迷走

 チェックアウトが正午なので、11時過ぎに起きて、とりあえず荷物は置いたまま、同じビルの中にあるベンクーレンハウスというもう一つのゲストハウスへエレベーターで上がった。
 ずいぶん気のいいおじさんが出てきて「ドミトリーで7ドル」だったから、さっそく移ることに決めた。
 「明日の夜には発つんだ」と言うと、「チェックアウトは12時だけど、荷物を預かるよ。それにシャワーも使ってもらっていい。もちろん、ノーチャージだ」と言ってくれた。
 さて、見せてもらったその部屋は、さすがに昨日のピーニーマンションより1ドル安いだけあって、せまい。14人くらいが泊まれる部屋だった。しかし、最上階にあるので、開け放たれた窓からは、右手には高層ビル群、そして正面には団地が見渡せた。ベランダには、洗濯ロープが何本も張られていて「自由に使っていいよ」「それから、コーヒー、紅茶はフリーだから」とのことだった。
 手続きをするためにレセプションに戻って、シーツと枕カバーを受け取る。
 すると、「冷たい水がほしいだろう」と、冷蔵庫から元はオレンジジュースが入っていたペットボトルに詰めた水を渡してくれた。「シンガポールの水道水は飲めるんだよ」と言い、わざわざ観光用のパンフレットの関連する記事を見せてくれた。
 さて、中華街に出ればさすがにおもしろいだろう、と考えた。サテークラブ(サテーを扱う店が多いホーカーズセンター)で昼食にして、マーライオンを眺めて、そこからMRTで中華街へ出ようという予定を立てた。
 ところが、当然のように迷った。後から分かったのだが、どうやら東西と南北を間違えて地図を見ていたようだった。アスファルトからの照り返しはきつく、僕はベンチに腰掛けて水を飲んだ。さあ、どうしようかな、と思って何気なく前方を見やると、向こうに下半身が見えるアレはマーライオンではないか。
 クアラルンプール以来、半ば意地になって探してきたサテーにも巡り会えず、マーライオンの位置すら把握できなかったのだが、迷っていてもやはり必ず何かしらに出くわすものだ。
 迷っても大丈夫、これは今回の旅で得た大きな経験則の一つだ。
 そのマーライオンだが、僕がそれまでに知っていたのは、ライトアップされていたり、あるいは口から水を吐いていたりと、とにかく観光国シンガポールの宣伝のためにつくられたマーライオンの姿だった。
 百聞は一見にしかずとはまさにこのことか。水は吐いていないのに、のどの奥からはそのためのパイプが見えているし、突堤の部分は特にうす汚れている。しかも、すぐ奥は橋の工事中だった。シンガポールのマーライオンは「世界三大がっかり」の一つだという。

