バンコク、トランジット

 マニラ、知らない国の暑くて湿った空気がある。記憶にない種類の匂いが含まれ、そこには好ましさを感じられた。これまでの旅行でこの島国を訪れようという意思を持ったことがなかったが、その大きな理由はどうしたわけかその国に対して僕が「乾いた空気」をイメージしていたからだ。あるいは、どことも陸続きになっていないから、国境移動の効率が悪いために避けていた面もある。それでもほんの小一時間ほど空港ビルに立ち寄っただけだが、いずれ行きたい国の一つに加えられた。
 飛行機に再び乗り込むと、今度はひたすら真西にあるバンコクを目指す。機内アナウンスでは「現地の気温は摂氏33度」とのアナウンスがあった。
 機内食を2回食べ、缶ビールを4本、タイ航空のロゴがあしらわれたずんぐりしたグラスにワインを3杯、食後にコニャック1杯、そしてジントニックを一杯。後は読書と睡眠。真冬の日本から熱帯への移行の時間はこのようにして流れていった。
 隣の席の女性は、ミルクを煮詰めたようなある種の女性に特有の体臭を放っていた。これまでその手の人を幾人か知っているが、その脳髄に直接に刺激を与えるような甘美な感覚とは裏腹に、それは僕には100%はしっくりはこないということを理性が知っている。その匂いによって惹起された思い出や苦さが散発的に浮かび上がっては流れていった。
 ほぼ一年ぶりになるバンコク。ここ3年はほぼ半年ごとにドンムアンに降り立っていたことを考えると自分の立つ場所ががらりと変わっていたのだということを今さらながらに知らされる。
 ぼんやりとした酔いの感覚をさっぱりと振り切って、足早に入国審査の列に並ぶ。このままエアポートバスに乗り込んで、カオサンでとりあえずの宿を確保したら今日は終わり、というわけにはいかないのである。5日間だけの休暇だから、のんびりしている暇はない。すでに夕方だが今日の内に100kmほど南のパタヤへ移動して、その上で翌朝のダイビングのツアーを申し込んでおくつもりだった。
 僕の前に並んでいた、4人組の男性から「どこから来たの?」と話しかけられる。「私は日本人です」とタイ語で伝えてみるけれど反応がない。英語で言うと理解された。なるほど彼らのパスポートを見るとマレーシア人だった。彼らはすらりとした足にぴっちりとした短いズボンをはいていたり、長髪だったり、おそらくは化粧もしているだろう、おかまの予備軍という見た目や声の出し方をしていた。そんな彼らに「目がキレイね」とほめられた。
 最悪の場合は、という仮定の上でだが、空港から直接パタヤまでタクシーで動くことも考えていた。エアポートバスはこれまで王宮広場へ向かうA2系統がほとんどで、唯一の例外は市内中心部のホテルに宿泊した際の帰路にA1で空港まで出向いたことがあるだけだった。それでも、バンコク在住の友人から事前に「バスでエカマイまで出て、そこからパタヤへのバスに乗ったらよい」と教えてもらっていたので、とりあえずいつも通り、出迎えの人垣を越えたバス乗り場へと向かった。
 タイミング良くそこで待っていた目的のA3のバスに乗り込むことができ、エカマイへ到着。エカマイというのは通りの名前だが、そこにある東バスターミナルの名前としても用いられている。窓口で切符を買うと、すでに乗客はほとんど乗り込んでいて、僕の座席は最後尾にほど近い窓際だった。陽は完全に落ちていたが、向かう先はいわゆるリゾート地であるためどれだけ夜遅くに到着してもどうにでもなるだろうときわめて楽観していた。
 市街地はやはりそれなりに混雑している。ちょっと前の新聞で市内を走るモノレールが開通したという新聞記事を読んでいた。なるほど、これまではずっと工事中だったコンクリートの高架に真新しいスカイトレインが走っている。
 予想以上に時間がかかったがパタヤへ到着した。外国人だらけのソンテウに乗り、とりあえず目的とする宿の名を告げた。別段どうしても安宿でなくてはいけないという経済事情でもないのだけど、それでも「歩き方」で「安ホテル」の項目で目に付いたところを選んだ。その理由は「安くて快適」というと紹介文だった。自分でも苦笑してしまう。
 しかしそんなよい宿がこの時間に空いているわけもなく、あっさりと「満員です」と断られる。ならばとその近くにあるこれまた安宿に挑戦するが、結果は変わらず。そのまま路地を進むと、それなりに立派な構えでホテルと行って差し支えない宿があった。600バーツで一部屋残っていたのでそこに決めた。宿代は50バーツ値切ることができた。
 「今部屋の掃除をしているので、しばらく待って下さい」と言われロビーでじっとしていても仕方がないので、玄関前に出ていた屋台でセンミーナムをすする。パクチーやナンプラーの匂い、粉唐辛子やら砂糖やら唐辛子を漬けた酢などを混ぜ合わせて汗をかきながら麺をすする。「まさしく、これだよ」という喜びがふつふつとわき上がってきた。
 部屋は広く、もちろんだけどエアコンがあってバスタブもトイレも備わっている。ぬるいけれど湯も使える。ベッドは一人で眠るにはもったいないくらいに広い。これまでのタイでは一泊に200バーツも使ったことはなかったけれど(一度だけの例外は、バンコクで最高層のホテルのジュニアスイートに宿泊したときだ)、一挙にその数倍の額である。カオサンのボーニーゲストハウスの暑苦しいドミトリーならば1週間近く寝泊まりできる値段である。
 そこかしこにピンク色の光が夜の街に溶けている。屋根はあるものの、オープンエアと言って差し支えない店構えの飲み屋がずらりと軒を連ねている。その光の色は、単にアルコールを提供するだけの店ではないことの目印でもある。そりゃあ僕だって短いスカートのタイの女性と飲むのは悪くはないアイディアだとは思うけれど、しかし少々趣味から逸脱しすぎている。世界に名だたる歓楽街、パッポンというのがバンコクにあるが、それさえもここと比べれば洗練されているように思える。ここは野暮ったさとうら寂しさを拡張して、しかもその規模を街中に拡大したようだ。「けったいな街やなあ」というのが感想だ。
 その土地が肌に合わなくても、次へ移ればよいというほどの時間があるわけでもないので、ダイビングに期待をかける。
 タイ語講座を通じて知り合った人から教えてもらったダイブショップを目指して歩きながら、白人男性とタイ人女性が連れだって歩いている姿をよく見かけた。
 店は既に閉まっていたが、ショーウィンドーの案内板に「デイリーツアー 8:30〜4:30」と書かれていたので翌朝の7時くらいにもう一度来てみることにした。
 帰り道でビールと焼き鳥(正確には、牛肉や豚肉も焼いている)を買い込み、部屋のテレビでミュージックビデオのような番組を眺めつつ8本めのビールを飲み干し、汗の臭いのない清潔な枕に頭をもたせかけてさらりとしたシーツの上に横たわった。早朝に起きなければならないからモーニングコールを申し込んで。これもホテルならではのサーヴィスだ。


戻る 目次 進む

ホームページ