霧雨の島

 出発の前夜、洗濯機を2回回したりバックパックに詰めるものを取り出したりやらで、結局眠りに就いたのは1時を過ぎていた。そもそも帰宅したのが9時半くらいだったのだ。それでも6時前には起き出して、早朝からもう一度だけごとごとと洗濯機を動かす。冷蔵庫の中身は既にほとんど整理され尽くしていたが、どうしても生ゴミをゼロにすることはできないので、ビニール袋を二重にしてそれぞれをきっちりとしばってベランダに置いておく。
 こめかみの辺りがうずくほどの眠気がずっとつきまとうが、それでも気分は軽く久しぶりの関空へ向かう。
 前回の沖縄ではじめてデジカメを携えていったが、そこはやはり万一の(ダイビング中の水没もあり得ない話しではない)ことを考えて普通のカメラも持ってはいた。結局一枚もフィルムを使うことはなかった。今回もなんとなく大丈夫だろうと楽観してデジカメだけにした。関空の地下に入っているコンビニで予備の電池を買っておく。関空で何か細々としたものを買うのならばローソンに限る。他のいわゆるトラベルショップみたいに不思議な値段では売っていない。ごく当たり前の値札がついている。もちろん、ビールだって。
 両替も、人がずらりと並んでいる国際線出発のフロアの銀行の窓口ではなく、国内線出発の階の東京三菱なんかまでわずかに足を伸ばすだけで時間が有効に使える。この時も客は僕一人で、ガードマンが一人と行員が3人ほどいただけだった。ま、並ぶか歩くかという行為のどちらを面倒に思うかというのは人それぞれだろうけれども。
 わざと1時間前ぎりぎりくらいでチェックインをしてオーバーブッキングからビジネスクラスへのアップグレードを狙ってみるも、そうそう簡単に二匹目のドジョウに出会えるものではなかった。早朝のドンムアンでビジネスクラスの搭乗券をもらったときはそう言えばタイ航空の正規割引運賃だったが、今回は普通の格安である。ま、立場がそもそも弱い。
 今回の旅行の目的地はミュンヘンだった。数年前から大学の友人たちと「ドイツでしこたまビールを飲もう」と計画していた。それぞれに仕事やら研究やら就職活動の都合やらで、ようやく今になって実現したのだ。だからもちろん、直接ドイツに入ってもよかったのだけど、僕はあまりその気になれなかった。ドイツという国の具体的なイメージがなく、ビール以外にさほど魅惑を感じるほどの情報を持っていなかったのだ。
 土日に5日間の休暇をくっつけて、つごう9連休。その前半はタイで過ごそうと決めた。しかもダイビングを主目的として。気楽でしかも間違いなく楽しめるだろうことが分かっているからだ。期間が短いとどうしてもこのように考えてしまう傾向にあることは、自分でも心に引っかけてはある。
 行き先はサムイ島。バンコクから飛べるし、コンディションとしてはタイ湾の東側がよい時期だし、何より以前一度行ったことがあるから安心感というのがあった。2、3日しかダイビングができないのだから、できる限りのことを決めて行った方が楽である。2年前にオープンウォーターの資格をとったほうぼう屋というお店に連絡をとり、予約をとると同時に同じビーチにある宿も確保しておいてもらった。電子メールというのは本当に便利である。
 バンコクからサムイへ飛ぶ便の切符は、バンコクに住んでおられるM氏に手配をお願いした。考えてみれば始めて会ったのががインドへ飛ぶ直前のことだから、かれこれ知り合って3年半くらいになる。ホームページがきっかけである。
 機内アナウンスで「バンコクの気温は28度」とあった。やれやれ、大阪よりも熱帯のこの国の方がよっぽど過ごしやすそうだ。大阪は異常とも言える暑さで、連日30度を軽く超えていた。
 入国審査を通過したのが3時半。出発の時刻は夜の7時半だから、一度市内へ出てチケットを引き取るつもりでいた。ところが電話をしてみると「いいよ、空港で待ってな。持って行くから」とのこと。本当に彼には世話になりっぱなしである。
 仕事中のはずなのだが、待ち合わせの場所には案の定女性を連れて現れた。バンコクに寄る度に、ちょこちょこと会っているが、その都度新しい方と一緒である。
 空港内で一杯だけビールを飲んで、「じゃまたサムイからの帰りに連絡してよ」と彼らは車に乗り込んだ。
 ドンムアン空港の国内線ターミナルは始めてである。やはりそこはアジアのハブ空港である堂々たる国際線のターミナルとは趣を異にしていて、ぐっとざっくばらんなだらっとした感じがあった。関空から渡り廊下を少し歩くと伊丹がある、というようなものである。
 それでもバンコクエアウェイズの待合いではコーヒー、紅茶、オレンジジュース、それにバナナが無料でいただける。子供用の遊具もあり、なかなかによいサービスである。
 雨期のただ中だから、ずっと空は灰色で時折雨が降っていたが、既に日が落ちた今、窓ガラスの向こうに見える空は真っ暗である。時折雷が光り、遠くの空を明るく映し出している。
 各便の出発が順繰りに遅れていて、予定されていた7時半の便も8時という連絡がなされた。ちらりと耳にしたところでは、サムイ島での大雨が原因のようだ。
 することもないので、コーヒーを飲みながら瀬戸内晴美の「かの子撩乱」を読みふける。奇抜な生き方をした歌人であり小説家であり、岡本太郎の母親でもある岡本かの子の伝記である。眠気か、あるいは旅行用にと用いた使い捨てのソフトコンタクトレンズがまだ馴染まないからなのか、こめかみがうずき続ける。
 ようやくと乗り込むことのできた機体は70人そこそこが乗れるプロペラ機。回転するプロペラの振動が座席の背を通して伝わってくる。飲み物のサービスの際、何も考えず「ビールを」と頼んだら「40バーツです」と言われた。そうか、やはり国内線だから有料なのだ。まあ、よい。ズボンの後ろポケットから財布を取り出してスチュワーデスに渡す。ある程度の贅沢は楽しまないと。

