天使は何処に
僕より年齢が15ほど上の、ある旅の先達の話し。まだ海外一人旅というのがあまり一般的でなかった時代、彼の奥さんが近所の人との会話で「今、タイへ行ってるんですよ」と何気なく言うと、「男の人はねえ……」と妙な方向へ受けとられてしまい困ったそうだ。幸いなことに、時代は移ろい、タイは旅行先や仕事での駐在先としてもメジャーな国の一つとなっている。
特にアジアを旅行する人間にとって、バンコクはなじみ深い。アジアのハブ空港であるドンムアン空港を利用するのはもとより、マレーシアやラオスやカンボジアへ陸路で行き来するにしても、バンコクを中心にすると便利である。
そして何より、「バックパッカー天国」とも言うべき、カオサン通りを中心とした地区が彼らを引きつけずにはおれない。そこには安宿(一泊200円くらいから泊まれる)、旅行代理店、レストラン、バー、ネットカフェ、みやげもの屋、コンビニ等々の店が軒を連ね、さらに歩道には焼き鳥や春巻、果物の切り売り、Tシャツ、アクセサリー、偽の国際学生証やジャーナリストの身分証、コピーのカセットテープなどを売る屋台がひしめいている。看板などで目にするのはタイ語ではなく英語や日本語である。車道には客待ちのタクシーや、トゥクトゥク(小型の3輪タクシー)がエンジンを空ぶかししながら通りがかる人ごとに声をかけている。
タイにありながらこの特殊な雰囲気を醸し出すカオサンは、貧乏旅行者にとってなじみが深い場所である。だから、「今度からバンコクに住む」と言ったとき、旅仲間からは好意的な反応が返ってきた。それに続けて「今度行ったら、アパートに泊めてよ」というリクエストと共に。
でも、それ以外の多くの人にとっては、タイへの留学というのは、少しだけ違和感を抱かせることのようだ。「それはまた、どうして?」という問いかけを飽きるほど浴びてきた。僕にはその明確な答えを示すことはできず、「それを知るためにも行ってみようかと……」とお茶を濁すのが正直なところ精一杯だった。
高校時代に読んだ沢木耕太郎の「深夜特急」に衝撃を受けて、学生の頃からバックパックを背負って旅をしてきた。その中でバンコクという街に最大の興味を抱いたのだ。それは時として、日本以上に。
確かに、タイの料理はとても美味しい。南に下れば美しい海でのダイビングを、北に広がる山岳ではトレッキングを楽しむことができる。アユタヤに代表される遺跡も有名だ。交通網も発達していて便利。治安も悪いわけではない。宗教的タブーもそんなに気にならない。日本と比べて物価は遙かに安い。だけど、そういう個別の事象を集めたところで、解答を導くのにはさほど役に立たない。
バンコクのことを、タイ語では「クルンテープ」と言う。これは「天使の都」という意味を持つ。カオサン通りの気怠い空気から離れられなくなった旅行者も、あるいは夜の闇に浮かび上がるパッポン通りやタニヤ通りといった歓楽街に溺れる人々も、それぞれの天使を見つけているのだろう。
僕の場合は敢えて言葉にするならば、空気感と言えるのかもしれない。手のひらをぎゅっと握れば水滴がしたたりそうなほどの蒸し暑い空気の中に、線香や排ガスやジャスミンの花やナンプラーやドブ川のような運河の匂いが渾然と溶け、呼吸をするだけで身震いするほどの興奮が全身をめぐるのだ。
だからこそ、その空気に包まれて暮らしてみたいと思った。そして人々が話す言葉を身につけ、ここのことをもっと知りたいと切実に願うようになった。留学と言えば聞こえはよいが、旅の途上で気に入った場所に少し長めに滞在するようなものだと思っている。その後のことは、全くの白紙。旅は途上にあるからこそおもしろい。これからの1年間、天使の都でせめてその翼くらいは掴まえてみたい。
ちなみにバンコクは、正式には「クルンテープ・マハーナコーン・アモーンラッタナコーシン・マヒンタラアユッタヤー・マハーディロッカポップ・ノッパラッターナラーチャタニーブリーロム・ウドンラーチャニウェットマハーサターン・アモーンラピーンアワターンサティット・サッカタットティヤウィサヌカムプラシット」と言う。意味するところは「神々の町、偉大な都市、エメラルド仏陀の居所、インドラ神の難攻不落の都市、九つの貴重な宝石を付与された壮大な世界の首都、神の化身が統治する天国のような住居にも似た巨大な王宮が多数ある幸福な都市、インドラが与え、ヴィシュヌーが建てた都市」である。
タイ語で一般的には「クルンテープ」のみを用い、フォーマルな場合では「クルンテープ・マハーナコーン」と呼称することが多い。
日本語訳部分、「タイ文化ハンドブックー道標 微笑みの国へー(松下正弘編/勁草書房)」より引用
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