国内線を飛ぶ

 前回タイへ飛んだ際に、旅行代理店の人から「連休の予約は2、3ヶ月前からでも早くはない」と聞いていたので、最初の行動を起こしたのはタイへのチケットを探している最中だった。とりあえず値段は確定していないものの、フランクフルトとバンコクへ飛ぶ便の予約リストに名前だけは載せていた。
 できればドイツが希望で、向こうでビールを飲んでこようと思った。それがだめならバンコクへ飛んで、貯まったマイルを利用してヤンゴンへでも足を伸ばそうかと目論でいた。
 が、航空券の値段が発表になってそのリストをファックスで受け取った時に、そのどちらも諦めた。通常の時期ならば、2回バンコクに飛んでお釣りが出るくらいの価格設定だった。あまりにどうしようもない。
 ならば、ということで正規運賃で買ったとしてもそれほどはしない沖縄へ目標を変更した。前々から行こうと思っていた土地の一つである。東南アジアの雰囲気が味わえそうだという期待感と、ダイビングのポイントとしての大きな魅力からである。
 ゴールデンウィークの五連休に有給を一日。行きは完璧な正規運賃、帰りは早割21という切符でその半額以下の値段で、全日空の会員専用ページ上で予約をしてクレジットカードでの決済も済ませた。座席の希望を出すと、即座に確定した座席番号が割り当てられた。航空券は当日の空港の窓口での受け取りになる。非常に便利にできている。
 沖縄へ行ったことがある友人、知人の話しを聞くと安く泊まる手段というのはそれなりにあるらしい。一人はシングルで一泊2500円があると、チラシのコピーをくれた。もう一人は、彼が宿泊していたウィークリーマンションのホームページを教えてくれた。
 ところが、インターネット上で検索してみたところ、一泊で1500円という宿を那覇市内に見つけた。月光荘という名の宿で、もちろんドミトリーである。同じようにして、ダイビングショップのホームページを比較検討して、その内のいくつかにメールで宿への送迎やクレジット決済の可否などのページでは説明されていなかった情報について問い合わせをして、その一覧表を作成した。メールの迅速なところ、無反応なところがあったが、やはり傾向としてしっかりとした使いやすいホームページを持っているところほど、確実で早い反応が帰ってきた。最初は満員だからと断られたけれど、団体のキャンセルが出たとのことで直前に参加が可能になったDD Marine Serviceという店に決めた。
 さらにはレンタカーの予約もとっておいた。
 期間が短いから、できることは出発前にやっておきたかったのだ。けれど、ガイドブックだけは結局買うことがなかった。今回は大学時代の友人、石井という男と一緒に出かけることになっていたのだけど、計画を話し合おうと待ち合わせた日に、二人して紀伊国屋で物色したが、どれも今ひとつピンと来なかったのだ。まあ、なんとかなるだろうというのが一致した見解だった。
 少々活動範囲は異なるが同じサークルに所属していたので、最初に知り合ったのはそこかと思っていたが、どうも一回生の最初に文化人類学の同じ講義に出ていたようだ。はっきり記憶はしていなかったのだが、ゼミ的に小さな講義だったので、その場にいた他の数名の名前を挙げられて、ああそう言えばそうだったかと思い出した次第である。だから、かれこれ知り合って6年目になる。
 彼自身も学生時代はバックパッカーだった。僕よりも行動範囲は広く、カメルーンやナイジェリアなんていう辺りにも足を伸ばしていた。大学入学は同じ年だったけれど、彼はきっちりと4年で卒業していった。卒業旅行でアフリカ大陸から戻ってきたときに、既に下宿を引き払っていたので数日僕の所へ転がりこんできたことがある。彼のバックパックは前時代的な物で、くすんだオレンジ色の頑丈な布地で、開いた上部をロープで結ぶようになっていた。そのくたびれ方も半端ではなかった。どれだけ身体を洗っても、独特の汗臭さが付きまとっていたことが思い出される。
 その石井が就職して配属されたのが大阪だったので、ちょくちょく会って飲む機会があった。つるんでいる内に声をかけてみたら一緒に行こうじゃないかということになったのだ。
 5月2日、定時を少々回ったあたりで職場を辞した。狭いロッカーに入りきらずに仕方なく打ち合わせ室の片隅に控えめに置いておいたバックパックをかつぎ、地下のロッカーにスーツをかけてジーンズにスニーカー、Tシャツに半袖のシャツを羽織った身軽な格好になり、空港バスに乗るために梅田へ向かう。
 スーツを脱いだ解放感に浸り、足取りも軽い。もし仕事を辞めたらもっと飛び立たんばかりの感覚になるのかもしれない。しかし普通に勤めていても、いやむしろそういう束縛があるからこそ、出かける数日前から楽しい時間を過ごすことができた。
 やはりここは非日常へ突入した儀式として外すわけにはいかないだろうと、途中にある大阪駅内のコンビニで500mlの缶ビールを求める。
 暮れゆく大阪の街並みを高速道路から見下ろしながらのどに流し込む。天保山に建つ巨大な観覧車や海遊館、あるいは南港のWTCビルなどが薄い闇に光りを発していた。
 どうしたわけか、前回のタイ行きではなく、その前のグァム行きの同じ道のりのことを思い出している。似たような時間帯だったからかもしれない。申し合わせたかのようにその時と同じタイミングで携帯電話が鳴った。しかしそれは京都の友人からだった。「今晩大阪に出るから久しぶりに飲もうかと思って」。しかしせっかく声をかけてもらったが「沖縄へ飛ぶための空港バスの中にいる」と話すとうらやみながら電話を切った。
 関空の国内線乗り場は初めてだ。ANAカードを提示して搭乗券を受け取る。着替えやダイビング用品が入ったバックパックを預けて身軽になると、いつもの国際線のある4階へ上がった。国際線出発の案内板には、しかし僕の乗るべき便は表示されていない。