サムイ空港
 前回は学生だったし、サムイ島に着くまでに既に1月半ほど旅をした後だったから、交通機関もバスと船だった。カオサンを出発して丸一晩かかったことを覚えている。
 着陸直前、ビーチが見えてすぐに木々の間に小さな湖が見えた。そうそう、あの横に市場があったよな、と記憶が蘇る。2年前は飛行機で来るなんて考えもせず、チャウエンビーチから着陸するバンコクエアウェイズを見上げていた。今、僕は一人それに乗って夜の空港に着陸した。
 「リゾート!」である。スタッフはアロハシャツのような明るいデザインのシャツをまとい、空港ビルはビルというよりも海辺に立つレストランという趣で椰子であろうか何かの葉で葺いてある。
 肌には感じないほどの霧雨が道路を照らす照明に浮かんでいる。どちらかと言うと気温は低めで、肌寒いとは感じないものの想像していた南の島という空気でもなかった。
 100バーツ払ってチャウエンビーチ方面へ向かうリムジンバス(普通のバンであるが、呼び名がそうなのだ)に乗る。ビーチロードに入ると、アマリリゾートホテルの少し手前で右手に大きな病院があった。そうそう、ホテルを改装してできた病院だとかで、確か中庭にプールがあった。たまたま待合室にいたときに、交通事故で運び込まれた旅行者がいたっけ。
ビーチロード
 そのビーチロードの舗装は相変わらずなっていなくて、歩道は辛うじて水から逃れているが、所によっては車道は完全に水没してしまっている。オープンウォーターのライセンス申請のために証明写真を撮ったスーパーの横も通った。たった2年だから記憶がそれほど薄れているわけでもないのだが、それでも情景から多くが思い出される。ふいに心を掴まえる過去が、賑わう夜の街から僕を引き離す。静かな雨の向こうに見える現実に引きとどまるためには、意識してそれを眺める努力が必要だった。
 チェックインしたら、明日の予定についてほうぼう屋からのメッセージを渡された。部屋は「一番安いのでいいです」と伝えておいた通りで、茶色い水の出るシャワーと、時々回転が悪くなる扇風機が天井からぶら下がっているという程度の部屋だった。それでもシーツは洗ってあるし、バスタオルや石鹸まで用意されていることで贅沢な気分に浸ることができた。
 向かいのスーパーで数枚の絵葉書とさしあたっての飲料水を買う。翌朝の集合時刻を知る必要から、腕時計を一つ買った。普段の生活でも持っていないが、旅行の時はたまに不便になる。まあ時刻さえ分かればよいので、一番安そうなのを選んで値切って買った。NIKEと書かれてはいるが、どう見てもそのちゃちな作りは「ニケ」なんて風に読んだ方がふさわしい。
 その足で海辺に出てみた。見回してみるとすぐ横のホテルはかなりしっかりしたつくりで(部屋代もかなり高そうで)、砂浜からすぐにはきれいなプールもあればバーもある。もちろん、その足でバーへ向かいカウンターに腰掛ける。まずはやはり冷えたビールである。
 寄せる波のゆっくりとしたリズムに耳を傾け、十数メートル先から始まる真っ暗な領域はずっと海なんだと思うと、大きく心身がリラックスする。やはり海はよい。


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