また一つの旅立ち

 さて、実質的に最終日がやってきた。
 10時過ぎに起きたが、なにもすることがないので、昨晩もやったのだが、もう一度荷物の整理をした。
 チェックアウトのぎりぎりまでベッドで粘ってようと思ったが、退屈さに耐えかねて11時には外に出た。
 ゲストハウスの壁に貼られていた詳細な地図によると、サテークラブはスタンフォードロード沿いにあることが分かったので、懲りることなくサテーを目指した。
 しかし、昨日もその目の前を通っていた、疑うべくもなくここだという場所では、大がかりな工事が行われていた。結局、今回の旅ではサテーに出会うことができなかった。
 しかたがないから、来た道とは違う所を通ってオーチャードロードへ向かった。オーチャードロードは、いわゆるシンガポールの観光の目玉の一つで、ショッピング街だ。
 途中で、2軒ほどデパートを冷やかしたが、時間つぶし以外の何ものでもない。
 2軒目の地下で、一番安かったタフゴレンというものを食べた。何のことはない、厚揚げに、甘ったるくてピリッとしたピーナツソースをかけただけのもの。しかも、厚揚げは温め方が足らずに中心部は冷たい。
 そう、おそらくTAHUは豆腐のことだろう。そして、ゴレンは「ナシゴレン」や「ミーゴレン」と同じ、マレー語の「炒める」という意味。
 安くてうまいという思想がないのか、うまくて当然という思想がないのか。
 ひょっとしたら、タイの物価からしたら、20バーツの屋台飯でも安くはないのかもしれないが、それでも頻繁に地元の人たちも食べている店は確かにうまかった。
 高度資本主義の発達と、安くてうまい食べ物というのは同時に成り立ち得ないのだろうか。こんな命題を考えたところで、僕が知っている範囲の高度資本主義が発達した国というのは、日本と香港とこのシンガポールくらいで、この中にすでに香港という反例があるのだから、あまり正しくない命題だ。
 何軒かオーチャードロード沿いの店に入って、場違いな格好のまま、イスに座って「魔の山」を黙々と読んだ。エアコンが効いているのだけはよかった。しかし、エアコンはあまりないけど飯のうまい国と、飯はまずいけどエアコンが効いている国のどちらを選ぶかと問われたら、躊躇することなく前者を選ぶ。
 道行く人を眺めながら、とにかくフライトの時間を待つ。
 午後になって雨が降り始めた。1時間も待っていればスコールは去るだろうとたかをくくっていたが、一向に止む気配がなく、それほど強い雨でもないのだが、灰色の空から灰色の街に降り続く。
 屋根のあるバス停のベンチに腰掛けて、道ばたを流れる雨水を観察していた。
 濡れる覚悟で歩き出した。
 現時点での持ち金は、空港税と空港までのバス代を考えると3ドルとちょっとの余裕しかなかった。この金をどう使おうかとしばし頭を巡らせた。ビールを飲む、という抗い難い誘惑もあったのだが、腹が減っていたので、昨日と同じ鶏飯を食べた。スープのおかげで体も温まった。
 食後も席に着いたまま「魔の山」を読み続けた。
 区切りがついたし、ちょうど雨も止んだのでゲストハウスに戻った。
 「使っていいよ」と、言われていたので、レセプションがある階のシャワーを使ったら、なんとお湯が出てきた。この旅で最初で最後のホットシャワーだった。
 台所で一抱えもあるような肉の塊を切っている宿のおばちゃんに今日の分のペットボトルを返しながら、「今日、日本に帰るんだ」と言うと、「サヨナラ、アリガト」と言ってくれた。
 僕も、カンボジアまでは挨拶語程度は覚えようとしていたのだが、段々と面倒になってきたので、そんな努力すら忘れていたが、やはり相手の国の言葉を多少でも知っていた方が、ぐっと親しみがわくのだから、これくらいは現地語を覚えておくべきだと感じた。
 さっぱりとした体でバスに乗り込んだ。時を同じくして、再び強い雨が降り出した。
 バスは静かだった。降車を知らせるブザーの音も柔らかい。僕の心を燃え立たせるものは何もない国だったが、「静けさ」に価値を認める考え方には大いに賛成だ。
 40分ほどで着いたが、まだまだチェックインまでは数時間あった。
 1000円札を銀行でシンガポールドルに両替し、空港の地下にあるスーパーで500ミリリットルのアンカービールを2本買い込んだ。それを持ってマクドナルドでハンバーガーとポテトを食べた。
 良きにつけ悪しきにつけ、これが今回の東南アジアの旅の最後の国の最後の食事となった。いや、価値判断はするべきではないのだろう。
 免税店を冷やかしたり、もう一つのターミナルまで電車に乗って出かけたりした。お祈りをするための部屋や、10ドルで使えるプールなども用意されていた。
 僕は、このチャンギ国際空港が、街と同じようにきわめて整然とできていることは好ましく思ったのだが、結局、街に対して同じ理論を歓迎できないのは僕が日本人ゆえだからなのではないかということに気付いた。つまり、僕は特に今は京都に住んでいることもあって、風景には少なからず歴史が含まれていた。それは、近所のちょっとした寺でもそうだし、曲がりくねった路地でもそうだ。しかし、僕はそれを当然であるという偏見に捕らわれていたばかりに、まだまだ若いこの国について、僕の基準に適合しないからという理不尽な理由で嫌悪していたのではないだろうか。だから、日本でも新しいもの(歴史の極めて浅いもの)としてなじんできた空港に対しては好感を持つことができたのだ。
 旅を初めてすぐにカオサンで出会った韓国の大学生スッキョンが言っていたように、確かに「アジアは難解」だ。だけど、そもそも「アジアとは何か」という問いにすら解答を見つけていないが、うやむやに捕らえている上ででも、少しずつ薄皮をむくように何かしらの核心に近づくことは可能ではないのだろうか。
 この旅で知ったこと、見つけたこと、考えたこと……これらによって僕はどれほど解答に近づいたのかは今もって定かではないが、そこには何かしらが存在し、着実に近づきつつあるということだけは実感として得ることができた。無限遠の目標に向かっての一歩はゼロに等しいのかもしれないが、僕自身にとっては確かな歩みである。
 やれやれ、その一歩一歩がこれほどにまで楽しいのだから、僕のアジアへの旅は終わりそうにもない。
 アジアを知ること、それは自分を知ること。
 今日僕は、久々に飛行機に乗って、また国境を一つ越える。


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