オンドルというのはかなりよくできた暖房器具である。エアコンなどと違って空気が乾燥しないし、床下に熱源が通っているので文字通り足許からじんわりと暖まる。おかげで床に置いておいたカバンまでほかほかしていた。
今日は、板門店へ行けない代わりに、北朝鮮が国境を越えて掘削してきたトンネルを中心とした非武装地帯を見物に行く。
南北の国境(正確には軍事分界線であり、単なる休戦協定に基づいた区分けである)を挟んで2kmだか3kmが非武装地帯として設定されている。よく38度線と表現されるが、より実際には板門店付近は38度線よりも南まで北朝鮮のエリアで、逆に朝鮮半島の東側の方になると韓国が38度線よりも北側まで入り込んでいる。これは休戦ラインを設定する当時、半島の東側は北が西側は南がより侵攻していたからなのだそうだ。
地下鉄に乗ってロッテホテル内の旅行代理店まで出ようと思っていたが、朝方はやはりシャワーが混んでいて順番待ちをしている間に結構時間が過ぎていったので、宿の前の大通り鐘路(チョンノ)からタクシーを拾う。ちなみにシャワーはちゃんと熱い湯が出るので快適だった。
大韓旅行社から参加したのはあと二人いた。日本人の女性とフィンランド人男性のカップルだ。ツアーが始まってしばらくは英語のネイティブの人ではないが一体どこら辺からの人なのだろうと思っていたのだが、パスポートを出した際に「スオミ」という表記が目に入って分かった。
二人は韓国を経由して、タイだかマレーシアだかへ飛ぶ予定にしているのだそうだ。同じ所で申し込んだということもあり、なんとなく彼らとよく話しをした。
バンに乗り込んで一路北を目指すが、そのフィンランド人以外は日本人だった。ガイドは日本語を話す人と英語を話す人の二人が乗り込んでいた。日本語ガイドの女性は微妙におばさん一歩手前というくらいの年齢で、日本語も微妙に下手だった。微妙な、というところが結構居心地の悪いもので、ふんふんと説明を聞いていてもふいにおかしな文法が交じったり、耳から聞かずに学習したからだろうか特殊な熟語の読み方を間違ったまま記憶していたり、あるいは「朝鮮動乱」なんて言われてしまうとちょっとした違和感を感じてしまう。柔らかな布団を何枚も重ねた下に豆を一粒だけ置いて眠るような。
たぶん、これだけ外国語を操るようになるまでにはかなりの努力を果たしたのだろう。けれども実践の場では日本語ガイドに語法の過ちを指摘するような日本人客はいないだろうし、スタートの時点でのわずかな逸れというのが、必然的に彼女の中で拡大再生産されそれなりに大きなカーブを描いてしまうことになったのだろう。
もっとも僕も彼女に日本語を教えるほど親切でもなく、ツアーに参加した客としてある程度の興味が満たされ楽しく半日が過ごせればそれでよいわけだから何も指摘しない。分かりにくいところがあれば、引き続いてマイクをとった人の英語の説明を聞いていればよいのだから問題もない。しかしその二人は同じツアーのガイドでありながら話しの内容が結構違っていた。もちろん日本語を話す人の方が(それにもしかしたら個人的な感情も交じっているのかもしれない)、日本との関わりをより多く説明していた。
財閥(確かヒュンダイ)が寄贈したという橋を渡る。もちろん非武装地帯に入る前にはパスポートを調べられた。示されていたツアーの終了時刻に1時間程度の範囲があったのだが、こういったチェックポイントでの時間が読めないからだそうだ。しかし僕らは運良く10分もかかることなく通り抜けた。
「歩き方」によるとジーンズは不可とのことだったので、わざわざこのために僕はチノパンを一本持ってきていたのだが、まったく問題ないようだった。他の客はジーンズ姿の人もいたが、ノーチェック。
辺りは閑散とした農地と、葉を落とした木がぼそぼそと立ち並ぶ林が見えるくらいで、緊張感というよりも寂寞とした雰囲気の方が強く漂っている。使われていない納屋の外壁に、ボンカレーとかオロナミンCの古ぼけた鉄製看板がぶら下がっていたら似合いそうな。季節が既に冬に向かっているからであって、葉が生い茂る時期ならばまた違った感想を得るのかもしれない。
