ビザ更新
15メートル四方くらいだろうか、正方形に近い空間である。真四角の部屋というのが、珍しい気がする。内の3辺に沿って、カウンターが並び、それぞれの業務を担う係官が座っている。代金収納、書類確認、署名などなど。ずっと順につながっていて、並びに従って処理を進めてゆけばよいのかと思うが、でも一連の流れは、どう見てもシステマティックにはできあがっていない。あっちに行って、こっちに行って、しばらく待ってまたこちら。
もう一つの辺は、ガラス張りで別の部屋になっていて「アフガン・セクション」とある。
ビザと外国人登録の手続きのための役所である。
昨年に引き続き、2度目の年次更新に来た。
様々な肌の色の、また種々の宗教・文化背景に基づいた服装をした100人近くの老若男女が、この部屋の中に並んだベンチに座ってにいる。座りきれない人は所在なげに隅の方や柱のそばに立っている。時折「ここに立ってちゃいけない」と係官に移動を要請されたりしている。でも、その立っちゃいけないところと、立っていていい所がどのように決まっているのか、今一つ明確でない。
僕と妻もその中に座る。隣の人はオランダの人で、前の列の体格のいい4、5人のグループはコンゴ人。パスポートを携えているから、国籍が明らか。落ち着いた赤色の表紙の僕のには、十六一重表菊が、もう少し暗めの赤い色味の妻のには彼女の国の国章である、羽を広げた神鳥、ガルーダが意匠されている。
5月半ばのデリー、外気温は40度を超えているが、部屋の中はエアコンが効いている。それでも、腋臭なのか、汗なのか、人いきれもあろうか、あるいは誰かの弁当からエキゾチックなスパイスの香りが漂ってくるからなのか、総体として、あまり快適とは言えない匂いが立ち込めている。妻は「頭痛がする」と。
不快な環境。よく分からない進行。幸いにして僕らには、案内する人がついてくれているのだが、その人の能力と想像力の限界から、手際の悪さもまた、僕らの苛立ちの原因ともなる。
去年の経験から、完了までに軽く数時間はかかることは分かっているので、ひたすらに順番が来るまで読書に励む。文庫本の、須賀敦子全集の第二巻。ほとんどの文章が、再読になる。多いものだと、今回で3度めになる作品もある。だけど、そのことは、ページをめくるさまたげになるものではない。
彼女の文章では、真夏の描写ですら、それは実家のあった岡本や南イタリアやらの場所にかかわらず、少しの涼しさが溶け込み、まぶしいはずの光も、ごく薄いフィルターで一段階減光された風景として描かれる。文章からは、精密な機械で丁寧に加工された硬質な物体が、隙間なく見事に噛み合わされていく様子がイメージされる。
そして僕も、静かに緻密に本の世界に浸っていく。ふと、今の周囲の状況と、入り込んでいる本の世界とが、対極にあることに気がつく。須賀敦子とデリーの外国人登録事務所。静寂と喧騒、整然と混沌、硬と軟、緻密と混乱、透明と濁り。善し悪しというのではなく、単純な事実として、あまりに位相が異なり、次元すら合致しないような気さえする。
どちらも極端は肌に合わないが、それでも前者寄りの価値観の方を僕は好む。インドは、少なくとも2年間暮らしているデリーは、後者の果てにぐっと近い。
「この国が好きか」という問いには、残念ながら肯定の返事は返せない。人生において、できるだけ関わらずに生きていければ幸せだと、さえ思う。少なくとも長い間住むには、全く向かない。心がささくれ立つことが、多すぎる。それに、心震える感動体験が、極端に少ない。
僕にとっては二つめの、妻にとっては初めての外国暮らし。願わくば来年の今頃は、この事務所でビザの延長手続きをしていないと良いのだが、と、相当真剣に思う。
ここ以外であれば、結構どんな国でもやっていける気がする。そう思えるようになったことは、辛うじてこの国で暮らすメリットかもしれない。
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