予約変更不可

 西宮北口の駅前から関空への直行バスが、つい一月前から走り始めた。これまでは阪急電車で一度梅田に出て、そこからバスに乗っていたので、家を出てから空港までどうしても2時間近くかかったが、新しい路線のおかげで1時間半を切るくらいで行けるようになった。まるで僕のためにできたようだ、とさえ思ってしまうほどにありがたい。
 土曜日の早朝の出発。さっそく西宮北口発、関西国際空港行きのバスに乗り込む。しかしすぐ隣には今津行きの三両の列車が止まっているというのはおかしな感じだ。
 高速の入り口は、季節のよい時にたまに自転車でぶらぶらする海辺に近かった。スムーズに湾岸線を流す。うとうとしている間にもう到着。三ヶ月ぶりの関空。
 エアポートピックアップにしておいたので、航空券は空港で入手。全日空のビジネスクラス用のカウンターで並ぶことなくチェックイン。もちろん搭乗するのはエコノミークラスなのだが、ANAカードの「ワイド」会員(年会費が通常より少し高い)なのでこの特典が利用できる。
 今回のチケットは、全日空のGET運賃利用。プーケットのダイビングというのは昨秋くらいから頭にあった。マレー半島の西側にあるこの島は今が一番よいシーズンなのだ。ちなみにサムイ島やタオ島などの東側はちょうど日本の夏くらいがよい時期だ。
 そもそもは一週間前の3連休の前後に有給をつけて飛ぶつもりにしていたのだが、座席がとれなかった。当初はタイ航空を考えていたのだが(深夜大阪発、早朝バンコク到着という非常に使い勝手のよい便があるし値段も安い)、残念ながら空席が出ない。代わりにということで、全日空を選択。
 空席を照会したところ、希望していた翌週ならば行きは2席、帰りは5席の空きがあるとのこと。さっそく予約を入れる。バンコクとプーケットはタイ航空になる。
 バンコクでの乗り継ぎで一番都合のよい便は満席で、購入期限までにキャンセルが出なかった。その次だとドンムアンで3時間待ちという中途半端なことになるので、思い切ってバンコクで一度下りることを考えて夜8時過ぎの便で確定。土曜日だから、ウィークエンドマーケットへでも出向くつもりだった。
 正規の割引運賃だから格安航空券よりも値段は張る。どうしても格安航空券のイメージが拭い去れない僕にとっては、今回支払った金額だと、ヨーロッパくらいまで行けそうな値段に思えてしまう。
 GET運賃の規定の一つに予約の変更がきかないという点がある。それでも少し悪あがき。もしできればバンコクからスムーズにプーケット行きに乗り込めればそれにこしたことはないので、バンコク発の時間を早めることはできないか、と。全日空のカウンターではもちろん「できません」との返事。これは予想の範疇。
 プーケットまでの手続きをとらず、バンコクまでに留めておく。荷物も預けずに、機内持ち込みにしておく。その足でタイ航空のカウンターへ向かって「バンコク、プーケットの便の変更したいんですが」と訊いてみる。「ここではできないので、予約のオフィスに電話をしてみてください」と番号を渡される。係員は「そのチケットだと変更できないと思うのですが……」と言ってくれた。うん、僕もそう思う。
 公衆電話から教えられた番号にかける。応答したのはテープに吹き込まれた女性の声。「土日祝日は……」。こんなものだろう、なんとなく電話が通じないことも予想の範囲。
 大阪での悪あがきはここまで。
 荷物の検査場は混雑していたが、出国のカウンターはスムーズ。途中でキダタロー夫妻を目撃した。帰国後、会社のエレベーターで(我が社のラジオが流れている)キダタローがバンコクについて語っていた。どうも彼らもタイへ行ったらしい。
 Tシャツに着替えて、380円の缶ビールを一本。朝の陽光が広大なガラスを通して降り注ぐ。目の前にはボーイング767が待っている。
 機内のスクリーンには外部カメラの映像が映し出されている。個人的には、地図上で航路をトレースしていくタイ航空の映像の方がおもしろいと思う。それほどよくもない画質で、ずっと空と雲を見ていてもあまりおもしろくない。
 上空でビールと白ワイン。もうこれだけでくたっとしてしまう。スチュワーデスをつかまえてはビールを注文していたのはついこの間なのに。コーヒーを配っている人にも「ビールを下さい」とは言わず、黙ってカップを差し出してしまう。 疲れているのかもしれない。決して多くはないアルコールで睡眠が誘発され、しばらく眠っていたらもうあと一時間で到着するとのアナウンスがあった。
 ドンムアン空港で入国手続き。「タイパスポート」と示された人の少ないカウンターで簡単に入国。いつの頃に気付いたのか、はっきり言って「ASEAN」「外国人」「タイ人」「外交官」という入国審査のカウンターの区分はここに関しては意味がないようだ。日本人はだいたい丁寧に前者二つに列をなすから、「タイ人」という部分は空いていることが多い。しかしさすがに「外交官」レーンに並んだことはまだない。
 当座のお金だけを両替して、さっさと国内線ターミナル行きのシャトルバスに乗る。
 タイ航空国内線のチェックインカウンターで再び「時間の早い便に変えたいんだけど」と訊いてみる。ここでだめならおとなしく夜の便でチェックインして荷物も入れておくつもりにしていた。すると、「では、あちらのスタンバイのカウンターで手続きして下さい」
 ここで念のためにタイ航空のマイレージクラブのカードを提示しておく。「シルバー」のステータスのマークが印刷されているが、実はこれはとっくに期限が切れている。シルバーならばキャンセル待ちの優先順位が普通の人よりも上げてもらえるので、半ばはったりである。
