あふれる南の光

 朝方にエアコンバスでチェンマイを発つ。バスが予定通りなら、夜がそう遅くならないうちにバンコクに戻り、その足でファランポーン駅へ出るつもりだった。夜行に飛び乗り、うまくいけば今夜の内に最終目的地のホアヒンへ。
 マレー半島をわずかに南に下り、タイ湾に面した王室御用達のリゾート地、ホアヒン。以前、YMCAのタイ語講座で一緒だった人のおすすめの場所。今までタイには何度か足を踏み入れているが、いわゆるビーチと名のつくところはまだ一度も行ったことがなかった。そのものへの興味もあったし、何より冬のさなかの日本へ戻ったときに、真っ黒に焼けた姿で友達の前に現れてみたいというちょっとしたいたずら心もあった。
 バスはぐんぐん南下し、夕方と呼ばれる時間帯が終わるかどうかのころにバンコク市街に入った。このペースならば、一気にホアヒンへと期待をしたものの、やはりそこはバンコクであった。交通渋滞に巻き込まれ、バスは遅々として進まない。僕が焦ったところでどうなるわけでもないので、だったら今日はカオサンでどこに泊まろうか、何を食べようかということを考えていた。
 カオサンの朝、目が覚めるとすぐに行動に移った。時刻表を見ると、午前中の列車はないので、バスターミナルを目指すことにした。ホアヒン行きが発着する南バスターミナルは、カオサン通りを西の側から出てすぐにぶつかるプラピンクラオ通りのずっと北西にある。その通りがサナームルアンに沿う付近で停車しているバスをよく見かけるので、バス停はそこにあるだろうと見当をつけた。
 が、ないのだ。あるいは僕が見落としていただけなのかもしれない。南バスターミナルへ行く系統のバスは確かに走っているものの、いっこうにこの辺りで停まりそうな気配がない。だとしたら、その方向に向かって歩けばいずれはバス停にぶつかるだろうと、バックパックを背負ったまま歩き出した。すでに気温は高く、シャツが身体にはりつく。チャオプラヤー川にかかるプラピンクラオ橋を渡る横では、車がどんどん走り抜けてゆく。そのなかに目的のバスも何台かあった。
 しかし、橋の上から眺めるチャオプラヤーは気持ちのよいものだ。泥色の流れがやわらかく蛇行し、水面にはいくつもの船が行き来している。そして岸辺には高層ビルが立つ。僕が持つバンコクのイメージの中で、この流れはかなり大きな意味を持っている。
 橋を渡りきってようやく見つけたバス停から乗り込んだのは運良くエアコンバスだった。この辺りまで来ると、カオサンのある地区とは異なり、旅行者然とした姿は見あたらない。ごく普通のタイの人々のなかで、一人シャツに短パンで、しかもそのグレーのTシャツは汗で黒くにじんでいる姿は、自分でも少々恥ずかしい格好であったと思う。
 地図を逆さに見ていたため、バスを降りた地点から無駄にぐるりと一回りする格好でようやくとターミナルにたどり着いた。入り口で買ったパイナップルを口にすると、甘酸っぱい果汁がじわっと身体にしみた。
 バスは一時間に一本ほどの頻度で出ているようだ。「ホアヒン」とアルファベットで記されたカウンターに行きチケットを買う。もちろん基本的に行き先表記はタイ文字だが、このように観光客が訪れそうな土地にはローマ字も併記されている。
 バスの前の方に取り付けられたテレビでは、何か昼下がりのドラマのようなものが流れていた。
 うつらうつらしていていたが、気づいてみると空はすでに南国の色だった。メリハリのきいた青空は、クリスタルのように硬質でもあり、ゼリーのようにやわらかでもあった。標識に示された「ホアヒンまで何キロ」という表示の、キロ数がどんどん減ってくる。近づいているという実感を味わいながら、からりとした空気の中、バスは走り続けている。
 入れ墨の上半身にシャツをひっかけたのサムローの案内で、オールネイションズという宿へとりあえずチェックイン。一階部分には簡単な座席とカウンターがあり、何人かの旅行者がたむろしていた。
 宿の主人が「これからどこに行くの?」と尋ねてきた。「とりあえず、銀行で両替してツーリストインフォメーションでものぞいてみようと思ってる」と返事をした。
 「彼にいろいろ教えてもらったらいいわよ」とその場にいた一人の欧米系の初老の男性を示された。長期滞在者だろうか。気さくに、「この前の道をまっすぐ行って交差点を左に曲がればいいよ」と教えてくれた。
 バンコクから200キロも移動していないのに、この太陽はあまりにまぶしい。光の粒子が目に刺さるようだ。太陽は惜しげもなく光を降り注ぎ、アスファルトが照り返す。サングラスを買った方がよいだろうかとも思うほどだ。逆に、日陰の部分は際だって黒い。
 銀行でバーツを手に入れるが、レートはわずかずつだがバーツ高に傾いているような気がする。経済危機の最底辺を脱しつつあるのかもしれない。「日に日にバーツが強くなってくるね」と行員と軽く言葉を交わす。
 最も熱い時間帯だから、人々は表に出ることを避けているのかもしれないが、それにしても静かな町だ。旅行者の姿もよく見かけるが、騒々しいという感じではない。お金を払って楽しく遊ぶというリゾートとはまた違った意味合いを持った町の雰囲気がある。
 市場を見つけ、バミーをすする。タイ語講座で習った単語を組み合わせて、「パクチーを多めに」と言ってみると通じた。言ってみるものだ。
 いつも通り、行き当たりばったりに目に付いた道をどんどん入り込んでみる。ハリセンボンをふくらませたものに出会ったり、魚の匂いが漂っていたりする。仕立屋の看板が多く、どの店にもインド系の顔立ちの人がいるようだ。派手な顔立ちのマネキンがスーツやドレスで着飾っている。「上着、ズボン、シャツ、ネクタイのセットでいくら」という貼り紙はどこの店のショーウインドーにも掲げられている。値段は、ドルとマルクが併記されていた。裏通りには、その店々から仕事をもらうのであろうミシンが並んだ小さな工場(こうば)があちらこちらにあった。
 とりあえず今日の宿は確保したものの、ひょっとしたらもう少し安いところもあるかもしれないと、目にする度に値段を尋ねていった。海に面した通りの宿は、どれも同じような値段だった。海の上に張り出した部屋は確かに情緒があってよいかもしれないが、200バーツを払って泊まるほどでもないと思った。もうそのままオールネイションズにずっといてもいいかなと半ば考え始めたときに、看板を見つけた。21ゲストハウスという名で、100バーツと書かれていた。
 細い路地を入っていく。ぱっと見た分には普通の家のようにも見えるが、フロントらしき部分で、ベルを鳴らした。年老いた女性が出てきたが、英語がまったく通じない。

ホアヒンのビーチ
 「ちょっと待ってね」とごそごそと歩き方を取り出し、巻末の会話表をカンニングしながら「明日、来る。部屋、ほしい」というようなことを伝える。向こうが何を言っているのかは全然聞き取れないのだが、僕の言わんとしたことは理解されたようだ。明日はすぐにここに移ってくることにしようと思った。安いということもあるが、ビーチまで歩いて1分もかからないというような立地条件も気に入った。それに、このおばあさんのくしゃっとした笑顔にひかれた。


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