋である。その内に、妻が、引っ越していく友人のガレージセールで小さな椅子を二つ買ってきた。これでもう、いよいよ正式に、台所は料理を作るところでもあり、食事をとる場所ともなった。
 しかしながら、未だ定まらないのが、自分が酒を飲む場所。食事のときのビールは必然的に台所だが、ゆっくりと自分の時間に浸りながらウィスキーを飲むのにしっくりくるポイントが見つけ出せないでいる。DVDを見ながらだと居間のソファの上だったり、MacBook Airをぱたぱた叩きながらだと自室(と言っても客用の寝室兼用)のデスクになるし、寝っ転がって本を読みながら寝室のベッドの上ということもある。だが、どこも一長一短でピンと来ないのだ。
 居間にいると、前述のように台所が遠いので、つまみやソーダのお代わりや、替えのグラスにたどり着くまでが手間だ。台所では、非日常への切り替えが完全にならない。だいたい妻が先に寝てしまうので、その隣でずっと明かりを点けながら読書をしているのも気が引ける。それに何より「自分一人」という感じにならないので、寝室も今ひとつである。
 デッドスペースになっている家の中心の空間に、少し背の高い、一人用のテーブルと椅子を置いて、バーの一角のように設えてみようというのは、当初からのアイディアとしてあるにはあるのだが、如何せん、越してきてからそのままの段ボール箱がまだ10個ほど積みあげられたままになっている。
 広いがゆえの迷いが解けずにいるまま、暮らし始めて既に9ヶ月が経ってしまった。


戻る 目次 進む

トップページ