隣の国

 ソウルを選択した理由は大したものではない。これまでの旅行で一番動機付けが弱いかもしれない。「どこに行きたい」というよりも「どこかへ行きたい」という衝動が発端だった。しかもそれは前回のドイツからバンコクを回って帰国した時、関空着陸直前のぎらぎら夏の名残の太陽を跳ね返す泉州沖の海面を見て強く「これはアカン」と感じたゆえの逆説的なものだった。
 祝日と土日と有給休暇を使って5連休を確保。ヴェトナムやら香港やらあるいはもちろんタイなども候補として考えてはみたのだが、できれば行ったことのない国がよかったし、まあ韓国であれば食べ物もおいしそうだから悪くはないだろうと結論した。
 航空券はいつものような格安チケットではなく、全日空が発売している正規の割引運賃のものを購入。今年全日空で国際線に搭乗すると、来年一年また全日空国際線を使うたびにボーナスマイルが加算されるキャンペーンに乗るため。ANAカードを作って以来、どうもうまい具合に乗せられている気はするものの、まあよしとしよう。これがタイなんかであれば同じスターアライアンスに加盟していていしかももちろんもっと低価格で航空券が入手できるタイ航空にするところだが、関空発のソウルだとマイルを加算するには全日空しかないというのもまた理由ではある。
 機内では軽食が供され、お代わりしたビールをあわただしく飲んでいるともう到着である。離陸前には「気温はマイナス7度」とアナウンスされて、11月の終わりにしてはやけに暖かい大阪を出てきた身には驚きだったが、着陸直前には「マイナス1度」と告げられた。いずれにせよ予想していたよりも少々気温は低めのようだった。
 金浦空港はバンコクのドンムアン空港よりも貧相で少し肩すかしをくらった気がした。パスポートを更新したばかりだから、入官職員の気まぐれに任せず行った国から順に前の方のページからきっちりとスタンプしてもらおうとしていた。ところが、「ここのページに押してください」と述べたにも関わらず、曖昧な表情の係員はきっちりと数ページ飛ばしてスタンプを押した。嫌がらせを受けるような理由も見あたらないから、それを不機嫌に感じる前に、彼は英語を理解しないのだろうと自分を納得させておく。しかし入官の職員が英語を解さないということはあり得るのだろうか。
 前回の旅行で余っていた円のトラベラーズチェックを銀行で両替して、地下鉄の駅へ。ソウルは地下鉄が発達していて、しかも安い。市内の光華門という駅まで小一時間。何かの宗教だろうかぶつぶつと文句を唱えて車両渡り歩く男性がいたり、ラミネート加工されたなにがしかの紙を乗客全員に配布して(膝にそれが置かれた感触でまどろみから目覚めた)、気が向いた人がいればそれを幾ばくかの小銭で買うことができるような半ば物乞いの子連れの女性もいた。
 宿をどうしようかと思ってはいたのだが、とりあえずソウルの安宿として耳にしたことのある大元旅館にした。翌日以降はもう少しよい所があれば移ってもよいと考えていたのだが、結局最後までここにいることになった。
 オンドルつきのシングルで13000ウォン。窓もない狭い部屋だが、寝床はベッドではなく床に敷かれた布団だった。床下を通る温風のおかげで外の身が引き締まるような寒さとは違って快適。
 とりあえず南大門、ロッテホテル、東大門というルートを歩いてみることにする。ロビーにいた旅行者から中心部はほとんど歩けると聞いていたので。
 もちろんだけどソウルは立派な都会である。そして歩いている人々の雰囲気も日本に近い。通りを渡るには横断歩道や歩行者用の信号というものがほとんどなく、大多数の交差点は地下通路を通るようになっている。そういう辺りには、誰が使うのだ?というような安っぽいプラスティック製の日用品や衣料品なんかを売っている人たちがよくいた。彼らはおしなべて寒さを避けるようにじっとしていた。
 とりあえず市場にさえ足を踏みれれば、というのがこれまでの僕の経験則だった。そうすれば、人は活気と商売気と食欲とに満ち、そこに異国情緒が溶け込み異邦の旅人にとっては旅の空の許にある醍醐味を全身で味わうことができるのだと。

