ツーリストバス

 3泊したバンコクを後に、僕は国境の街ハジャイを目指すことにした。マレーシアへ入って、ペナン島へ渡りそこからインドネシアのスマトラ島へ舟で入ろうという目論見だった。昨夏は国際急行に乗り、バタワースまで一気に南下した。今回は、もう少し手間をかけて、別の方法で国境越えを楽しむつもりだ。
 予定としては、ハジャイまでは列車で。マレーシアの人が帰国する時に利用しているという乗合タクシーで国境まで行き、マレーシアに入ったら再び列車に乗るか、あるいはバスでバタワース。バタワースまで行けば、ペナンは文字どおり目と鼻の先だ。
 しかし、この綿密な計画はあっさりと崩れた。
 雨が降りつけるドブのような運河のほとりで、舟を待っていた。いったんは姿を見せたものの、故障したらしく、客を拾うことなく戻ってしまった。
 「どこの国?」と、同じく待ちぼうけをくらっている旅行者が話しかけてきた。巨大な荷物を3つも持っていた。顔の造作といい、沈痛な表情といい、スタートレックのオドーに似ていると思った。
 「日本から」
 「だったら、隣の国だね」
 ロシア人、ユーリのその発想は、今まで僕の中には存在しなかったものだ。
 彼もペナンへ行くところだった。3年間インドで宗教を学んで、帰国する前に旅行をしているところだった。
 「350バーツでハジャイまでのバスがあるから、ボートが来なかったらそれで行かないか」
 早く次へ進みたかった僕は、バンコクでもう一泊という選択肢を初めから考慮に入れていなかった。
 雨は小降りになった。
 ピックアップのバスを待つ間、切符を申し込んだ旅行代理店で涼んでいた。すると客の一人、東洋系の女性が「ここはよくないから、別の店に行った方がいいわよ」と告げた。
 店の責任者らしき人が「営業妨害だ。出ていってくれ」と彼女の手をつかんで引っ張り出そうとした。常識外れの言葉を発した彼女に対するこの行為は、店の側としては適切な行動だと思われた。しかしそれは余計に彼女を苛立たせた。
 「触ったわね。この私に触ったわね」と語気も荒く、逆に突っかかっていった。「いや、しかし、それは」とすまなさそうにする気の毒な男に向かって散々文句を並び立てた後、「警察やTAT(タイの観光局)に言ってやるから。そしたら、あんたんとこはもう営業できないわ」と捨てぜりふを吐いて、雨上がりのカオサンに出ていった。
 店の人が、ウンザリだと言わんばかりに事の次第を説明してくれた。それによると、彼女はここで航空券を買ったのだが、運悪く乗り遅れてしまった。それに対する払い戻しを求められた。「そんなことできるわけないだろう」という彼の言葉は全く妥当だと思う。
 その理不尽な行動には目を見張らんばかりだったが、彼女がまくしたてた英語も僕を驚かした。その身なりから日本人ではないか、と思ったのだがそのあまりにもきれいな英語は、僕の想像にそぐわなかった。
 「彼女、どこの人?」「香港人だ」
 なるほどね。
 大型の観光バスに乗り込んだのは、9割方が欧米人の若い旅行者だった。
 こいつらの旅って、一体なんだ。安全な旅行者用のバスに乗り、目的地へ直行(サムイなどの他の目的地への人も途中まではこのバスだった)。列車の3等で行こうなんて思いつきもしないんじゃないか。こいつらにとっての旅はこんな程度のものなのか。
 こんな旅はしたくないと痛切に感じた。
 しかし、これは全く自分の価値観のみで相手を見下していたことに、後に気づかされることになる。人のふり見て我がふり直せ、とはよくぞ言ったものだ。
 最初の旅は全てが楽しかった。二度目は多少の違和感も得た。そして今回、それらを踏まえて僕は少し自分が成長しているのではないかと肯定的に自分を捉えた。しかし「少ししか」「成長していない」とする方が正しいことを教えてくれる相手と会った。彼と出会うのはスマトラ島の中部。その時にまた述べよう。


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