海も市場もカラフルで

 僕のダイビングへの興味を表すには「下手の横好き」ということわざがぴったりだろう。ライセンスをとったのがちょうど2年前のここサムイ島。その後タオ島での極楽のようなダイビング三昧の一週間を経て、昨秋のグァム、冬のパタヤ、ゴールデンウィークの沖縄ともうまったくのリゾートダイバーである。楽しめればよいというのが基本で、特に技術を上げようという方には興味がいかない。資格も上には上があるのだが、今持っているアドバンスのライセンスで十分である。
 機材だって最低限の三点セット(マスク、シュノーケル、フィン)をグァムでようやくと購入し、今回の旅行前に大阪でグローブを買ったくらいである。これくらいならバックパックになんとか詰め込めるのでよい。
 サムイ島二日目。ホテル内の海辺のレストランで簡単に朝食をとり、ダイビングへ出発。空は一面雲に覆われているが、ボートは動き出した。
 自転車、自動車、船、鉄道……これら交通機関で「乗り物酔い」ということは僕には無縁だった。飛行機は唯一離陸時に恐怖を感じることがあるが、まあ気分が悪くなるというのとはまた違う。ところがである、今回は見事にやられた。20人も乗らないほどのボートが波立つタイ湾を進む。出発前日から睡眠不足は引き続いているし、それが疲れとして身体をむしばんでいたようだ。生まれて初めて、見事なまでに船に酔った。
 潜行する地点までは2時間ほどの航程。途中から僕は身体を横たえ、目を閉じ耐えようとした。船は波を越えるたびに上下に揺れる。波が過ぎると、海面まで落下する。そしてまたぐいと持ち上げられ波頭が過ぎると地球がが船を引き寄せる。果てしないこの繰り返し。結果、朝食にと胃におさめたものが全て逆流。吐くものがなくなっても吐き気だけは続く。
 船の狭いトイレで嘔吐し、うずくまる。やれやれ、こんなことでは例え潜ったとしてもあっという間に空気を切らしてしまったり、あるいはそもそもうまく潜ることもできないかもしれない。
 だが、荒れているのは海面だけのことで、一端海中に入ってしまうと格段に楽だった。あっという間に体調も復活。

岩陰のうつぼ
 一本目(使用するタンクの数から、一回のダイビングをこのように数える)はチュンポーンピナクルというポイントである。1年半前にタオ島にいた時によく潜った場所だった。この間はギンガメアジの何千という群に囲まれたり、イエローテールバラクーダなんかの姿を見かけた。
 デジカメで手当たり次第に撮影しながら、気分良く海中散歩が進む。イソギンチャクの森にはハナビラクマノミが共生し、岩陰にはウツボや華やかなオトヒメエビなんかが潜んでいた。
ハナビラクマノミ
 ダイビングの醍醐味はもちろんこういった海の生物をその住みかに入り込んで見物できるということもあるが、同じくらいに愉快なのが無重力の感覚である。呼吸によって肺の容積を調整し、浮力と重力の大きさを等しくすると、浮かばず沈まずという状態になる。上も下もなくなる。だから身体をくるりと回転させたり、あるいは海面を向いたままぷかぷかと漂ってみたりと、普段は不可能な体勢もいとも簡単に実現できる。
 泳ぐという行為よりも、目は見えるし呼吸はできるしダイビングの方が遙かに気楽でしかも楽である。
 透明度も20メートルほど確保されており、もうこれは楽園と言ってしまってもかまわないくらいに楽しい時間だ。
 けれども「空気」という存在はここでは限定されている。30分少々の後に再びボートに上がると、あっという間に失楽園。しかも途中から天気が余計に荒れていて、雨まで降っていた。島影も見えないような灰色のただ中で空からは雨、足下は波、こんな小さなボートで大丈夫なのだろうかと不安になる。気分が悪いので、食事をとるどころではなく、次のポイントまでひたすらに我慢の時間が続く。多少眠れたから助かった。
 二本目は雨のために海水がかき乱されていて視界もぐっと悪い。さらにうまく耳抜きができない。ある程度の深度を越えると、鼓膜の内外での圧力を一致させることができなくて、ぎゅうぎゅうと頭の中が絞られているような痛みに見舞われる。仕方なく一緒に潜った人たちの数メートル上を着いてくしかなかった。
 やはり事前に体調を整えておくことが肝要で、無理をしないというのが大原則なのだ。
 しかし陸に上がってしまえばこちらのもの。ビーチロード沿いのナコンレストランでダイブショップの人たちや他のボートに乗っていた人たちとも合流して夕食をとる。ジンギスカン鍋に似た器具に炭火をいれ、上部では卵をからめた肉を焼き、縁の部分ではスープを煮て野菜や春雨をじゅうじゅう言わせながら煮て、ぴりりとした味のタレで食べる。もちろんパクチーも入っている。食事も進むしビールも進む。やはりタイ料理というのは僕に合っているようだ。
 そして夜はまた隣のバーンサムイホテルのバーで軽く飲む。
 二日目は昨日の経験からボートに乗り込む前にきっちりと酔い止めを飲んでポイントまではひたすら寝て過ごすことにした。この作戦は正解で、セイルロックに到着したときの気分は清々しいもので「さあ、今日こそは」とやる気にあふれていた。
 が、昨日よりも高い波のせいでダイビングは中止との通達がなされる。海の中は問題ないのだが、ボートから海中への出入りが非常に危険だからだ。仕方ない。自然相手なのだからこういうこともあるだろう。
 とりあえずタオ島の近くの穏やかな場所に船は進み、昼食となる。サンドイッチとゆで卵とガイヤーン(焼き鳥)。気分だけは高まっているが、どうしようもないのでおとなしく港に帰るまでの時間を何もせずに過ごす。
 さて、半日ふいに時間ができてしまった。ダイビング以外は何も考えていなかったが、手軽な時間つぶしとしてタイマッサージへ出かけることにした。マッサージおばちゃんたちのおしゃべり以外は静かな部屋で、2時間みっちり全身をほぐしてもらう。
 心なしか軽くなった身体で市場をぶらつく。どんよりとした空の暗い雰囲気がかすむほどに生命力あふれている。生鮮食品の売られている市場というのはなぜにこうまで心を揺さぶるのか。
八百屋さん
 緑や赤が生き生きと目に飛び込んでくる八百屋の軒先に並べられた野菜たち。ぶら下げた動物の肉を切るために、両手にした包丁をシャーシャーと研ぐおばさん。ぶんぶんとたかるハエを棒きれの先に結わえたビニール袋で追い払う魚屋。唐辛子や、味噌のようにも見えるペースト状の調味料が山と積まれていたり。直接に食に関わるそれらの品々は口から取り込まれる以前に既に栄養として僕の身体と心に大いに働きかけてくれる。
お肉屋さん
 クィティオ(米でできた麺)やガイヤーンやカオニャオ(餅米)をつまみビールを飲む。前回は確かカボチャの種をくりぬいた部分にプリンがつまっている、幸せなお菓子を食べた覚えがあるのだが、今日は見つからなかった。
 今日もダイブショップの人たちと夕食。こと食事ということになると、規模の経済性がいかんなく発揮される。先ほど腹におさめたカオニャオが多少の障害はなったものの、イサーン料理をたっぷりといただく。賑やかな部分を外れ、ごくごく普通の人たちが住む住宅街の一角にあるこの店は信じられないほどの安い値段でおいしい料理を食べることができた。
 ダイビング、食事、酒、マッサージ、サムイ島でもくろんでいたことはほぼ堪能した。大いなる満足感。


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