南大門市場
 しかしここは生鮮食料品も(豚や魚や野菜や)あるのだが、どちらかと言うと衣料品が幅をきかせている。道の真ん中でもワゴンに積んだセーターを大声で群衆に売り込んでいたりする。活気、という言葉が意味するものとは違う気がする。異国を感じるのはせいぜいハングル文字くらい。
 僕が歩いていると、どう見ても今回はしごく真っ当な格好をしているし(Tシャツに短パンにサンダル履きではない)、一見したところではこちらの人々とそんなに違うわけでもないと思われるのだが、どうしても旅行者を相手にしている商売の人からはひっきりなしに日本語で声ががかかる。食堂、乾物屋(韓国海苔が店先にうずたかく積まれている)、鞄屋、革製品屋。日本人旅行者を見分ける彼らの能力は感嘆に値する。けれど、残念ながら僕はとりたててほしい物はないから、「お兄さん」という言葉だけが次々と背後へ流れていく。
 出前の食事を運ぶ女性をよく見かける。頭に載せた盆で定食を運んでいる。人混みの中を早足で縫うように器用に歩いていく。あちこちで店員がよく軒先で食べていた。ごはんと魚の煮込みとたっぷりのキムチなんかが盛られているようだった。しかしその配達人がどこの店から出てくるのかが分からない。トルコでよく見かけたチャイの出前のようなもので、運んでいる人の姿はひっきりなしに目撃するのだが、そこから来てどこへ行くのかが曖昧なのだ。
 ぐるぐると歩き回って、賑わっている食堂が並んでいる場所に出た。そろそろ食事時だし、彼らが食べている定食のようなものにもひかれた。けれど、逆に今度はその勢いに負けてしまい今一歩というところで踏ん切れない。初めての国で最初に知らない言葉や状況への不安を乗り越えるというのは、ちょっとしたエネルギーがいる。僕の弱い部分だ。メニューが分からなければ「あの人が食べているのと同じのを」と指さしさえすればどうとでもなることを経験則的にも知ってはいるのだが、自分でも馬鹿馬鹿しく思うが躊躇してしまう。
 「次にあの手の店を見つけたらそこにしよう」「今の店は麺類だったな、今はご飯を食べたいんだ」といった自分に対しての言い訳だけが次々と浮かんで、結局足を止めることなく歩き続けてしまう。
 しかしお腹が減っているのも事実。それにこうやって逃げてばかりじゃあ何をしにわざわざこんな所まで来ているのか分からない。とりあえずの妥協点として、デパートだかスーパーだかちょっとしたビルに入って、エスカレーターで階上へ。大食堂のようなものはあるだろうという読みは正解で、小さな店がフロアをぐるりと囲み、それぞれに食事を売っている。写真メニューすらある。石焼きビビンバを食べている人を見つけ、近くあった店の人に「あれを食べたい」ということを伝える。う〜んとね、それはうちの店ではやってないんだというようなことを言いつつ、ちゃんとそのお店の前まで連れて行ってくれた。おかげで望みのものを注文することができた。
石焼きビビンバ
 透明なスープ、チジミ、ジャガイモのさっぱりした和え物、青菜と唐辛子の漬け物、白菜のキムチ(あるいはこれらも全てキムチの一種類なのかもしれない)、それに石の器に入ったビビンバ。ナムルがご飯にのっかって、真ん中にはコチュジャンの上に卵の黄身がのっている。スプーンでぐじゅぐじゅとかき回して、じゅーじゅー音をたてながら食べる。意外なほどに量がたっぷりとあるもので、汗をかきつつお腹が満たされた。しかし見た目の赤さで想像されるほどには辛さがない。白菜のキムチにしたって、あれほど赤くなるまでタイの唐辛子で作ったらおそらく口から火を吹くほどに辛いのだろうと思うが、韓国のは拍子抜けするほどになんてことがない。逆に落ち着いた味付けでこれはこれでおいしい。
 有名なロッテホテル。絢爛豪華な建物に入り、宴会場をすり抜け旅行代理店へ。板門店へのツアーの申し込み。しかし「12月まで空きはありません」とのことで、代わりに非武装地帯と北朝鮮が南侵のために掘ってきたトンネルとを見物するツアーを申し込む。これで明日の一日もやることが確保された。
 東大門市場へは面倒くさくなって地下鉄へ乗り込む。こちらの国の携帯電話は地下でも使用できるようになっていた。いろいろ日本と近しいけれど、和音の呼び出し音の機種はまだない(もしくは普及していない)ようだ。老人がいると、すっと誰かが席を譲るというのは日本よりもスムーズに行われていた。身体のゆがんだ老人が回ってきたら、僧衣をまとった女性が幾ばくかのお金を渡していたものの、それ以外の人はあらかた無関心のように見受けられた。
 東大門市場へ出る駅で地上にあがったものの、「こちらの方が華やかでは」と当たりをつけた方へ行くと次第に場末っぽくなり市場の区域からは外れてしまう。こういのが何度か続くとめげてくる。歩道橋の階段や通路にも露天が連なっているが、どれも僕にとって魅力的なものはなく、寒空と相まって早々に引き上げることにした。
 どうも今ひとつだ、との感想に捉えられてしまう。
ビール
 簡易にそこから脱するべく、宿の近くのコンビニでビールを仕込む。冷たいロビーで、ナッツをかじり「カス」「ハイト」「OBラガー」の3種の韓国のビールを飲み比べる。いずれも「薄い」もので、ここにおいても物足りなさを得てしまう。
 宿の人が居酒屋にでも繰り出そうというので、スケールメリットに基づいて話しに乗せてもらうことにした。総勢で6人。適当に繁華街の方へ歩いて、レストランバーの前で呼び込みをしていた男性に一人が話しかけ「オー、コリアンウィスキー」と納得した彼が近くの居酒屋までわざわざ連れて行ってくれた。居酒屋の雰囲気というのも親近感があるもので、ハングルがあることで辛うじて韓国ということを認識する。
 英語が通じないのだが、そこはどうにでもなるもので、周囲で飲んでいるサラリーマンに声をかけて(あまりここでも英語は通じなかったが)彼のお薦めを教えてもらったり、「歩き方」の食事のページを開いて店員に見せ、適当に頼む。飲むものはビールとマッコルリ。マッコルリは瓶で出てきて、柄杓ですくって銘々の器につぐようになっていた。白濁して甘いのだが、さっぱりとした酸味があり暖房のよくきいた店内ではその冷たさもまたおいしいものだった。敢えて言うならばヤクルトをさわやかにしてアルコール飲料にしたような感じだろうか。
 やはり食べ物は赤い色から僕が想像するほどには辛くなく、なんだかよく分からないわりには鍋物なんかも食べることができてそれなりに満足だった。


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