功徳とビール
週末の一日を使ってバンコク市内の寺を9カ所訪れることになった。9という数字は、その発音が「前進・進歩・発展」を意味する語と同音なので、縁起のよい数字とされる。ちなみに、たまたまだが僕の誕生日は9月9日なので、タイ的にはとてもよい日である。
この、9つの寺を一日でというのはここ数年の流行だと、そもそも今回誘ってくれた大学の先生に教えられる。9カ所であれば、その内容は問わないのではあるが、「今回は、バンコクの中でも選りすぐりの9つに詣でます」とのこと。
一緒に巡るのはその先生と、二人のクラスメート。一人は語学研修が終わり、いよいよ来週から駐在員として仕事が始まるビジネスマン。仕事の成功を祈る。もう一人は、占い、お祈りごとに興味を有する女性。色々と願うことはあるそうだ。先生自身は、個人的に行っているビジネスでの顧客獲得を。僕は、留学終了後の人生がうまくいきますように。
巡礼は「ワット・プラケオ(エメラルド寺)」で幕を開ける。現王朝の菩提寺である。入場に際して、タイ国国民証の提示があれば無料。仕方なく僕らは200バーツずつ支払う。隣接した王宮の観覧料なども込みの値段であるが、「王宮はみんな何回か来たことあるわね。じゃあ、入場料払ってるけど次行くわよ」と。
今のバンコクは、ちょうど雨期の始まりである。昨日は降りそうで降らなかった。その分今日は、空気中に飽和状態に近くたまった水分がねっとりとした湿気となって漂っている。午前の早い時間ではあるが、既に「暑い……」と誰にともなく文句を言いたくなるような久しぶりの天気だ。その蒸し暑さにジーンズを履いてきたことを後悔しながら歩く。
王宮広場に面した「ワット・マハータート」を訪れ、その学生たちが民主革命の大きな担い手であった名門タマサート大学の横を通り、チャーン船着き場。渡し船でチャオプラヤ川を渡る。まだ太陽は中天に達していないが、薄い泥の色をした川面が静かに激しく跳ね返す陽光は既にギラギラとしている。だが、目を細め水面を吹く風に身体をさらしていると、細胞の一つ一つがゆっくりと溶けていく錯覚に陥る。それは心地の良い感覚だ。
「ワット・ラカン」には、そのラカン(鐘)という名の通り、釣り鐘がいくつも並んでおり、順番に鳴らしていく。鐘の音は名声に通じるとのこと。
トゥクトゥク(オート三輪のタクシー)に乗り込んで、「ワット・アルン(暁寺)」。三島由紀夫の「暁の寺」のモデルにもなっている。プラ・プランと呼ばれる塔の最上部には、仏舎利が安置されている。
再び川を渡り東岸に戻る。ティアン船着き場から歩いてすぐの「ワット・ポー(菩提樹寺)」。絵葉書の定番である、長さ49m、高さ15mの巨大黄金涅槃仏像と共に、タイマッサージの総本山であることも知られている。実は、僕自身もここの学校に通ったことがあり、タイ伝統マッサージ師の資格を持っている。
昼食を挟んで後半戦。暑い日なので、結構体力を持っていかれる。
「ワット・ボウォラニウェートウィハーン」は、「パイリーピナット」と呼ばれる仏像が有名である。これは敵を倒すという意味を持つが、善は悪に勝るというようなニュアンスである。
7つ目に「ワット・チャナソンクラーム(戦勝寺)」。そもそもは田んぼの中に建っていたことから、「水田寺」というのどかな名を持っていた。その後多少の変遷を経て、ラーマ1世がビルマとの戦の前には必ずここを訪れ、そして必ず勝利を収めてきたことから、戦勝寺と名付けられる。その由来において、9カ所のリストの中では欠かすことのできない寺である。困難に遭遇したときにタイ人が必ずお参りする寺でもあると言う。
「ワット・スラケット(黄金丘寺)」は、小高い丘の頂上にある。仏舎利を抱く金色のパゴダが南国の午後の青空に輝いている。それを見上げながら、丘を取り囲む階段をぐるぐると回り、頂上へ。バンコクは平地なので、少し上るだけで視界はぐっと広がる。白く霞む街並みを見下ろしながら、しばし風に吹かれる。
最後の「ワット・ベンチャマボビット(大理石寺)」でようやくと強行軍もおしまい。
ところで、タイの寺ではどのように参拝するのか。
まずはお供え4点セットの「お線香、ロウソク、金箔、蓮のつぼみ一輪」を求める。基本的に価格が決まっているものではなく、周りの人を観察した上でふさわしい額を差し出せばよい。だいたい20バーツ(約60円)というところ。
線香に火を付け、合掌した手のひらでそれを挟み、額の辺りに持ってくる。ひざまづいて頭を垂れ、お祈りを。金箔は、祭壇の仏像に貼り付けるためのもの。自分の身体に悪いところがあれば、仏像の同じ部位に貼り付ける。あるいは、試験合格を祈るのであれば、利き手にと言った具合にも。
門前でカゴの小鳥を買い、それらを空に逃がすというのもある。また、水辺に面した寺では、カメやウナギや貝などの各種水生生物が大きなプラスティックのたらいにひしめいている。これらを買い求め放流するとこで、また功徳を積むことになる。
7体の仏像がずらっと並んでいる場合、それは各々の曜日に対応している。自分の生まれた曜日の仏像にお賽銭を。確かにタイ人は、生まれた曜日を知っている。僕も学習の初期段階で自分は何曜日かを調べて記憶している。たまたまその曜日の仏陀は、7体の内で唯一横になった姿である。
「先生、火曜日生まれと言うのは、寝っ転がって安穏に暮らせるということですか?」という無邪気な質問をしたが、「入滅を意味します。もっとも仏陀が穏やかである日です」という返答。
国民の9割以上が仏教徒であるタイでは、仏教は生活に密着している。あるいは一体化しており、分離して考える方が難しいと言っても差し支えないだろう。仏教関係の祝日というのが年に4日あるし、信徒の男性は、国王とて例外なく一生に一度仏門に入る時期がある。(ただし、憲法では信仰の自由が規定されている。)
たまに早起きすると、くすんだ黄色の衣をまとった托鉢の僧をそこかしこで見かける。老若男女を問わず、仏像のネックレスを肌身離さずつけている人も多い。
さらに、デートのオプションの一つに「寺参り」というのもある。しかし、今回は誰かを口説くのではなく、自身の功徳を求めてであった。だが、それにしても半日でかなりくたびれた。
巡礼を終えた一行は、アヒル料理が有名な地元の店で早めの夕食をとる。僕とビジネスマン氏はビールを頼む。散々に汗をかいた後なので、凍るほどに冷えたシンハビールが全身に染みわたる。声にならぬ声を上げて快感に悶えていたら、先生が一言。「あなたたち、それで今日の功徳もおじゃんよ……」
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