欠落感

 昼前に起き出した。ジーンズの裾と靴に吐瀉物が干からびていた。記憶が蘇る。昨夜、三次会として繰り出したバーで一杯目が出てくるまでにダウンしてしまい、わずか3分ほどの宿までの道のりに数度、胃で暴れるアルコールを吐き出したのだ。わざわざ休暇をとってソウルまで来て、と沈鬱な気分に陥ってしまう。
 パリパリに乾ききったそれをこそげ落とし、行動開始。今日は眼鏡を作るのだ。ソウルは眼鏡が安いと「歩き方」にも紹介されていたし、そう言えば以前旅の知り合いが「ソウルで作ってきた」とも言っていた。
 普段はハードコンタクトレンズだが、当然ながら眼鏡だって必要である。今使っているのは、購入して2、3年というところだが、結構へたってきていた。
 南大門市場を歩いていても、日本語で宣伝文句が書かれた眼鏡屋を何軒か目にした。しかし向かうのは、明洞の地下街。ここの商店街に眼鏡屋が多く集まっている。なんとはなしに「歩き方」で紹介されているお店は外して探す。店の雰囲気や店員の感じなぞを横目で眺めて比較検討しながらある店に入った。ありがたいもので100%日本語で会話ができる。
 検眼をしてフレームを選んでレンズは一番薄いものを入れてもらう。そして値段交渉。ぐんぐんと安くなる。結局二本で18万ウォン。日本円で考えると1万8千円弱だから、破格の値段だと思う。しかしそもそもソウルでの適正な相場がはっきりとは分からないので、交渉の過程で自分で見出した妥協点に落としこんだことでよしとする。夕方にはできあがっている、とのこと。
 入った側と逆の扉から出て、ふと振り向くと「るるぶで紹介されました」と大きく書かれていた。苦笑、である。

明洞
 その足で地上をぶらぶらする。ショッピング・レストランエリアと言ってしまってよいと思う。確かに高級ブランド品の店が並び、派手な看板にはハングルと同じかそれ以上にアルファベットが書かれている。その雰囲気はしかし、難波と秋葉原とをごちゃっと混ぜたように感じられる。派手である、賑やかである、けれどあか抜けていない。野暮ったいのである。
 食事についても、ビールについてにも感じられた「あと一歩」というところで間が抜けている。例えば、街を美しく造ろうとして道路は白いブロックで舗装されているが、場所によってはまだ土が剥き出しになっていたりもする。どっちつかずなのに、「これから先はちゃんとなる」という前向きな姿勢を見て取ることができない。
 そしてそこには消極的な肯定があって、開き直りというような積極性もぽっかりと欠けている。あと一段階を昇るためのエネルギーが不足しているように思える。
 その中途半端な街で、空虚性を埋めるべく僕がとった行動はものを食べるということである。経験的に、食事をすることで気持ちが引っ張られることを知っているから。もしかしたら虚ろなのは街ではなくて、僕なのかもしれないという認識を持ちつつ。
カルグクス
 ネンミョン(冷麺)をすすり(日本語メニューだった)、スターバックスの二階から通りを行く人々を眺め(ガラス窓は汚れていた)、カルグクス(うどんに似ただしにはいった麺)を胃におさめる。この土地ではいつも誰かが何かを食べている。カルグクスの店に入ったのは昼時と夕方との中間くらいの時間帯だったが、ほぼ満員で、皆僕にしてみれば少々大きすぎると思われる丼から麺を食べていた。わんこそばのごとく、次から次へと補充されるキムチは悪くないのだが、スープはやはり芯が通っていないような味だった。
 ロッテデパート内にある免税店で酒の品揃えを見たが、あまりに選択肢が少なかった。空港に望みをつなぐ。
 眼鏡を引き取って一度宿に戻る。書棚にあったるるぶを手にとってみたら、表紙の裏に先ほどの眼鏡屋の大きな広告が載っていて、「るるぶを見た、と伝えれば25%オフ」とある。あちゃあ、と思ったが25%よりもわずかに値切ったので少しほっとした。
 ロビーで旅行者と話しをしていたら、ソウルのサウナはかなり気持ちがよい、ということが話題になった。
 ならば、と僕も出かけてみることにする。彼らが話題としていたのは、近所のいわば銭湯的な所だったが、僕はせっかくだからともう少し格の高そうな店を狙ってみることにした。一度くらいこういう贅沢をしてみたかった。それでも一流ホテルに併設されたサウナはあまりにも値段が高すぎるので、「明洞汗蒸幕」という店に決める。
 ビルの階段を上り、受付を通り中へ入ると客は僕一人だった。服を脱いで、シャワーをざっと浴び、サウナに入って冷水槽につかり、 寝台に横になると垢すりが始まった。石鹸を塗りたくり、力をこめて全身をこすられる。はい、おしまい、である。オプションメニューとして提示されたその他のサービスを断って基本的なコースだけにしたらこれが全てである。コストパフォーマンスがすこぶる悪い。悔しいからサウナと冷水を数度繰り返す。大元旅館で皆が語っていた感動とはほど遠かった。いっそ金をかけるなら、最高ランクを選ぶべきだったのかもしれない。中途半端な僕の選択はより虚ろな気持ちを押し広げただけの結果に終わった。
オデン屋台
 焦った気持ちを抱えながら、夕食に屋台のオデンとマンドゥーをぱくつく。オデンは韓国語にもなっていて、串に刺した練り物をことことと煮込んである。それを頬張ると同時に、だしを紙コップに注いで飲む。マンドゥーは、蒸した餃子である。これはほっとするような味だった。店のおばちゃんとの身振り手振りを交えたコミュニケーションも、少し気持ちを引っ張りあげてくれた。やはり、僕はこういうのが好きなのだ。


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