僕のビーチリゾート
早い時間にがんばって起きだして、海から昇る朝日を見に出た。しかしタイ湾の彼方は少々雲がかかっていたので、ぼんやりとした朝の太陽を眺めることしかかなわなかった。視線を目の前に落とすと、すでに二人ばかり波間で揺れている人がいた。朝日の中の海水浴とはなんと贅沢な楽しみだろうか。
さて、ホアヒンはシーフードも有名であるという。ならば、きっと近くに漁港があり魚市場があるはずだという推測に基づき、地図には何も記されていないのだが海辺の道路を歩いてみた。
違わず、5分ほど行ったところで、魚を選り分けている人々に出会った。だが、どうもそれは今獲れたばかりの海産物の仕分けと言うよりも、余った物の整理という雰囲気だった。どうやら、もう少し早い時間が本番のようだ。
その奥に伸びる桟橋へ進むと、小さな漁船が何隻が停泊していた。船体の大部分は緑で上の方にはオレンジ色の筋に挟まれるように白く塗られた部分があり、おそらくそこに記されている文字は船の名前だろう。どれも賑やかではあるが、いい具合に色褪せていて騒々しくはない。むしろ、白い浜辺や椰子の木々の色としっくりと呼応している。
内の2隻はまだ帰港したばかりのようで、甲板で仕分けを行っていた。まず、魚もゴミも一緒になったごそっと大きな山があり、そこから数人が手作業で、イカ、エビ、貝、大小の魚というように選別している。ゴミや雑魚はそのまま海に放り込んでいる。だが、既に太陽が南国の朝らしく照っている上に、氷や冷蔵設備のようなものはまったく見あたらないため、少なくとも僕はそれらシーフードに食指が動きはしなかった。イカなんかは、すでに身が白く濁っている。それでも、僕がどんな感想を抱こうとも作業は着々と進んでいった。
また桟橋には数人の子どもが海をのぞき込むようにして釣り糸を垂らしている。竿はなく、直接糸を手で操りながら。入れ食いというほどでないにしろ、彼らには彼らの収穫があるようだ。
太陽が十分に熟してくると、部屋で転がっている必要はない。水着に着替えてそのまま歩いて海辺へ。ゲストハウスに続く路地を出てすぐのちょっとしたコンビニのような店で、ホントォーンというウイスキーの小瓶を求めた。ビールではすぐにトイレに行きたくなってしまうし(そのために宿に戻るもの馬鹿馬鹿しい)、すぐに飲まないと温まってしまうからだ。
海に下りていく途中には、なぜここに?という疑問を抱かずにはおれないのだが、ムエタイ選手がグローブをはめた右手を高々と掲げて、左手にはベルトを握っている元気な銅像が立っている。首には花輪が、腕や腹には色とりどりの布が巻かれているし、台座にはお香が立ち、花もそなえられている。郷土の英雄といったところなのだろうか。
どうしたわけか、ここの浜辺にはドイツ人のご老人が多かった。しかし、本当に彼らは派手である。肌のたるみも、膨らみきった腹もどこ吹く風と、男性も女性も派手な色の水着に包まれている。こう言うのもなんだが、目の保養というにはほど遠い。長谷川君(インド、ネパールの同行者)の話しでは、サムイではトップレスを数多く目撃したとのことで、僕もあわよくばという期待があったのだが、滞在中に見かけたのはわずか片手で足りるほどの人数だった。
地元の女性は、肌をさらすのが苦手なのか、日に焼けるのを嫌うのか(タイ人は日焼けを嫌うとか)、あるいは両方からか、服をまとったままで海水浴を楽しんでいた。
わずか3ヶ月だけ通ったYMCAのタイ語講座で一緒だった人が、ホアヒンのビーチを指して「何もないよ」と評していたのにひかれてやってきたわけだが、なるほどせいぜい目に入るのは乗馬用のポニーくらいか。さすがにきれいなホテルの前にはパラソルやベンチが並ぶが、僕にはあまり関係がない。一度だけ、沖合を走るバナナボートを見かけた。
ホアヒンというのは「石の頭」という意があり、岩がごろりごろりと砂浜から生えている。穏やかな海でばしゃばしゃと波と戯れて、あとは手頃な岩の上でじっくりと身体を太陽にさらす。読みかけの「風とともに去りぬ」をめくり、このおだやかな南国リゾートからはほど遠い、南部アメリカの情熱的な女性と、なかなかにいやらしさと味のある男性との恋物語にひたる。気が向くと、ウイスキーのキャップをひねり、熱いままのどに流し込む。こういうのは日本に持ち帰って飲んでみても、決してうまいものではないのだが、なぜだが旅先で飲む現地の酒というのは無条件においしく感じられる。
天秤で何かを焼きながら歩いている女性を見かけ、声をかけた。酒のつまみの調達である。覚えたてのタイ語を使おうと「コレは何?」と聞いてみたら、なんと彼女の返事は「イカ!」であった。こういうのは割合に人をがっかりさせる。
疲労を覚えると、宿でシャワーを浴びて、ファンを回しながらの昼寝を決め込む。ものすごく優雅であると思う。
日が陰り始めると、先のボクサー像の近くにバーが出現する。夕陽が見えるわけではないが、少々過ごしやすい気温に落ち着き、海が暗くなってゆくのを眺めながら、ぼんやりと冷えたシンハビールを飲む。
町中には夜市が出現し、煌々と明るい屋台の群が人々のエネルギーを得て、まるで一つの生命体のように活気づく。店の前にはずらりと魚介類や野菜や肉が並ぶ。「カブトガニもあるよ」と聞いてはいたが、残念ながら二往復したものの、僕の目には留まらなかった。
もちろん観光客が多いから英語メニューも備わっていて、側を通り過ぎるだけで「ここで食べてはいかないか」とメニューを開いて勧誘をされる。
しかし、どれも少々懐具合との兼ね合いがよろしくない。「まあ、どうせ漁港で見たように新鮮ではないのだろうし」と、自分に言い聞かせて諦める理由とする。まるで酸っぱいブドウそのままである。
とりあえずはシーフードを食べた、ということをするためだけに、エビとイカの入ったクイティオと、小さなイカの串焼きをつまんでよしとする。
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