山を歩き、雨を眺め

 できたばかりの航空会社だから、機体は新品ではないだろうとの予想は違わなかった。「機内安全のしおり」には、「中国北方航空」という文字がそのまま残っていた。やれやれ、これまたえらいところからのお下がりだ。と、思いきや通路で非常時のためのデモンストレーションを始めた客室乗務員がまとった黄色い救急救命胴衣には「中国東方航空」の黒い文字が。どういう経緯で大阪、バンコク路線を飛ぶことになったかはもちろん知る由もないが、かなりスリリングではある。
 僕の席はエコノミーの一番前だから、カーテン越しにビジネスクラスの辺りを垣間見ることができた。乗客はゼロであった。それもそうだろう。だいたい、搭乗を待っている間に視界にいたのは、低予算で旅行するのが好きそうな雰囲気のただよう人々か、あるいは学生らしき風貌の人たちが多かった。
 それでも、僕はこの航空会社に、厳密に言うならば乗務員には好感を持った。機体こそくたびれているものの、乗務員はやるべきことをやり、そしてその表情が楽しげだったからだ。
 夜食に供されたサンドイッチとビールを食べかけ飲みかけのまま眠りに入り、目覚めたらトレイから片づけられていた。眠いままに早朝のドンムアン空港に到着。相変わらず、空気はよい匂いがする。
 A3のエアポートバスで終点のエカマイまで。空調の効いたバスの中、バンコクの風景を眺めやることはなく、ここでもしばしの睡眠を。
 エカマイは、以前のパタヤ行きのときにも来たことがあるので感じはよく分かっている。それに、北バスターミナルのように迷うほど広いわけではない。タイ語の会話初歩のようなやりとりで、サメットへの船が出ているバーンペーまでの乗車券を買う。他の人たちは、「4人」とか「5人」などと窓口で伝えていたが、僕は人数を問われたときには「一人だけ」と答えるしかなかった。
 若者のグループが多いなという印象は目新しかった。10代後半、あるいは20代になったばかりという世代の友人どうしが数人ずつのグループを作り、群れている。それは僕が切符を買ったバスも同様だった。僕は車内の平均年齢を上げている側に属していた。夏休みに学生が手軽な海に出かけている、そんな感じだった。
 前方のテレビ画面からはタイ語に吹き替えられたどこかアジアの映画が流れ始めたが、車掌から配られたミネラルウォーターとマドレーヌのようなケーキは受け取り、派手な色をした炭酸飲料は断って僕はバスの座席に埋もれて、昨夜来の不足している睡眠を取り戻し始めた。
 うまい具合に眠りに落ちている時間はたまに理由なく分断された。どんよりとした雲に熱帯植物の茂る草原の中のよく舗装された道路を走り続けていた。何度めかのぼんやりとした覚醒のときに、上映されている映画にふと見覚えがあることに気がついた。熱帯魚水槽の並ぶ家を軍の特殊部隊が急襲するというそれは、つい先日DVDを借りて見たばかりの韓国映画「シュリ」であった。
 バーンペーに到着。相変わらず日はぼんやりとしている。人の流れに沿って、大きな市場に入った。魚の加工品が売られる、大きな市場だ。あるいは、島へ渡る人を狙ったおみやげ販売センターのようなものかもしれない。これを抜けたところに乗船券の販売所があった。サメットはそれほど大きな島ではないが、複数のビーチへ向かう複数のルートがあり、距離に応じた値段が設定されていた。
 今朝、エンジェル航空の乗務員と交わした「どちらへ行かれるんですか?」「サメットまで」という会話に続いて、彼が薦めてくれた「ウェーンドゥーアン」というビーチへの往復の切符を買った。僕が持っている、5年ほどの前の版のタイの「歩き方」には、ここの券売所でのトラブルのようなものが記載されていたが、なんと言うことなくスムーズだった。
 船は、港につながれているオレンジや緑に彩られた漁船たちよりは少し大きいという程度のものだった。沖合に出れば、濁った海水も南洋独特の色彩を取り戻すだろうと期待していたが、空は晴れることなく、海の色は濁った灰色から濁った灰緑色に変わっただけだった。さらには少々風も吹き、船が横に揺れる原因となった。
 最初に寄った港で、人が多く降りるから一抹の不安は抱きつつも深くは考えずに列に連なった。そこらにいた人を掴まえて「ここはウェーンドゥーアンですか?」と訊くと「違う、ここからは車でしばらく行かなければ」ということをジェスチャーから読みとった。ここが僕の目的地ではなかった。
 危ないところだった。状況が危ないのはもとより、こういう適当な行動をとってしまうこと自体が危険をはらんでいる。「ま、いいか」が通用しない状況がその内到来してしまいかねない。
 慌てて船に戻り、乗り込もうとすると、船員から「チケット?」と言われた。それはそうだ。財布に入れたものを取り出し提示。ほっとした。
 先ほどは小さいながら港という感じだったが、次は完璧に砂浜、ビーチ、であった。周りの人に確かめる。最初からこうしておくべきだったのだ。この船は直接には水深の浅い場所まで行けないので、渡し船としての役割を果たす、エンジンのついた板のようなものが操られてきた。他の全員に倣ってそれに乗り移る。
 ここでまた料金を請求されたが、他の誰もが払っているので同じように小銭を渡す。砂浜に到着するや否や、迷彩服を着た何者かが数人我々のところへ寄ってきた。見ると、それぞれがまたお金を渡している。なんのことか理解しかねるが、ここでもやはり倣うよりないだろう。
