とりあえず、目標通りにウブッにたどり着いたことを冷えたビンタンビールで祝う夜。この日の移動の目標地点でもあったし、デンパサール発の航空券を買った時点からはこの旅そのものの終着点でもあった。正直、ほっとした。
朝、ホテルのチェックアウトの時に「カリアンゲッまでのミニバスはどこから拾えるのか」ということを、「歩き方」巻末の簡易会話集を見ながら悪戦苦闘して尋ねようとしていたら、ロビーにいた一人がこれまた運良く英語ができ、英語・インドネシア語の通訳をしてくれた。
教えられた通り、拾ったベチャに乗ってカリアンゲッへ行きたいことを伝える。料金交渉をせず、下りるときに500ルピアを渡したが何ら問題はなかった。先ほどホテルで500ルピアだと聞いたことからも、そして距離的にも極めて双方にとって妥当な値段であろう。
早朝7時前は通学時間帯で、あちらこちらで見かけたのと同じような茶色を基調とした制服を来た学生が多く乗るミニバスに乗った。港までの料金は1000と聞いていたものの、500のおつりが手元に返ってきた。
砂ぼこりをけちらしながら、タバコ畑の合間の道を抜け、塩田のような場所を通り過ぎると30分もせずにカリアンゲッの小さな港に到着した。
「フェリー?」とさっそくにベチャが声をかけてきたが乗らなくて正解だった。バス停から目と鼻の先にフェリー乗り場があり、すでに乗船すべきフェリーが停泊していた。
目指すべきジャンカールへは、エコノミーで5500ルピア。窓口に掲げられた時刻表によると、到着は午後の2時になるらしい。
それほど大きな船ではない。「おおしま」という名が残るこれは、やはり以前は日本の近海を航行していたのだろう。デッキ部分のベンチがおそらくはエコノミーではないかと思うが、ばれたらその時と思い一つ下の階のちゃんとした部屋へ。
前方のテレビでは、「おかあさんといっしょ」のような番組が大音量で流れていた。途中で、こどもの操るワヤンクリッが出てくる辺りがインドネシア的だ。さらに、番組の最後はNHKのそれと同じく出演者全員で踊って終わり、というようなものであったが、流れる歌が「おお、牧場は緑」のようなメロディーで、何度も何度も「インドネシア」という響きを耳にしたこともお国柄であろう。
油メーカー提供の料理番組のおばちゃんは、宮廷舞踊かと見まがうほどの派手な化粧と髪飾りをして、フェリーの乗客に「まずは油をひきます」などと、当然のごとく提供メーカーの油を強調することを忘れることなく調理方法を教えていた。
隣の座席で赤ん坊がいて、「ああ、ガキは鬱陶しい」と思っていたのに、その母親に芋せんべいを「どうぞ」といただくと、気持ちはあっと言う間に180度転換してしまった。ああ、オレってダメな奴。別に人類愛を説こうとは思わないけど、もう少し他人に対する態度を何とかしなくては、とせんべいをかじりながら考えてしまう。
しばらくすると、部屋の中にタバコの煙がこもってきたので、たまらなくなって甲板へ出た。
海原を吹く風が、くさくさしていた気分をも吹き飛ばしてくれた。360度の海と、白い太陽。髪をなびかす風を目一杯に受けながら、泡立つ海面を見下ろす。海中に発生した泡が、ほのかに緑色と深い青色が混じった水に包まれ、それが水面まで上がってくると純白となり、そして船の航跡を形作っていた。
トビウオが海面すれすれを飛んでいる。トビウオは新鑑真号の甲板からも目撃した。ちらほらと三角形の帆を張った漁船が見える。
せっかくだから「海をわたる旅人」という写真を撮ってもらおうと、比較的若い人に声をかけたのだが、彼を戸惑わしてしまうにとどまった。けれど横から英語で助け船が出た。
「英語の教師をしている」と言う割にはたどたどしいが、それでも写真は撮ってもらえたし、さらに「ここに座んなよ」とデッキの上にスペースを作ってくれた。
「これ食べるかい」と、黒砂糖の固まりをくれた。
「カリアンゲッからバニュワンギまで出て、そこから船でバリまで行こうと思っている」と話すと、彼はあれやこれやと非常に役立つことを教えてくれた。
「バニュワンギまで行かなくても、その手前のカタパンからバリへの船はある。ジャンカールの港からはベチャでバス通りまで出られる」
「バスが拾える所まで行ってほしい、ってベチャにどうやって伝えたらいいの。言葉を教えてくれないかな」と言うと、「だったら、オレが直接ベチャに話してやるよ」と親切にも言ってくれた。
さらに僕は地図を示して、カタパンまで、カタパンからバリまで、そしてウブッまでの大体の値段と所要時間を尋ね、その場で地図に書き込んでいった。
6時間の航海の予定だが、出航して4時間後の12時にはあっけなくジャンカールに着いた。
ジャンカールの港は、さらに小さく、グライダーのようにも見える幾隻かの漁船が砂浜に並び、桟橋が一本突き出ているだけだった。それ以外は、白い砂浜とヤシの木。
ベチャに行き先を伝えてくれた彼に手を振って、バス停へ。ジャワ島北岸を通る幹線と交わる三叉路で、タイミング良くバニュワンギ行きのバスを見つけた。手を挙げる僕の姿に減速したバスに、文字どおり飛び乗った。
本を読んでいたつもりが、いつのまにか眠ってしまったようだ。乗客が下りる気配で目を覚ましたら、車掌に「バニュワンギだよ」と言われる。
ま、いっか。どうせここからでも船はある。
ミニバスに乗ると、さかんに「チャルタル?チャルタル?(charter)」とうるさい。バリへ渡る船着き場まで移動するだけなのに。