マーライオン
 ただ、一つ付け加えるなら、そばにある「子マーライオン」はなかなかかわいくてよかった。観光客も、ひとしきりがっかりした後に、こちらに集まる人が多かった。
 とりあえず、マーライオンを眺めるのに最適だと言われる、エリザベスウォークにあるベンチに腰掛け、うちわでぱたぱたとあおいでいた。そこで耳に入ってくる言葉の実に8割近くが日本語だった。いかにも南国を旅行してます、ということをアピールするかのような、女性だったら白いパンツと派手なプリントの半袖のブラウス。男だったら、短パンにポロシャツ。まるで、ここではその服装しか許されていないかのように、本来は日常を離れて羽を伸ばしているはずなのに、逆にそういったことに縛られている同国人の群。
 残りあと1枚だけあったフィルムをここで使うことにした。シンガポールの象徴としての、それほどきれいではないマーライオンの前に立つ、無精ひげがずいぶんと伸びた僕の写真。これが、この旅の写真集のしめくくりにはふさわしいように思えた。新たにフィルムを買う経済的な余裕もないし、それにあったとしても何も撮らないのではないかという気がした。逆に言えば1枚しかなかったから、僕はここで写真を撮ることにしたのかもしれない。
 ガイドブックをのぞきこむ老夫妻に、カメラを片手に歩み寄って「写真1枚、お願いできますか」ときわめてありきたりに尋ねたら、女性の方に怪訝な顔をされた。ちょっと間をおいて、「ああ、あなたの写真を撮るのね」
 わずか1月の間に僕の日本語はそんなにおかしなものになってしまったのだろうか。
 フィルムをケースに収めた僕は、再びサテークラブで昼食をとろうと、しっかりと方角を確認して歩き出した。オリエンタルホテルの手前辺りにあるはずが、そのオリエンタルに着いてしまった。そのそばに巨大なショッピングセンターがあるので、ホーカーズもあるかもと思って、そちらをうろつくことにした。
 ここも、あまりにきれいで整っている。フードセンターというのもあったのだが、もはやホーカーズですらなく、ファーストフードの店が集まっているだけだった。高そうだし、まずそうだからここを抜けるべく歩く。
 高層ビルの下を歩きながら、ふいに襲う寂寞感。困惑。「ここはどこなんだ?」
 自分が全くこの場所に適合できず、全身に薄い布をまとったように奇妙な現実と自身とのずれ。そこに現実があることは、頭では理解できる。しかし、その中にいるはずの僕自身がつかめない。「僕は誰だ」「ここはどこだ」という問いが、果てしなく巡る。
 「ノルウェイの森」のラストシーン、「それから」のラストシーン。渡辺昇、代助それぞれの、世界がぐるぐると回転していったのと同様、僕も深い混乱に陥った。
 どこに逃げ道があるのかを考える間もなく、僕は走り出した。今までシンガポールはつまらない、という程度にしか思っていなかったが、この時はじめて、積極的に「嫌だ」という感情が、本能をして僕を走らせたかのように。
 途中で発見したセブンイレブンで、とりあえず冷たいビールを買って落ち着こうとした。500ミリリットルのアンカービールを店の前で一息にほす。
 多少はゆとりが生まれたが、一刻も早く逃げ出したい気持ちに変わりはなかった。
 しかし、こんな時でも腹は減る。未だ昼食にありついていない僕は無性に何かを腹に入れたかった。
 スーパーで6種類ほど少しづつ入っている一番安いクッキーを1袋(1.05ドル)買って、これもすぐに店の外でばりばりと袋を開けて、食べ始めた。
 「在るものを、在るものとして受け入れる」というある種の諦観としての僕の考え方は、実はゴミやほこりであふれるプノンペンの街などではすんなりそこに自身の存在を適合させることに、なんの苦もなく成功してきたが、全く予想だにしていなかったこのシンガポールの街では、僕は在るものから逃げ出すことで精一杯だった。
 MRTのシティーホール駅を目指す途上で、戦争祈念碑に出くわした。「日本占領時代の市民の犠牲を記憶にとどめるために 1942〜1945」というようなメッセージが英語で彫られていて、4カ国語で説明があった。
 そそり立つ4本のコンクリート製の柱が頂点を一にし、それを見上げた僕は、雲一つない空の真っ白な太陽のせいでまともに目を開けていられなかった。熱帯の太陽を受けた灼熱のベンチに腰掛けた瞬間、ふらふらしていた頭に何かがガンと僕の頭を殴ったような気がした。
 シティーホールから、アウトラムパークまでのMRTの車内は、当然のごとく快適だった。自動制御による、全く同じ加速と減速の数値。そして、それを全く同じ大きさの力として体感する。
 地上に出た僕はまた迷っていたようだ。道を尋ねると、子連れのおばさんは、僕のやって来た方向を指し、「このまま駅の向こう側だよ」と教えてくれた。
 これが、チャイナタウンなのか? 多少看板に漢字が見られるだけの何もない街。
 エアコンの効いた食堂で、おかず3種類のぶっかけご飯を食べたが、ちんまりしたご飯にもっとちんまりとしたおかずが乗せてあるだけ。ぬるいし、まずい。
 クアラルンプールで見たようなカレーパフを見つけてかじってみたが、揚げすぎてて衣がばさばさしていて、ひどい代物だった。
 早々にゲストハウスに戻った。ベランダから見えたホーカーズセンターで鶏飯を食べた。これがようやくまともな食べ物だった。しかし、今までの物価からするとかなりのものだ。いや、そもそも比べること自体が間違いなのかもしれないのだが。
 ベンクーレンハウスのドミトリーはタイやマレーシアからの出稼ぎの男性ばかりだった。どう見ても旅行者は僕だけだった。
 ベランダのイスに腰掛けて、何を考えるでもなく風景を見る。右手には高層ビルに明かりが点き、赤いランプが点滅している。そして左手には団地があり、芝生や木々がその間に見て取れる。僕が見た限りでは、これがこの国の全てだった。
 隣のイスでは、背中に入れ墨をした上半身裸のおじさんがカップラーメンをすすっている。
 人型にへこんだ汗くさいベッドに横になった。そこには確かに多くの人の形跡があった。


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