異形の世界

 エアコンの効いた部屋で快適に目覚める。起きた時に、汗でじっとりとしていない、というのはやはり気持ちがよい。コテージの外から鳥のさえずりが聞こえてくる。ブーゲンビリアとハイビスカスが柔らかな朝の光に南国の色彩を添えている。

ホテル
 テラスで風に吹かれながら朝食。最後にパパイヤにライムを搾って口に運び、コーヒーでしゃきっと覚醒。
朝食
 集合場所のダイブショップはホテルから徒歩で2分ほど。桟橋まで車で運ばれ、波打ち際をじゃぶじゃぶと歩きながら小舟で沖合のボートまで。船上でガイダンスがあり、グループ分けされる。僕がバディを組むのは少々髪の毛の寂しい、フランス人のローレント。
 ポイントまでは海を眺めたり、太陽に身体をさらしたり、あるいはうとうと眠ったり。波も穏やかで、進むにつれ海面の青が濃度を高める。
 一本目は「コ・ドック・マイ」というポイント。英語的に発音されているが、タイ語の意味としてはおそらく「花の島」となるだろう。
 半年ぶりということで、エントリー時に少々ナーバスになる。やはりどうしたって、船の上から水面に飛び込み、水面下30メートルほどまで一息に降りていくときにはある程度の怖さはつきまとう。
 ダイビングは必ず最初に一番深い場所まで潜る。水圧により窒素が濃厚に血液中に溶け込むのだが、それを徐々に抜きながら(そして最後は水深5メートルで3分間の安全停止を行う)水中を漂うのである。窒素の処理を間違えると、いわゆる潜水病が待っている。これの怖さと回避の方法については、ライセンス取得のための講習時にいやというほど繰り返し教えられた。
クマノミとイソギンチャク
 海の中というのは異形の世界である。あるいは夢と言ってしまってもよいかもしれない。普段陸上にいては見ることのできない色彩や生き物や珊瑚が世界を構成し、我々は限定された空気と数種類の器械を使用することで垣間見るのだ。例えば、クマノミとイソギンチャクの共生の情景にしてみても、もし地上であんな触手を持った生き物がいたら不気味に感じるだろうが、海の中にあってはそれは微笑ましくすらある。
 ここで見た珍しいものは、タツノオトシゴ。20センチほどの間近で観察したが、その不思議な形態の生き物は「カリカリ」と「ふにゅふにゅ」という手触りの両方を併せ持っているように見える。
 2本目は今日のメインイベント。沈没船ダイビングである。キングクルーザーという客船が海の底に横たわっている。そしてそれは海の生き物の恰好の住みかなのである。ガイダンスの際に、沈没の理由は船長かあるいは船員が酔っていたからかもしれない、と言われた。幸いなことに、死傷者はゼロだったとのこと。もしも死者が出ていたら、趣も少々変わったものになっていただろう。
ミノカサゴ
 船の周りのみならず、その内部までを探索する。屋根がある海というのは初めてだ。かつては床と天井であったものの間隔は2メートルほどだから、浮力の調整を気をつけながら進む。それほど深さはないとは言え、内部にいると光は限られている。窓から差し込む淡い太陽光が逆光になり、魚や周りのダイバーの姿を影として映し出す。大きなハリセンボンやミノカサゴがそこかしこにいる。
 船の前方から入り、後方へ抜けて周囲をめぐる。かつてのデッキの手すりや碇を巻き上げるウィンチなどあらゆる所に貝がびっしりと貼り付いている。
 海から上がると、昼食である。基礎的な体力が減少してしまったのか、食欲もさほどない。ご飯に数種のおかずをぶっかけて食べるが、お代わりも必要としない。
 バディを組んだローレントと食事をしながらおしゃべりをする。「休暇でしょ」と訪ねたら「いいや、出張の途中なんだ」という少し意外な返事。
 先週はシンガポールにいて、明日の朝にはチェンマイへ飛ぶのだが、今日は日曜なのでホテルにいても仕方ないからプーケットに来たのだそうだ。さらに話しを聞くと、さらにそこから香港を経由して来週には東京に行くらしい。仕事はワインのプロモーターで、会社はボルドーにあるとのこと。はっきり言って、格好良い。
 「タイ料理はワインに合うの?」「いや、残念ながらあまり。敢えて言うなら腰の強い赤くらいかな」
 タイ北部でワイン作りをしているフランス人の話しをタイ航空の機内誌で読んだ記憶があるので、それも話題にした。
 僕は大阪から来たという話しをすると、「大阪へも行ったことがある。ヒルトンホテルでプロモーションをしたんだ。これからもまた機会があると思う」ということで、メールアドレスを教えてもらい、帰国したら連絡することにする。「よかったらそのメールに君の電話番号書いといてよ。大阪に行くことがあったら、連絡するから」
 ダイビングの際は、バディシステムというのが大原則である。二人一組になり、必ず相手を気遣いつつダイビングを楽しむのだ。万一の際には素早く対応できるようにするためである。もしバディを見失ったら一分間だけ周りを探して、それでも見つからないようなら海面に戻るというルールもある。
 もちろん、事故を防ぐという意味だけでなく、「あそこに魚がいる」などという情報の共有もできる。僕はデジカメを持って潜っているので、一枚彼の写真も撮った。帰ったらメールすることにする。(帰国後しばらくして「これまでの僕の写真の中で最高の一枚だ」とサウスカロライナから返事をくれた。)
 相手にもよるのだが、彼とは結構頻繁にシグナルを送り合い、安心て潜り続けることができた。だいたい技術のレベルも同じくらいだったというのも都合がよい。自分より上手な人だと気を遣うし、下手な人だとそれはそれでまた別の気の遣い方をするし、あるいはフィンでけっ飛ばされたりしてしまうことだってある。水面下での各種のストレスは、空気の消費量に影響を与えるので、リラックスできる環境というのはものすごく重要である。
 グループの人たちが同じレンタル機材を使用していると、なかなか個人の認識が難しいのだが(マスクをかぶっているので、顔でアイデンティファイしにくい)、その点でもローレントはありがたいバディだった。その毛髪の薄さと露出した頭皮によって、僕は彼の姿を他者とはっきりと区別することができた。
 一気圧下で安全なレヴェルまで窒素を抜くと、本日の三本目。シャークポイントという名称だったが、残念ながら鮫を目撃することはできなかった。3センチほどの体が透けた魚が何万と岩礁の周りを泳いでいた。あるいは、20センチはあろうかというエビがすばしこく海底を歩いていった。
 海中と夢との類似性は、覚めたときに事物に対する記憶や自分の思考がかなりの程度個別性を失ってしまい、地上の世界に持って帰ることができるのはトータルの漠然とした情景でしかない点である。


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