フェリーは1000ルピアだった。向こうに見えるのがバリ島か。
最上階のデッキには、白人の旅行者が日光を求めて集まっていた。そして、僕も。
そんな我々をあてこんで、貝殻を細工したアクセサリー売りや、靴磨きの少年たちが声をあげる。そして、海面からは「コインを投げてくれ!」と叫ぶ子どもたち。投じられたコインを、海中でうまくキャッチしてみせたら喝采を、というものだ。観光客に慣れた子どもの姿は、世界有数の観光地に近づいていることを知らせてくれた。
風に流されてまっすぐに飛べないカモメを見ながら(あるいは、そちらが本来の行きたい方向なのかもしれない)、頭の中の地図で自分の足跡を思い描き、ようやく終着点も間近である喜びにひたる。
ジャワ島時間で4時、バリ島時間で5時、上陸した。ジャワ島の西端、ギリマヌッ。
客用の黄色いヘルメットを手にしたバイタク運転手が群がっている。この船に乗っていた人の多くは、そのバイタクに乗るか、あるいはバスに乗っているようだった。
さて、僕も中心部までたどり着くためには何とかしなくちゃいけない。多分、近くにミニバスのターミナルがあるだろうと考えたのだが、これは外れた。
後ろから何台か大きなバスが追い抜いていくから、「デンパサール」という表示のあったバスに手を挙げて乗った。デンパサールまで、3000ルピア。ざっと見た感じ、旅行者の姿はなく一般的なバスのようだったのだが。都会に近づきつつあるのだ。
山道をグングン下っていく。夕陽、砂浜、ヤシの木、棚田、も確かにある。けれど、それよりも民家の瓦屋根の方が僕には物珍しかったし、それ以外には別段大したことはなかった。
デンパサールのバスターミナルに着いた時に、すでに暗くなっていた。ここから直接のバスはないので、いったんバトゥブランのターミナルを目指すことになる。
バトゥブランまでのベモを探していると言われた。「ウブッに行きたいのか? だったらもうベモは終わってるよ。チャルタルして直接行くなら2万」
時間的にもそうかもしれないとは思うが、とりあえず行けるところまでは行ってみて、それがダメならばその時にまた考えればよい。
とにかくバトゥブラン行きのベモを探して乗った。これを下りるときに「1000ルピアだ」と言われたが「ウソだろ、500くらいじゃないの」と言ってみたら「500! そんな馬鹿な。700だよ」とあっさりと、妥当な運賃が運転手の口からこぼれた。
やはり、ターミナルは暗くベモは動いていない。一台だけ客待ちがあったから声をかけてみたがウブッ行きではなかった。
仕事を終えたベモの運転手が寄ってくる。「ウブッまで乗せて行ってやろうか」
その内の一人、丸顔のおっさんと交渉した。ここまで来れば何とかなるさと思って、のんびりと構えていた。
「5万だ」とふっかけられたが、デンパサールからでさえ2万だったのだから即座に拒絶する。では「2万では」とようやくここら辺からお互いに真剣に、しかしのらりくらりと交渉が始まる。
「クタやサヌールからメーター付きタクシーでRp.25,000くらい」とあり、地図を見てみると、バトゥブランはクタとデンパサールの真ん中あたりに位置していたので、僕は1万までなら出そうと決めていた。
僕の方は5千から始めた。すると相手は1万5千まで落としてきた。向こうが5千単位で落としたということは、考えている値段はもう少し低いのだと分かる。僕は焦ることなくじわりと「6千」と言う。
ところが僕は8千まで上げたのに、1万2千で足踏みが続いた。
「9千出そう」と粘ったが、変わらない。
「よし、オヤジ分かったよ。1万でレッツゴーだ」と陽気に肩をたたいて、僕は目標通り事が運んだことに内心にっこりとしながら、交渉の妥結を宣言した。
しかしオヤジは粘った。
「1万1千。私も千、あんたもあと千」
「まいったな、1万でいいじゃない」と、ここまできて相手の心証を悪くするわけにもいかないから、つとめて笑顔で車に乗り込むふりをする。
こんなやり取りをしていると、通りかかった人が「何、ウブッだって?それなら1万だよ」
オヤジも僕も笑いながら車に乗った。オヤジはその男に、まったくとんだ邪魔をしてくれてというように軽く文句を言っていたが、結局エンジンを回した。
乗合のベモに一人きり。途中で止まることなく、車はウブッを目指す。車をチャルタルするとは、なんだか贅沢な気分で気持ちがいい。
山の中にあるウブッはかなり暗く、とにかく今日はどこかそこら辺の宿に転がり込めればいいと思っていたので、「歩き方」にあったシングルで1万(これがとりあえず一番安いのだ)のTutik Houseという宿へ行くように頼んだ。こういうとき、ガイドブックは役に立つ。
運転手は少し迷い、人に尋ねたりしながら思ったより手間取っていた。文句も言わず目的の宿を見つけてくれた彼のその労に感謝して、千ルピア札があれば上乗せして払おうと思ったのだが、いかんせん数百しか細かいのがなかった。移動の時にはベモやバスに1万なんて出しても「つりがない」となるのがオチだから、予め千ルピア札を多めに用意しておくのだが、それでもすでに使いきってしまっていた。
部屋は磨かれたようにきれいで、トイレとホットシャワーまでついていた。安宿らしいのは、天井からぶら下がっているのが裸電球であるということだけだった。朝食付きで、1万5千の言い値は、1万1千に落ちついた。
「お茶、飲む?」と宿の青年が静かな日本語で尋ねてきた。お腹も減っていたけど、もちろん僕はこう注文した。
「ビンタン!」