 僕のところへやって来た一人がタイ語で「タイ人か?(コンタイ?)」と訊いてきた。僕は迷うことなく「日本人(コンイープン)」と返事をした。すると200バーツを請求された。他の人が支払っているのは20バーツ札だった。渡されたのは、国立公園への入域料の領収書だった。いわゆる、外国人価格ってやつだ。下手にまじめに答えずにタイ人かと誰何されたときに「そうですよ(チャーイ)」とでも言っておけばよかったのかもしれない。
 だが払ってしまった以上はしようがない。それにここでごねてどうこうするほど長い時間の旅でもないのだし。でも、僕以外の外国人男性(傍らにはタイ人女性)は自分のバイエル製薬の名刺を提示して「私はタイに住んでいるんだ」と主張していた人もいた。
 到着してすぐの宿はなんとなく場所がいいだけに高いだろうしという推測と天の邪鬼的な発想から、少しだけ歩いて見つけた「キャンドルライトビーチ」への看板に従う。そこにあった宿で部屋について訊いてみるものの、満室だとのこと。もう一軒も同じく。仕方なく歩みを進める。だが次第に海沿いの歩道は姿を消し、岩がごろごろする藪に変わってきた。僕の少し前を同じ船から下りた西欧人男性とタイ人女性というカップルが歩いていたので、何かはあるんだろうと思った。彼らが立ち止まったところで声をかけてみた。もしかしたら、その二人は人のいない、二人だけの場所を探していたのかもしれないが。
 「今までの宿でずっと満室だったんだけど、この先にも泊まるところはあるよね?」
 「15分ほど歩くと、ステキなビーチがあるよ」
 その距離の長さに少し気落ちしたが、仕方がない、歩くことにする。ほとんどロッククライミングのような場所も越え、バックパックを顔の前に掲げて木の枝や蜘蛛の巣が身体にかからないようにしながら、僕はこの小さな島のどことも知れず場所を分け入った。海はいつの間にか視界から消えていた。
 背中の小さなザックにはパソコンが入っているから、転ぶわけにはいかない。皮肉なことに日が照ってきたので、蒸し暑いことこの上ない。短パンに履き替えた。Tシャツはぐっしょりと上半身に貼り付いている。
 これまでの旅の中で、こんなワイルドな状況ははじめてだ。インドネシアでも熱帯雨林の懐に入ったことはあるものの、それはガイドもついたトレッキングツアーとしてだった。
 時計を持たないので、どれくらいの時間だったかは分からないが、チェックインできる宿を見つけるまでには先ほど聞いた15分以上はかかっている。藪をかき分け、再び点在するバンガローが目に入った。
 フロントの感じからも安宿よりは少し高そうであったが、最初に提示されたのは900バーツであった。バンガローで、それも海は見えない森の中にある。値段交渉をしていたらフロントが「少し待ってね」と無線機のマイクに向かって何事かを話し始めた。「バーンペーの方に訊いてみないと」ということだった。
 その無線交信の結果800バーツでとりあえず僕は一泊分を支払った。
 部屋へはゴミが脇に散乱する小道を通って、海を背に20mほど山側に入ったところだった。エアコンはなく、布団は湿っぽかったが、他にいかんともしがたいので荷物を解いた。
 何はともあれ、シャワーを浴びてここまでの汗を水で流す。ようやくと人心地がついたので、海辺に併設されているレストランへ出て(レストラン、と言うほど大層でもない)、シンハビールとつまみにフライドポテト。
 ほっと一息には違いないのだが、このフライドポテトというのが僕がこれまで食べた中でもっともひどい代物だった。ジャガイモ自体はすかすかで、そこによく切れていない油が貯まっている。冷凍されていたジャガイモから水分が抜けきっていたのではないだろうか。まるで塩の溶けた油を食べているかのようだった。
 どんな状況でも、おいしいものは気持ちを上向けてくれるが、せっかく宿を見つけたという喜びもこのまずいフライドポテトのせいで少ししぼんでしまった。
 空は再び重たく暗い色を集めていた。中国系に見えるお腹の出たおじさんたち数人が、それでも海ではしゃいでした。けれど、それも長くは続かなかった。空は刻一刻と光を失っている。まるで辺りにいる人々が呼吸するごとに、光をも吸い込んでしまっているかのように。あまりに明快に、雨へと向かって進行していく。最初の一滴が落ちると、誰しもがあらかじめ決められたシナリオに従うみたいに、静かに整然と海辺から屋内の席へと移った。
 激しい雨を眺めながら、ビールを飲み続ける。
 お腹も減っていたので、ラードナークン(炒めた麺のあんかけ、エビ入り)を頼んでみたのだが、これがまた輪を掛けてひどい。小さなエビはアンモニアに漬けられていたのではないかという程の匂いを発し、かむと口も鼻も刺激する。火が通っているから衛生的な懸念はないのだが。味はバランスがとれていなくて、それぞれの調味料を個別に下にのせているみたいだった。こんなまずいタイ料理はこれまた初めて食べた。
 ここへ来るまでの道のりのしんどさから、復路の乗船券は捨てて、このビーチからの船の切符を新たに買ってもよいかと考えていたのだが、それを改めた。居続けたい環境ではない。
 これでスタッフが気にくわなければ本当に最低なのだが、そこは悪くなかった。唯一の救い。
 雨のピークは過ぎたようなので、夕食まで一休みするつもりで部屋に戻りベッドに転がった。あわよくば夕暮れ前に天気が回復していれば海にでも入ろうとも考えながら。
 物音のしない森の中で目を閉じる。そして、再び目覚めたら既に夜の9時を回っていた。


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