まずは博物館を案内される。ガイドは軍人に交代する。筋肉と緊張感がぎっしりと詰まったような体躯を迷彩色の軍服に包んでいる若い男性だった。もちろん写真撮影は御法度。北朝鮮がそこにいるという事実よりも、そういう緊張感と日常的に相対している人間が目の前にいる、ということの方が僕にはピリピリとした空気を感じさせた。
戦争中、爆弾を抱えたまま敵陣に乗り込み戦局を転換させた「爆弾十勇士」のジオラマは、その安っぽさがゆえにリアルだった。ばりばりばり、という銃声もまたあまりに嘘っぽい。マニアが作ったガンダムのジオラマの方がよほど現実感はあるだろう。しかしカンボジアのトゥールスレンでも感じたことだが、不思議とこういう展示は安っぽく子どもっぽい方がそれらしい。ガンダムの方がシリアスで、実際の戦争は茶番だから、とまではとても言わないけれど。
振り返った展示ケースには命を投げ出した勇士たちの遺品が並んでいる。鉄兜なんて穴だらけだった。
意外にもと言うのはどうかと思うが、この軍人の兄ちゃんがいい味を出している。日本語はツアーのガイドよりも達者で、何よりその話しが愉快。まあ緊張感の中、軍人が何か意外におもしろいことを言ったら普段よりも笑いのバーが低くてもみんなそのギャップと解き放たれた気分からおかしさを得てしまうのかもしれないのだが。いや、それはそれとしてやはり彼はおもしろい人だった。
製造番号が「1番」と穿たれた国産の銃を説明してその値段が高いことを説明する彼は「ホンマに」と最後に付け加えた。もしかしたら大阪に留学した経験があるのかもしれない。手をつないでいる北朝鮮の金親子が漫画的に床に絵が描かれていて、説明の途中で彼がそれを指摘すると、ちょうどその上に立っていた参加者がいた。「あら、やだ」みたいに彼女がそこからどくと、彼曰く「いやいや、いいんです」と。父親の方にはビニールテープでバツが打たれていた。
漢江を潜水して南に侵攻しようとしていた朝鮮軍兵士の装備一式が展示されていた。フィンは僕なんかのなまくらダイバーが使うものではなく、プロフェッショナルの物だった。なんだか見覚えがあるが、どこかのダイブショップで確かそれを使っているインストラクターがいた。レンズはキャノンで、時計はセイコーを持っていた。そしてそのセイコーはガラスの展示ケースの向こうで、未だに正しい時を刻んでいる。「やはりセイコーですかね」というのがガイド軍人のコメントだった。
この侵略兵を発見した韓国の兵士には日本円にして500万円のボーナスと5ヶ月の特別休暇が与えられたのだそうだ。「私もほしいです。探してるんですけど、なかなか」と彼は冗談だか本気だか分からないコメントをした。いや、冗談なのだろうが。
そして別室でビデオが上映された。深夜に放映されている二昔前のNHKのドキュメンタリーの再放送という趣だった。実際に制作時期はかなり古いもののようで、そのナレーションは「仮面ライダー本郷猛は改造人間である」という語り口に似ていた。これを見ていると「北朝鮮の共産勢力が」なんて力強い言葉ですら「死神博士の正体はイカデビルだったのだ」というのと同じ地平にあるように思えしまう。
この博物館全体がなんの目的にあるのか分からないけど、昨今の潜水艦事件のあたりまでは展示の時間が追いついてない。けれども、少なくともガイドをしてくれた彼に接する限りでは、日本語教育と外国人に対する広報(と言っておく)についてはかなり考えられているようだ。
再び車に乗り込むと次は展望台。入り口には「ここは非武装地帯で、常時敵軍が挑発行為に出る可能性がある」という警告があった。くすんだ迷彩色の建物に入ると、正面がガラス張りになっていて手前は座席になっている。まるで劇場のようだ。もちろん向こうに散見される建物や、同じように寂しげな枯れた風景というのは完璧の現実である。
望遠鏡が設置されているが、もちろん観光施設であるわけだから無料ではない。500ウォン硬貨を入れて向こう側を見ることになる。しかしすぐそこにノドンが配置されているわけでもなければ、マスゲームが行われているわけでもない。なんとなく「うん、北朝鮮を目の当たりにしたぞ」という感慨を得るくらいである。赤道を超えたときの感想にも似ている。
金正日の銅像があり、夜にはライトアップもされるということだったが、500ウォン硬貨を二枚使った間には僕の視界には捉えられなかった。ちなみにその銅像は国中に何百体もあるという説明を聞いた。明確な数字を教えてもらったのだが、記憶していない。