 もらった番号は35番。30分ほど待って再びカウンターに赴くと、3番目に名前が呼ばれて簡単に席がとれた。その場で荷物を預けて搭乗券をもらう。
 よく考えたらここで確保した997便というのは、最初の予約の際に「空席はあるが最低乗り継ぎ時間の1時間半未満なので、荷物のスルーチェックインもできないし、万一バンコク到着が遅れても振り替え便が出せない」と言われていた便である。あまりにうまく行き過ぎているが、おそらくタイで手続きをとれば予約の変更できるのではないかとなんとなく楽観的に予測していたのでそれが実現してとてもうれしい。繰り返すが航空券にはきっちりと「予約変更不可」と記されてはいたのだが。
 「飛行機なんてそんなもんよ」と以前言っていた人がいることを思い出す。そのとき彼女は伊丹から羽田へのキャンセル待ちをしていて渡された番号が確か100番台だったが、あっけなく搭乗することができた。
 「うん、そんなもんなんだな」と今さらながらに思った。
 新品のような飛行機で1時間と少々。到着した空港もまた新品だった。思っていたよりはこぢんまりしている。乗り合いのバンで120バーツを支払って宿の名前を告げる。車は島を南へと走り出す。
 夕暮れ時の到着はさみしい。未知の土地で日が陰ってゆくと心細さが闇と共に忍び寄る。車窓を過ぎていく風景は、奔放な熱帯の植物が繁茂し時折人家が垣間見える程度。「土地売ります」と書かれた巨大な看板が道沿いに立つ。それでも中心部に行けば闇を覆す光と人いきれが充満していることを確信的な期待として、あるいは希望観測に基づいた経験論として、心のどこかにしぶとく有している。
 そしてそれは現実になる。ぼちぼちと同乗者が降り始めたそこはパトンビーチ。プーケットで最も賑わう区域である。リゾートを味わいに世界各地から集まった人々が、特有の熱気をまとって道を歩き、あるいはレストランで食事をとり、またあるいはみやげ物屋で買い物を楽しむ。マクドナルドもケンタッキーも、スターバックスも明るい光を放っている。パタヤよりよっぽど洗練されている。
 しかし僕が宿泊するのはカタビーチとカロンビーチのちょうど中間点。もう少し先へと進む。
 時間が短いことから、今回の宿はあらかじめ予約していたし、半額を既にクレジットカードで支払っていた。タイスクエアというメールマガジンを購読しているのだが、ふとそこに書かれていた「プーケットウォーカー」という情報サイトを運営している旅行代理店を通じて予約をとった。
 そもそもはダイビングショップをあれこれと検索していて、内の一つにほぼ決めていたのだが、このプーケットウォーカーに掲載されていたダイビングの料金表は破格の値段設定だった。半信半疑ながらメールを送り、主催は「マリナダイバーズ」というフランス人が経営しているショップだと知る。念のためにそちらのホームページも参照して、何ら問題が見受けられないことを確認。いや、むしろより気持ちが奮い立てられた。
 さっそくに元々連絡をとっていたダイビングショップに断りの連絡を入れ、こちらで改めて予約する。マリナダイバーズのページにはツアーに二日間参加すると5%の割引があるとあったので、再度代理店の方にもそれが利用できるかを確認する。もちろん、可能だった。
 そんなわけで、初日の3ダイブと二日目の2ダイブ、それにプーケット滞在中のカタガーデンリゾートでの宿泊を全て確定させていた。
 「ここだ」と降ろされた目の前にあるのは、紛れもないリゾートホテルだった。僕が予定を早めて到着したことに起因するのか、部屋に入るまでちょっとしたトラブルがあったものの、まあ立派なホテルである。プールはライトアップされ、バンガロータイプの部屋まで歩く間はブーゲンビリアやハイビスカスが咲き乱れている。もちろん、荷物はポーターが運んでくれる。部屋にはエアコンが備え付けられ、お湯も出る。とは言え、これまで泊まったことがある宿の中で二番目に高い料金だから僕の方もそれなりの期待はしていた。だからトイレットペーパーは当然ながらシャンプーや歯ブラシも持参していなかったのだが、残念ながら備え付けられていたのはトイレットペーパーと飲み水、それにバスタオルだけだった。
 部屋で少々時間をつぶして夕食をとりに外に出ようかとしたところ、ちょうどロビーの所で旅行代理店の人が集金にやって来た。タイ人スタッフだが、日本語はぺらぺら。いきなり彼女にタイ語で話しかけられたのにはまいった。「ホテルのフロントの人が、あなたはタイ語ができると言っていたもので……」とのこと。いや、まあ挨拶くらいは、とお茶を濁して日本語で会話をしてもらう。
 さあ夕食。とりあえず明日の朝が早いので手近な店に入ってメニューをざっと眺め、ヤムタレー(タイ風シーフードサラダ)とシンハビールの大瓶を注文。「辛くしますか?」と訊かれたので「辛くして」と。うん、これくらいならタイ語でできるようになった(発達が遅い気もするが)。
 二本目は「シンハの小瓶」とウェイターに頼んだのだが、出てきたのは大瓶だった。まあ、よい。しばらくしてウェイターが「あれ、小瓶を注文してましたよね?」と言ってくるが、「まあ、いいよ、これで」と結局しっかりと飲み干す。けれどももうこれで十分なくらいに酔いが回ってしまった。
 湿度の高い高温を孕んだ空気に耐えかねて、短パンを買った。その店の親父となんだかタイ語で会話をした記憶があるのだが、一体何をどのように話したのかしっかりと覚えていない。


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