国際線出発案内
 この空港の地下にはコンビニが入っている。エレベーターも通じていないので、階段で下りるしかないのだが、押し込められたような空間にまぶしすぎるほどの蛍光灯で照らされたローソン。ビールを三本求める。一本はすぐに飲むため、もう二本は石井が来たときの乾杯用に。
 電車でやって来た彼は、スーツ姿に例のバックパックを背負っていた。とても奇妙な取り合わせだが「会社でスーツ以外ってのがまずくて」とのこと。銀行というのもなかなか大変なところだ。
 チェックインを終えた彼と乾杯。出国審査もないので、のんびりとしていられる。と、思ったら彼の名を呼ぶアナウンスが流れてきた。
 スーツ姿の彼の荷物が薄汚れたバックパックだとは認識されていなくて、係員がタグを付け忘れたのだそうだ。誰のか分からない荷物が転がっていてもしや、ということになり「ご確認したいことがございますので…」とお呼びがかかったのだそうだ。
 予約の際に僕がリクエストしたのは「前方窓際」の座席。しかし普通にチェックインした彼の方がずっと前の方の席に座っていた。エアバスA320の機内は、決して広いとは言えなかった。考えてみればこれまではその大部分がトリプル7であったり、ジャンボであったりと大きめの機体だった。天井も低く、飛行機の胴体にいるのだなあということを否が応でも感じさせられた。
 国内線はアルコールが出ないということを耳にしていたので、最初に飲み物をすすめられた際にオレンジジュースを頼んだのだが、なんとビールを飲んでいる人もいるではないか。さっそくに注文したら、「500円になります」とスチュワーデスが微笑む。350mlでその値段というのはいかがなものかと思い(特製のおつまみも付属してはいるのだが)、「じゃあ、結構です」と情けない返答をしてしまった。後から石井に聞くと、有料である旨はきっちりとアナウンスがあったらしい。ちなみに時間的にも食事を期待していたのだが、サンドイッチすら出てこなかったので、やけに寂しい空の旅となってしまった。


戻る 目次 進む

ホームページ