タイ・ビルマ鉄道

 ゲストハウスのすぐ隣、それほどはやっているようには見えないレストランからの、大音量の歌が耳に飛び込んでくるせいで、深夜すぎまで眠りに就けなかった。
 泰緬鉄道、現在ではタイ国鉄の一路線、に乗りたかった。一日に三本しか走っておらず、帰りのことも考えに入れた上で、10時55分にカンチャナブリーを出る列車を予定していた。けれど、目覚めたのは11時半だったので諦めるよりなかった。
 さて、どうしようか、夕方に一本あることにはあるのだが、こちらに戻ってこれるかどうか確証がない。
 ならば、とりあえずバスで終点のナムトクまで出て、帰りを鉄道にすればいいだろう。
 バスターミナルまでのモトサイと話しをまとめるのにも、なんとかタイ語で通じた。老人、と呼ぶにふさわしい人の運転するバイクだったが、彼から一輪の花(ジャスミンではないか)をいただいた。「匂いをかいでみろ」というように、鼻にそれを持っていく仕草をして、それがよい香りをもっていることを教えてくれた。
 バスが動き出すまでの間、焼き鳥ともち米を買った。ここに限らず、バスターミナルには様々なもの、主として食べ物、が売られている。中には、車内販売をする人もいる。
 日本でも、駅弁と旅情というのは切っても切り放せないが、似たようなものなのかもしれない。少なくとも僕にとっては、移動中に物を食べるという行為は、単なる暇つぶし以上の意味を持つ。
 遠景に山、道路の脇からずっと広がる畑、ないし草原が延々と続く。席が狭いので腰が痛む。
 数時間走ったところで、小休止があった。と言っても、5分ほどだったと思う。それほど人が下りたわけでもなく、ジュース売りが一人入ってきた。ビニール袋に氷とジュースが入って、片側を輪ゴムで結わえてある。穴の大きなストローで吸い込むと、かなり甘さが舌に残った。甲子園のかち割りよろしく、熱冷ましのように額にのせ、わずかばかりの涼をとる。氷が溶けるとほどよい味になるのだろう。
 しかし、そここそが目指していたナムトクであった。
 僕はまだ気付いていなかったが、ナムトクを出てしばらくすると車掌がやってきて「あれ、まだいたの?」とタイ語で尋ねてきた。いや、多分そう言っていたのだろう。
 言葉が分からなくても理解できる、というのは往々にしてあることだ。
 料金の徴収の時、「ナムトクまで」と言ってあるから、彼女は怪訝に思ったのではないか。
 「ナムトクへ行きたいんだけど」と僕。これはきっちりとタイ語で。これくらいは、言える。あるいはこれくらいが限度。
 「それは、あっちよ」と今まで走ってきた方向を指す車掌。
 なんだかんだで、途中で下ろしてもらう。それまで車内にはタイ語、英語、日本語(あとの二つは僕が使っただけだが)でなんとかコミュニケーションを計って、打開策を見出そうとした。しかし所詮は僕のタイ語などでは間に合わないし、相手は英語も日本語も知らない。
 そのバスが行ってしまうと、東屋のような小さなバス停に僕一人だけが取り残された。どうやら、ここで逆方向へのバスを待て、ということらしい。
 まれに車が通りすぎる他は静かなものだ。
 まいったな、どうしようかなと途方に暮れかけたのもほんの一瞬のこと。道路を挟んだところに、小さな店があり、僕は軒先でシンハを飲みながら、店の奥の時計を眺めていた。
 バスは来ない、列車の出発時刻は迫る。
 その店に寄る車がたまにあるので、最悪はなんとか乗せてもらえないか頼んでみるのも手だろう。
 この時点で思い返してみると、やはり先ほどの小休止をとったところが目的地だったのではないかと思えてくる。いくつも店が並んでいたこと、全員とまではいかないけれど、それまでのバス停と比べると多くの人が乗り降りしたことなどが判断材料だった。そこから今いる所までの距離を考えて、15分あれば余裕で戻れると踏んだ。
 店の時計をにらみつつ、まずはバスを待つ。
