死の鉄橋に吹く風

 昨夜、インターネットで知り合ったバンコク在住のM氏と共にしこたま飲んだ。夜中過ぎには彼の車でカオサンまで送ってもらい、そしてそこでまた飲んだ。その時、タイ人女性ばかり3人のグループがいたのだが、うちの一人は日本語で書かれたラミネート加工の紙を持っていた。そこには「何時間でいくら」というようなことが書かれていた。
 僕らは飲み続け、酒の酔いに足許がおぼつかないままもも宿に戻ったのは4時過ぎだった。それでも昼過ぎに起き出すと、ドミトリーを後にした。
 向かう先はカンチャナブリー。バスターミナルにずらりと並んだ行き先別の窓口。主な地名はアルファベットでも表記されている。
 チケットを手に入れた僕は、「何番のバス?」とタイ語で尋ねてみた。
 いくつかの国を歩いたが、僕はタイが最高に気に入った。そこでもっとこの国のことを知るために、タイ語の講座に3ヶ月ほどだが、通った。その実践というわけだ。
 残念ながら、即座に返ってきたのは「eighty-one」という英語だった。
 3時間半ほどの道のりだったことは、目覚めた時に知った。しかしぐっすり眠ったおかげか、さっぱりした気分だった。
 さっそくに寄ってきた自転車サムローに乗って、彼の案内するサムズプレイスという宿へ。ここは、クウェー川に沿って建つ、と言うよりも、川の上に建っていた。部屋から部屋へ渡るには、水の上を渡された細い板を歩くか、あるいはぴょんと飛ばなければいけない。「ふらふらになるまで酔ってしまったら、確実にドボンだな」と自分の心に戒めた。
 川面は水草が繁茂しているものの、雰囲気としては上々だと思ったののだが、夜になると隣接する水上レストランの歌謡ショーが延々12時過ぎまで続いたのには閉口した。
 まずカンチャナブリーを選んだのにはわけがある。今回は教養と専門の試験の間にふと見つけた2週間という空白を利用した旅だから、あちらこちらをのんびりとまわるわけにはいけなかった。タイの西北部を歩こうと考えていた時に、以前カルカッタへ向かった時出会った人の言葉が思い出された。「カンチャナブリー、よかったですよ」
 僕の旅は大抵こんなもんだ。しかし不安定に見えながらも、旅人の生の意見というものはなかなか侮りがたい。
 そしてここカンチャナブリーも大当たりであった。悠々たる川に沿って広がる静かでこじんまりした町だ。
 カンチャナブリーを世に知らしめているのは、死の橋とも呼ばれるクウェー川鉄橋だろう。ただし、僕は映画「戦場に架ける橋」も見たことがなければ、それがどのようなものかもほとんど知らなかった。
 宿から歩きながら何度かモトサイを拾っておけばよかったかな、と考えないではなかったのだが、途中でバミーとペプシの昼食をとることでエネルギーを回復して、結局歩いて小一時間の道のりをたどった。横にのびる通りには「バングラデシュ通り」とか「マレーシア通り」などとアジア各国の名が冠されていた。

クウェー川鉄橋跡
 橋のすぐそばには、第二次世界大戦博物館があり、そこにはこの地に関わった十ほどの国の旗が立っていた。
 鉄橋を破壊しようとして連合軍が投下した爆弾や、強制労働で亡くなった人の遺骨、日本軍の軍票など、往時を否が応でも感じさせる展示物が並んでいた。説明によると、労働者に与えられた休日は年に一度、天皇誕生日だけであったと言う。腰布一枚でジャングルの中を鉄道敷設のために働かされている様子のジオラマ、当時使われていた機関車などは色褪せているものの、生々しく目に映った。
 展示物を見、説明を読み進む内にいかに自分が無知であったかを痛感し、同時にこうやって歴史の現場で学ぶことのできた幸せを見つけた。
 けれどこの博物館は珍妙だった。名称こそ第二次世界大戦博物館ではあるが、そこには代々ここを統治した一族についてや、先史時代についての展示もあるどころか、遺骨が納められている一つ上の階は歴代のミスタイの絵が飾られていたのだから。
 橋の近辺にはみやげ物屋が軒を連ね、ビデオカメラを構えた団体旅行者でにぎやかだった。
 けれども川の水はなみなみとたたえられ、橋を歩いて渡る僕を通り過ぎる風は気持ちのよいものだった。真冬の日本を出てきたが、遠い夏休みの記憶を呼び覚ますような水と草の匂いを運んでいた。
 橋の上を徒歩で往復し、ちょっとした広場になっているところでサトウキビを買った。ガラスケースに陳列された数ある果物の中で、これは僕のお気に入りの一つだ。皮をむいて3センチほどにぶつ切りされたサトウキビをかむと、冷たく甘い汁が口を満たす。ざらざらした抜け殻が口に残るが、この清涼感はなかなか味わえるものではない。
 ここがいなかだと実感したのは、その量だった。いくら食べても袋は空にならない。値段はバンコク辺りと変わらないが、量の多さから物価が低いことを知る。
 植え込みのそばに腰掛けていると、お坊さんに話しかけられた。
 「それは、私には読めない。日本語ですか」
 「そうだ」と答える。ちょうどその時タイに着いた第一報を絵はがきにしたためているところだった。
 スリランカから来たという彼は「あなたの恋人に書いているのですか」と尋ねる。
 面倒くさいから「そうだ」と答える。しかし、より正しくは「そうだったらいいんだけどね」だった。


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