欧州のまんなか辺りに暮らす

 フランクフルトの9月。夏のさなかには夜の10時を過ぎても十分に明るかったが、日の入りは早く、日の出は遅い。一部の街路樹は既に葉を落とし始め、時として半袖一枚では物足りない。
 フランクフルト、である。何の因果かというほどでもないけれど、たまたま大阪の阿倍野から家族で引っ越してきて、2年と少々。
 いい土地である。空は青く、空気は清浄で、そこら中にある公園はどれもだだっ広く緑にあふれている。常に気を張ってないといけないようなピリピリする治安の懸念も無く、肩の力を十分に抜いていられる。ドイツ語の格と性と活用の三次元的なマトリックスに早々に退散したが、英語さえあれば特に困らないのもよい。物価は、そりゃあ、高い。ネットの速度は遅いし、航空会社や空港や市内の電車やらは、よくストライキで抗議を示す。家の排水溝がどこかで破損して、壁がぐずぐずになってその修理に1年近くかかったりするけれど、台所でガス爆発が起きて死ぬかと思ったデリーの生活ほど、即時的生命的影響があるものでもない。
 そう、デリーを経験してきた我々夫婦からしたら、「ああ、なんて暮らしやすいのだろう」という発想がまず根底にある。その上で、デリーのディフェンスコロニーに暮らしていた時とは異なり、もう一名のメンバーがいるけれど、その小4の娘は幸いにして、学校にも友達にも恵まれていて、毎日がハッピー。
 一見すると無愛想なことも多いが、子どもにはずいぶんと甘く優しい人が多いのも生活者として実感する。スーパーで買い物に歩いているだけで、娘に向けて肉屋さんがハムを切って食べさせてくれたり、バナナを一つ手に渡してくれたり、お店に入るだけでハリボーの小袋をもらったりしている。彼女にとって、パラダイス。
 車社会がゆえに、僕はそれこそ何の因果か、アウディの5番でしかもスポーツタイプという、それなりの車を使って、通勤やら買い物やら旅行やらをする日々。これが、結構な地獄である。
 30年ばかり前、大学の近くの宝ヶ池教習所で仮免に2回落ちてなんとか取った免許は、これ以上はないくらいにピカピカの「ペーパー」のままで、それがいきなりアウトバーンでスピードは出し放題で、左ハンドルの生活。高速道路の路側には街灯もなく(その代わりというわけでもないが、料金所もない)、かなり派手な事故を結構な頻度で目にする環境。最初の1年は、運転中のストレスでずっと唇を噛んでいた。
 いや、良い話もしよう。
 ある意味ではバンコクとの近似性もある。ヨーロッパのハブ空港であるフランクフルトを中心として、旅行がし易い。しかも、自宅から空港までタクシーで15分というお手軽さ。シェンゲン域内なら、ドイツ以外の国であってもパスポートすら不要(身分証としてもちろん毎回持って行くが、イミグレーション自体がないので使わない)
 バンコクの場合は、1、2時間のフライトで近隣の各国各地へ飛べたが、ここではさらに車や電車も選択肢になる。土日だけでも、ミュンヘン、シュトゥットガルト、デュッセルドルフやハンブルク、旧東独のライプチヒ。国境を越えてアントワープにブリュッセル、ルクセンブルク、ハーグにアムステルダムにストラスブール。長期の休みだと、バルセロナやその先の地中海に面したリゾートのシッチェス、エストニアのタリンや、新婚旅行以来の再訪となったフィンランドのムーミンランド。今年の夏は、ベネチアまで飛んで、アドリア海をぐるっと一週間クルーズ船でということも。プラハの古い街並みを走るマラソン大会も素敵だった。
 なんていうことを考えていたら、あれよあれよで日本にまた戻って来た。この雑文を書き始めたときはフランクフルトだったけれど、後段は大阪である。
 フランクフルトの思い出は、過ごしやすかったことと、そこを離れて旅行することが手軽だったことは素晴らしい。とは言え、今後、何かで懐かしくなって、家族旅行の行き先にフランクフルトを選ぶことは、ちょっと考えづらい。街としてそこまでの魅力があるものではなかった。だったらロンドンとかパリに行くだろう。
 しかしながら、ずいぶんな円安だし、航空券もずいぶん高額になってしまったので、とりあえずは貯まったマイルで国内と、あとは台湾、釜山、バンコク辺りをまずは候補に。
 またちょっと新しい生活。それはそれで、楽しみ。


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