 そう、今回の旅で僕は時計というものを持っていなかった。カオサンで安いのでも買うか、と思っていたのだが大いに酒を飲んでいる間にすっかり忘れていた。あればいいかな、という程度の必要性しか感じていなかったので別段どうとも思っていなかった。結局、最後まで時計はないままだったが、別段困ったこともなかった。
 最悪の事態というのは、不思議なことに往々にして回避されるものだ。僕が考えていた限界のまさにその時刻にバスがやってきた。
 「カンチャナブリまで」と切符を求め、「ナムトク」の駅名を背景に写真を一枚撮ったらすぐに出発だった。
 シャッターを頼んだタイ人の女性に手招きされて、彼女たちの席へ。車内は始めのうちはがらがらだった。
 乗客の中に一人、日本語を学んだことがある人がいた。僕のタイ語の知識よりはるかに立派だったので、彼女が通訳のような役回りをやってくれた。てっきり写真を撮ってくれた人たちの仲間だろうと思っていたのだが、全然関係がなかったようで、かなり早い段階で下りていった。だからそこから先は、タイ語のみでのコミュニケーションとなった。
 しかしなんとかなるものだ。
 「ビールを飲む?」とシンハの大瓶をすすめてくれる。僕は一応遠慮の姿勢を示すために、「飲んでもいいの、飲むことができるの」ということを尋ねようとした。
 しかし、可能を尋ねる「…ダイ、マイ?」と言うべきところを僕は「マイ、ダイ」と言ってしまった。同じマイでも声調が違うのだが、これでは可能性の否定の意味になってしまう。
 「ああ、そう。飲めないのだったら、無理にはすすめないよ」と引っ込められそうになってしまった。慌てて、「いや、違う。お酒は大好きなんだ」と伝えると、相手はよく分からないけど、という顔をして再びビンを差し出してくれた。
 ある駅から団体の欧米系観光客がどやどやと乗り込んできた。いくつかガイドブックに載るようなポイントがあるのだが、それを過ぎた駅で彼らはまたもや、どやどやと下りていった。おそらく観光バスが待っているのだろう。
 観光すべき場所がどこなのかは、すぐに理解できる。第一に、近くにさしかかると列車が速度を落とし、人の歩み程度になる。第二に、見所がある側の窓に人が一斉にかたまるからだ。確かに、崖っぷちから見下ろす川の流れなどは美しいものがあったが、行程の9割5分は平凡な景色である。
 けれど、この列車は単に観光のためだけではないようだった。夕方だったということもあって、下校に使う制服姿の学生も数多く見かけた。
 カンチャナブリに戻ると、ツーリストポリスへ出かけた。次の目的地、スコータイへの直通のバスがあるかどうかを調べるためだ。
 「スコータイへ行くバスはありますか」と問うと、「いや、それはない。バンコクにいったん戻らなくては」という返事……だったのだろう。彼の雰囲気からは否定的なニュアンスがくみ取れたし、「クルンテープ(バンコク)」という音が辛うじて聞き取れたから。
 偶然にそこで出会った田中君という千葉の大学生(成田のすぐ近くに住んでいるといううらやましい境遇)とダブルの部屋をシェアすることになった。
 彼と連れだって、昨日と同じ店で夕食をとる。ナマズの身とハッカ、ミントなどが混ざったサラダ、しゃぶしゃぶの鍋のような構造で中心部には炭火が赤々と燃えている容器に盛られたトムヤムクン、それに焼き飯。もちろんシンハビールも忘れない。
 彼に「節約してないっすね」とぽつりと言われてしまった。確かに。今回は半月という短い期間だからなんだか財布のヒモもついつい緩んでしまう。
 暗い中を静かに流れるクウェーヤイ川のほとりのベンチで、ぼうっと夕涼みをするつもりだったが、蚊が多くてかなわなかった。
 代わりに、宿でメコンのコーラ割りをゆっくりと飲む。


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