月の光の安宿

月光荘
 完璧な正規運賃で到着した沖縄。初乗り料金が400円台とは言え空港からタクシーに乗る。贅沢な初動。向かう先はこれから1週間の沖縄生活の基盤となる宿。贅沢さにふさわしくリゾートホテル、というわけではない。いつもと同じく安宿。月光荘という。
 学生時代とは違うのだから、ホテルに泊まってもよかったのだが、あまりそちらへの欲求がないものだから、「浮いたお金は飲み代に回そう」という発想に落ち着いた。安宿には安宿の楽しさもあることだし。
 那覇の町並みは想像していたよりも田舎の感じだった。早朝に空港から市内へ向かったアテネと似た感じがあった。少々勢いに欠ける。隣に座っている石井は逆のことを感じたらしく、「まるで先進国みたいだ」と不遜な言葉で形容した。
 開南のバス停でタクシーを降りる。携帯電話から宿にかけ歩き方を教わる。市場の通りから一本入った薄暗く狭い路地。一階には「台湾食堂」という店が入っている。蛍光灯に照らされた狭い階段を二階に上がる。靴やサンダルが雑然とちらかった狭い玄関。麻雀に興じる人々。部屋の角にはテレビやコンポ。どうしたわけか、かつらをかぶった首から上のマネキンが二体。壁には手製の付近の地図が大きな模造紙に書かれて貼られている。片隅にはギターが立て掛けられている。
 同じような年齢の人ばかりだから、誰が宿の人かはぱっと見ただけでは分からなかった。窓際に座っている男性だった。「ちょっと待ってな」と牌を操っている。
 入ってすぐのこの部屋が共用部分で、左手には台所とトイレ。その隣には僕らが寝る部屋。さらに階上にはまた部屋がいくつかと、風呂場がある。
 インターネットで見つけて予約をしておいた安宿である。那覇市内の中心部からやや外れるものの、一泊1500円という魅力は他に代え難い。もちろんだけどドミトリー。僕らの部屋には2段ベッドが二つと、一段のベッドが一つ。窓際には洗濯物が吊られている。木の匂いがするベッドは、ここのオーナーの手製なのだとか。
ドミトリー
 宿帳に名前やら携帯番号などを書き記す。宿代を払おうとしたらお釣りがなくて、また後日ということになった。結局、僕が支払ったのは最終日の出発直前。それも管理人がどこかへ出かけていたから、同宿の人に託す形になった。
 ここに泊まっている人はやはり「沖縄が好き」な人たちである。学生や僕らのような社会人はどちらかと言うと少数派で、大道芸人や長期の旅人、イベント会場設営やサトウキビの刈り取りなどの肉体労働などをこなしながら沖縄にいる人などが多かった。おもしろいところでは石垣島在住の太鼓腹のおじさんなんていうのもいた。
 雑多な人が集まっているから、朝起きだして街を歩いて、夜には帰ってきて寝るというのがすべての人のパターンではない。僕らが酒を飲んでいい気持ちで帰ってきて眠りに就くころでも麻雀をしている人もいるし、すぐ隣ではボブマーレイが歌っていたりする。明け方近くに仕事を終えて戻ってくるのもいる。
 月光荘には鍵が存在しない。窓やドアというのは開けっ放しになっている。誰でも出入りが自由だし、もちろん蚊も容易にやって来る。蚊取り線香をつけずに寝てしまった初日は結構食われた。ふっと人がいない空白の時間も存在するけれど、誰も気にも留めていないみたいだった。
 共用の施設は何も部屋だけに限らない。冷蔵庫も台所も使える。そこら辺の食器も使い終わった後にきちっと洗ってさえおけばよい。ケーブルテレビに接続されたiMacもあって、インターネットも快適に利用できた。もちろんのことながらテレビもあるから、ある夜はバスジャック事件のニュースがずっと流れていた。
 書棚にはあれこれと本があったが、あまり僕の興味をかき立てるものはなかった。ここの宿泊客がいらなくなったものを置いていったのだろう。
 まあ、つまりは今まで泊まってきた安宿が那覇にもあったということなのだ。匂いも典型的な安宿臭だった。洗濯物、アルコール、汗、蚊取り線香、人いきれ、旅への期待、微かな疲労、そんなものが渾然と那覇の夜の空気に溶けて漂っている。 唯一特異な点は、誰もが日本人で日本語を話しているということ。
 もしかしたら風呂場に石鹸やシャンプーは用意されているかもしれないと思っていたけれど、これは外れ。コンビニで小さなボトルのシャンプーと石鹸を一つ買った。湯は出るけれども勢いはない。浴室(と言っても、浴槽はない)の窓から見下ろすと隣は、何かを取り壊した跡地だった。ここで僕は体を洗い、髭を剃りダイビング用品の塩を落とし、シャツや下着をじゃぶじゃぶと洗濯した。
 立地的には便利だと思う。7、8分歩けば国際通りのOPA。5分ほどで牧志公設市場。30秒でオリオンビールの自動販売機。しかし辺りは結構入り組んでいて、慣れない初日の夜は交錯する路地に迷い込んでなかなか宿へ戻れなかった。何せ、一番すごいところでは路地が六叉路になっているのだ。おかげですっかり酔っぱらった僕たちは夜中過ぎだというのに、大阪の友達に電話をかけて「迷子」の実況中継をしてしまった。
 よい旅を構成する要素の一つは、基盤となる宿とそこに集う人々。その意味ではここは当たりだったと言えよう。


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