後書き

 小学生の頃、8月31日というのは悪夢だった。電卓を叩き、泣きながら計算ドリルを片づけていた覚えがある。でもその子どもながらのつらい記憶も、一年ともたない。毎年その繰り返しだった。
 4週に一度AICに記事を書くというのも、基本的には僕は何も成長しちゃいないなということを愕然と認識するばかりだった。締め切りは掲載前週の土曜日、日本時間正午。今、編集者へ送信したメールを一覧していて、発信時刻が土曜日の10時前後(タイと日本の時差が2時間あるため)に集中していることに改めて苦笑する。
 夏休みの宿題と唯一違うのは、こなすべき教材があるわけでなく、ゼロから始めるという点。できるだけおもしろいことを書こうという思いが、「もう数日ネタを待ってみよう。何か起こるかもしれない」という発想に至る。余計に悪循環である。

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 AIC経由で感想をいただいたり、記事に付されていたリンクからこのサイトを訪れて下さる方も少なからずおられた。嬉しい限りである。
 あくまで個人的な感触だが、海外在住の日本人の割合が高かったように思う。中にはマサチューセッツの大学院に通う方からメールをいただき、たまたまバンコク来訪の機会があったので、共に屋台で食事をしてシンハビールを飲む機会も得た。面と向かって「あなたの文章のファンです」と言われたのには恐悦至極である。
 また、大学4回生のときに同じゼミにいた友達が「アサヒコムを見た」と数年ぶりにメールをくれたが、その彼女もまたシカゴで仕事をしていた。
 自身にとってもそうなのだが、特に海外で暮らすにあたって、日本語メディアとしてのウェブやメールというものの価値の大きさに改めて感じ入った。

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 第一回目で書いた、バンコクである理由、というのは残念ながら未だに輪郭すら掴めずにいる。ただ最近は開き直ることにしている。「全部好きやから」というように。
 だって例えばあなたが好きな相手から「ねえ、私の(あるいは僕の)どこが好き?」って訊かれて、その完全なリストを作ったり、あるいは一語で「……故である。QED」なんて言えますか? 僕は言えません。
 それでいいんじゃないか、と思うようになったのは、僕にとっては一つの収穫です。

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 読者に向けて最後に。この記事を通じて、バンコクの空気を感じ、そして多少なりともこの街に興味を持っていただけたのならば、バンコク好きの一人としては無上の喜びです。あなたに天使の息吹をお届けすることはできたでしょうか?

2003年6月13日 チュラ大での生活をあと2週間だけ残して


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