いつだって不安と共に
早朝、どこかの喫茶店で全員下ろされた。そこからはそれぞれの目的地別に窮屈な車で移動する。皆さん、喫茶店でコーヒーなどをすすっておられる。店に入らなかったのは僕一人だけだった。不思議なものだ。どこにいても僕のとる行動は大多数とは違ってしまう。
ハジャイに着いた。ユーリはここからまたツーリストバスでペナンへ行くと言う。僕はかねてからの計画に立ち戻ることにした。
まずは駅に出れば何か情報がつかめるだろうと歩き出した。しかしどこが駅なのか知るはずもないので、歩いている人に尋ねてみる。「駅、どっちですか?」「うーん、歩くとちょっとあるからトゥクトゥクで行った方がいいよ」「いくらくらい?」「10か15くらいのもんだろう」
ハジャイのトゥクトゥクは、バンコクのよりも大きかった。小型トラックの荷台に座席が取り付けてあり、乗合だった。
駅のインフォメーションでは「バタワースまで行くのは国際列車しかないよ」と言われた。僕がファランポーンでもらった英語の時刻表は主要なものを記しているだけだから、もっと短い路線は頻繁に走っているのではないかという期待があったのだが、そうではないようだ。
どうしようかな、と考えたがせっかくここまで来てバンコク発の国際急行もないだろうと思った。
とりあえずこの街の観光地図を一部もらう。
駅前ではトゥクトゥクの運転手が話しかけてきた。駅に行けば情報がつかめると考えたその通りになるかとうれしくなった。「ペナンだったら、ミニバスが出てる」という彼の言葉に従って、乗り場までトゥクトゥクで。しかしそれは先ほど僕がバスを降りた場所だった。同じバスでやってきた旅行者が、乗り継ぎを待っている。
「いや、これ以外の方法で行きたいんだ。とりあえずTATに行ってよ」と先ほどの地図で場所を示す。
なまりのきつい英語を話す係員が応対した。
「ミニバスか、そうでなかったら乗合のタクシーだね」「バスは250。タクシーも集まる人数次第だけど、2、300するから、バスの方がいいと思うよ」
「もっと安い手段はないの? バンコクからハジャイまで列車の3等だったら200くらいなのに」と、僕は目論見が外れかけている焦りから、口調を強めた。
「私にどうしろと……?」「いや、ごめん。あんたに嫌な思いをさせるつもりじゃなかったんだ」
冷静に戻った僕に、ふと一つのアイディアが浮かんだ。
「パダンベサールまでのバスはないかな」
国境を一つの乗り物で越えようとするから高くつくのだ。カトマンドゥからパトナーに下った時、「国をまたいだバスに乗らず、国境までと国境からのバスの方がいいよ」との忠告を受けたことがある。その時の経験からだった。
パダンベサールまでは20バーツ。バスは駅の近く、先ほどもトゥクトゥクで通った場所から出ていた。
初めから他の人と同じようにツーリストバスを利用していたら、250バーツ。しかし人と違うことをしようとするとリスクを背負うことになる。すでにこのバスに乗り込むまでのトゥクトゥク代で30使っている。いや、しかしこうなったら250バーツ以上かかってもペナンにたどり着いてやる。ある種の意地だった。
時刻表に従って運転されるバスではない。20人ほどの乗客が乗り込んでから、ようやくの出発となる。それまでの間、ビニール袋に入れたジュースを売りに来る者もあった。
市街を抜けて太い道に出ると風が強く流れ込むので、窓を狭めざるをえなかった。地元のFMラジオのヒットチャートが車内に響く。誰かが魚の塩漬けでも持っているのか、生臭い匂いがたまに風に含まれる。
使い込まれたこのバスは、スピードが思うほど出ない。小さなバイクにも追い抜かれてゆく。
車掌が停留所の名前を連呼し、数人が降りる。バス停の人に向かっては「パダン、パダン」と叫ぶ。かけ声と共に、再びバスは走る。
やっぱり、バスはこれでなくっちゃ。
パダンベサール行きということは確かめていたので、おそらく終点に国境があるのだろうとさしたる疑問も抱かずにいた。
ところが、森の中の道を走っていると、車掌が僕の所へやって来て「国境へ行くのか」と言った。いや、言ったのだと思う。それは英語でも日本語でもなかったから、言葉そのものを僕は理解したわけではない。それは単に手のひらに、もう一方のこぶしを押しつける仕草だった。言葉は通じなくとも、それがパスポートにスタンプを押すという動作であることは何の躊躇もなく理解できた。
「だったら次だよ」と彼は教えてくれた。
本当にこんな場所に、と訝しく思わないではなかったが、森に通じる一本の道を歩くと、すぐにそれらしき建物が目に入った。
