前書き

 きっかけはささいな地方出張だった。バンコクから、東北部の中核都市コンケーン。タイ航空で1時間のフライト。会社の経費だから、安いチケットを使うにこしたことはない。当然エコノミーだ。手渡されたのは、往路はWクラス、帰路はYクラス。
 数日後、ANAの会員サイトでマイルが登録されていることを確認。Wクラスは対象外だとは知っている。だが、意外だったのが帰路だ。233マイルしかない国内短距離路線であるが、プレミアムポイント(PP)が633も貯まっていた。昨年だったら、羽田・伊丹をYで乗ったときよりも多い。短距離なのに、ずいぶんと貯まったもんだな、と思った。

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 今年からプレミアムポイントの計算が変わったことを思い出す。Yクラス、すなわちエコノミー正規運賃か、あるいはビジネスクラスであればどんな予約クラスでも、スターアライアンス便だと400PPが加算される。
 電光石火のごとくひらめいた。タイの国内線は、日本と比べると割安である。これを利用することで、かなり安価にPPを獲得し、スーパーフライヤーズカードを手に入れることが可能なのではないか。
 僕はずっとANAでマイルを貯めている。必要な移動(日本出張やら、旅行やら)だけで、ここ数年はずっとブロンズ会員を確保している。今年も、年始の宮古島からの帰路で、宮古→那覇→成田→バンコクと既に乗っているし、ソンクラン(タイ旧正月)は再度東京経由のANAで石垣島往復を予定している。このままいけば、ブロンズはまあカタイだろう。
 だが、もしかして、これに追加するようにタイ国内線をうまく乗りこなせば、プラチナに手が届くのではないか。で、あれば、スーパーフライヤーズカードを申し込む権利が発生し、仮に来年以降はブロンズにさえ届かなくても、各種の特典の恩恵を受けることが可能となる。
 このカードの最大の特典は、年会費を払っている限りは、搭乗実績とは無関係にスターアライアンスのゴールドが維持されるという点にある。これは、あまりに魅力的だ。
 私用で日本へ帰ることもあるだろうし、1度くらいは日本への出張もあると思う。それらで足りない分を補うことを狙いとして飛行機に乗ろう。

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 このような、直接的な移動が主目的ではなく、むしろポイントやマイルを稼ぐためにわざわざ飛行機に乗ることを、人は「修行」と呼ぶ。そして修行にいそしむ人たちを、「修行僧」と言う。最終的に目的のスーパーフライヤーズカードに達することは、「解脱」である。これは、もはや趣味の一つのジャンルを確立しており、関連のmixiのコミュニティ、ブログなどがわんさか見つかる。
 非常に緻密なデータを提供されている方や、マイレージの仕組みや独特の用語などについて詳細な解説をされている方もおられる。
 中でも、ご自身の体験の記述の愉快さもさることながら、各種データやその分析の提供、解脱後のサービスなどについても幅広く、そして明快に記載されているANA SFC獲得修行は、大変に参考になるサイトである。(ただし、筆者が修行を行ったときと、現在とは、そもそものANAのポイント獲得の仕組みが異なっていることは留意されたい)
 僕の場合、バンコクに住んでいるため、多くの修行僧とは事情が異なるものの、実益を兼ねた趣味の一つとして、2009年での5万プラチナポイント達成、すなわちANAプラチナ会員、さらにはスーパーフライヤーズカード獲得を掲げて、その道のりをこの場で発表していきたい。

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 と、いくら自分が考えたところで、結婚している身にとっては、いちおう情報を相手に伝えて、了承を取っておかなければならない。ただでさえ最近は休日出勤も多い中で、せっかくできた休みの日を、一人でふらっと家を空けるというところには、事前了解が必要だろう。
 そもそも妻も旅行が好きな人で、タイ航空のマイレージ会員。やはりシルバーはずっと確保しているので、土台は共有しやすい。だからまずはスーパーフライヤーズカードのメリットを説くことからはじめた。
 「スターアライアンスのゴールドって、憧れるよね」
 「でさ、さらにANAの場合はゴールドに達したら、スーパーフライヤーズカードというのが申し込めて……」
 実は、この会話が行われていたのは、3月のある金曜日夜のペニンシュラホテルである。地中海料理レストラン、ジェスターズにて、シャンパンディナーの特別プロモーションがあるので、二人して食べに来ていたのだ。
 会はまだ始まったばかりで、外のテラスで、暮れゆくチャオプラヤ川を見下ろしながら、まずはウェルカムドリンクのDuval-Leroy・Brut Champagneを飲んでいる。
 物腰の柔らかな、それでいてきびきびしたスタッフが軽いおつまみを持って回ってくる。
 今夜の楽しい予感を含みながら、そしてマイル修行という新たな趣味を見つけた高揚感から、僕は妻に説明を続ける。
 「例えば、国内最短区間のチェンマイ、メーホンソーンを往復するとね……」
 と、海老のフリッターを一口食べた妻が僕の発話の途中で「美味しい!」と言う。それまでじっと話を聞いているものだと思っていた僕がおめでたかった。
 その「美味しい!」という響きからは、ようやく自分の興味の対象に出会えたことが素直すぎるくらいに現れていた。
 ここで、ムカッとした僕は、人間ができていないのだろう。
 「あのさー、人が話をしてんねんけど。興味ないんやったら、最初からそう言ってや。今のセリフ、ちょっと悲しいで」
 「何を言うてんの? 美味しいもんは美味しいやん。だいたいあんた、逆の立場やったらどうよ。いっつもそうやけど、人の話聞かんで、自分のことばっかり」
 この日の夕食が素晴らしい体験であったことは否定しないが、スタートからして僕が何か踏み外してしまったような残念さが残る。

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 僕のやる気には既に火が着いており、タイ国内線の金額やマイルやPPの詳細な一覧表の作成を初めていた。だが、この状態のままチケットを予約して修行に入ってしまっては、事態がよりややこしいことになるのは火を見るより明らかだ。後日。なんとか機嫌を直してもらい、タイミングを計って改めて切り出す。
 「つまりは、あんたがスーパーフライヤーズカードを持てたら、家族会員として私も同様の特典が利用できるのね」
 「旅行をかねて一緒に修行してもええんやで。どする?」
 「なんであたしが用もないのにあちこち行ったり来たりせなあかんのよ。早いとこ解脱とやらをして、あたしの家族会員を申し込めるようにしといてくらたらそれでええやん」
 事実上のゴーサインであった。
 さっそく直近で使えそうな週末の予定を探し、ルートの選択を行うことにした。修行開始は、2009年4月4日の土曜日と決めた。  


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