やはり、歩いて越える国境はいい。「マレーシアへようこそ」と書かれた門をくぐって、マレーシア側の建物へ。「大型車」「乗用車」「バイク」などのレーンがあったが、徒歩というのは見つからなかった。うろうろしていたら、「こっち」と手招きされて、スタンプをもらう。
そう言えば、両替をしてリンギットを手に入れなくては。小銭程度は前回の残りがあったが、それでは少々乏しい。巨大な免税店の中に、両替のカウンターを見つけた。
ドルのT/Cは受け付けてもらえなかった。壁にかかったレートの表示には円という項目はない。どうせタイはまた来るだろうと、残しておいたバーツを取り出してリンギットに。「これだけあればペナン島までバスで行けるかな」とヴェールをまとった窓口の女性に尋ねたら、「大丈夫」とのこと。ついでにバス乗り場は道なりに行けばすぐにある、ということも聞いた。
出てすぐにはタクシー乗り場が2カ所あった。「バスはここからは出ていない。カンガーまで行って、そこのターミナルで乗り換えなくては」と言われる。乗合だから、他の人がやってくるのを待つことになる。けれど、先ほどの話しもあるから、バスの存在はほぼ確信していた。さり気なく、もう一つのタクシー乗り場に集まっている運転手に「バタワース行きのバスは?」と聞くと、「あー、あっちだよ」
ほらやっぱり。「バス停はない」と言った男どもに、ニヤニヤして「グッバーイ」と言ったら、悪びれる風もなく「バーイ」と返してきた。これだから旅は楽しい。
チケットカウンターの女性が「えっと、今4時40分だから、次のバスまで1時間20分あるわね」と言った時、僕は時差のことなんかすっかり忘れていたので慌てて時計の針を進めた。
バスの料金は、やはりツーリストバスや国際急行なんかとは比べものにもならないくらい安かった。
駐車場のようなバスターミナル。その隣にあるモスクからコーランが響く。
バス会社の人だろうか、ファンの下でくつろいでいる男たちの輪に入れてもらって、とりとめもなくしゃべった。「マレーシアだったらどこそこがよい」「女を買うなら、タイの島がいい」、そんな話題だった。
段々とバスは混んできた。途中で僕のとなりに一人の若い女性が座った。僕はさしたる興味も持たず、ただ夕陽に照らされた森と水田をじっと見ていた。
突然彼女が話しかけてきた。ずいぶんと綺麗な、それにかなりの速度の英語だった。
「一人でいるのが好きなのかと思って、話しかけるのをためらってたんだけど……」と、断って。どうしたことか僕に興味を持ったようだった。あるいは、単に話し好きなのかもしれない。
「一人で知らない国を旅しているあなたは、ずいぶんと自信に満ちて見えるわ」
ほめられて悪い気はしないけど、僕は正直に答えた。「そんなことはないよ。いつだって不安を抱えて旅をしている」
「色々と大変なことなんか、あるんじゃないの」「もちろん。けどね、そういうのもまた旅だから」「僕は一人で旅をして、そして色々なものを見て、経験してというのが好きなんだ。それにその土地の人とこうやって知り合えるのも旅ならではだと思う。だから、あなたが話しかけてくれて僕はとてもうれしい」
彼女はインドネシアの人で、マレーシアで資格を取りペナンで弁護士をしているそうだ。名前をプラバと言った。到底、僕ではかなわない英語を喋ったから、悔しいけど何度か聞き返す羽目になった。
すでに日は没した中、バスはよく整備された高速道路を走り続ける。
彼女に誘われて、港で夕食を共にすることになった。イラン人がやっていると言うぶっかげご飯屋で、甘い豆乳を飲みながら食事をした。フェリーターミナルとは言え、目と鼻の先にあるペナンとの往復の船が発着する場所だから、全くかしこまった所ではない。地元の人がいつも利用するような、雑然として賑やかな食堂だった。
「あら、私が誘ったんだから、払うわよ」と彼女は遮った。「しかし……」「さっき言ってたでしょ、T/Cが両替できなくてあまり持っていないって」「けど、チェックだったらかなりあるんだ」「明日になって銀行が開けばあなたはお金持ちかもしれないけど、今は違うでしょ」
うれしさの中に、ちょっとしたすまなさもあったのだが、素直に彼女の好意に甘えることにした。どこまで遠慮したらいいのか、というのは明確な線引きがあるわけではないが、これでよかったのだとその時も思ったし、それに今でも考えは変わらない。
「じゃあ、私はバスで帰るから。フェリーならあっちよ」と教えてくれた。「もし、何かトラブルに巻き込まれたらあなたの事務所に電話しますね」と軽く微笑んで、彼女と別れた。
しまった、彼女の写真を撮っておけばよかった。いつだって大切なことに気づくのは、後になってからだ。
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