灰色の海と空と

 午前中、僕は博物館へ、後藤はボウモア蒸留所の見物へ。しかし今朝は寒い。風が吹き付ける中、しばらくバスを待っているものの、定刻をずっと過ぎても来ない。買い物途中のおばさんに話しかけられた。話し好き、というのは結構よく出くわすものだ。彼女らにしてみれば、どう考えても暇を持てあましている旅人というのは格好の相手なのかもしれない。
 でも、その最初の一言が「あなた、バーテンダー?」というのはなかなか他の土地では考えにくい声のかけられ方だ。ここを訪れるにはそういう手の人も多いのだろう。彼女は何人か日本人の固有名詞を出し「彼は大阪帝国ホテルのバーにいる」「彼は、ほら、あそこのハーバーインのオーナーなのよ」などと教えてくれる。僕は肯定的な返事をしようがない。バスの行方について訊いてみると、「あら、それは坂の上の郵便局の前から出るのよ」
 結局また今日もタクシーに乗ることにした。暗い空と海岸との間を走りながらこの土地の人間であろう運転手にもっとも訊いてみたかった質問をぶつけてみる。
 「ウィスキーとビール、どっちが好き?」
 「ウィスキーに決まってる。なぜそのようなことを……」という反応かと思いきや、運転席の彼は悩んだ声を上げている。決めかねているようだ。先に僕が僕の答えを言う。「僕だったら、両方って答えるけどね」「おお、そうだ、その通りだ」
 続いてビールなら何が好みかという僕の質問への返答も、意外と言えば意外なものだった。タクシーの運転手曰く「ベックスとかバドワイザーをよく飲む」
 ならばと続けて、アイラのウィスキーなら何に人気があるかを訊ねてみたら「アードベッグとかボウモアはピートの匂いがきつすぎるから、マイルドなブルイックラディとかだね」と、これまた想像していなかった答えが返ってきた。
 アイラ島民の中の一タクシー運転手の意見だから、島民の総意ということではないにせよ、その意外さが僕にはおもしろかった。

アイラ島博物館
 海岸沿いの道路から数十メートル歩いて、墓地に囲まれた一軒の家のように見える博物館へ。カランコロンとドアベルが鳴り、足を踏み入れたそこには心地よく暖房がきいている。
 ここでは、島の歴史が非常に低い視点から物語られている。ミスター・W・クリスティーから寄贈された「スター掃除機」やペギー・ギリー家から寄贈された「ゲール語の聖書」、あるいはミセス・マック・ファーソン寄贈の「たんつぼ」などなど。実際にここに住む人によって使用されていた生活用品が数多く展示されており、民俗の一端を垣間見ることができる。また第二次大戦中は、英軍のレーダーの施設が設置され、出征した島民のエピソードを物語る手紙や遺品が並べられていた。
 ウィスキーの作り方や、蒸留所の歴史というコーナー(本当に一隅)も当然用意されている。古い事物が並ぶ中で、2001年現在の蒸留所の所有者(企業)一覧という資料も壁に貼られていた。あるいは、取り巻く海で難破した船に関しての資料(250隻以上が沈没しているのだそうだ)は、海の荒々しさを物語っている。
 下調べの段階で、沈船ダイビングをコースに採り入れたダイブショップのウェブを発見し、問い合わせのメールを出したものの返事が来なかった。だけど、仮に返事が来て興味を持って申し込んだとしても、実際に海面下へ出かけただろうかというのは甚だ疑問である。何にせよ気温が低く、海は揺れているからだ。
 風が鳴る海岸べりを歩くと、そこに注ぎ込む小川は茶色だった。話しには聞いていたが、ピート層をくぐりぬけることによってこのような色になるのだそうだ。バスタブにお湯をはっても色づいているとどこかで目にしたが、僕が止まっていたホテルでは水道水は無色透明で少し残念だった。
郵便屋さん
 日に数本しか走らないバスの時刻に合わせて、冷たい風が吹き付ける中、道端の停留所で待つ。バスは予定より大分遅れてやってきた。「ロイヤルメイル」と書かれた赤い小さなバンは、道々郵便物の収集も行いながらボウモアへ進む。海岸すぐに立つ、赤い小さなポスト。収集に当たる郵便局員の上半身ほどの大きさもないが、そこにはしっかりと手紙が投函されている。老郵便局員は一つずつ鍵を開け、郵便物を取り出し、そしてまたポストの鍵をかけて次へと向かう。途中、バス停では乗客が乗り降りし、運賃の管理も彼が行う。
 お昼に再び後藤と落ち合い、今度は二人してアードベッグ蒸留所へ向かう。ここはしばらく閉鎖されていたが、97年にグレンモーレンジの傘下に入って再操業されたと言う。新しい手が入っているだけあって、ちょっとしたコーヒーショップも併設されており、また土産物コーナーも見た中ではもっとも充実していた。
アードベッグ蒸留所
 風邪をひいて鼻声のおばさんの案内で見学者の一行は進む。ここでは、樽詰めの際にこぼれた原酒に手をつけて匂いを嗅いだのが印象的だった。熟成前の、いわば赤ちゃんのような無色のアードベッグでもやはりピートの強烈な香りがした。
 用意された試飲も、初めこそ説明があったものの、後はグラスもボトルも置いておくからお好きにどうぞということで、17年ものや、あるいは1977年のものなどまで少し緊張しながら1杯に限らず試すことができた。
 充実したみやげ物屋で、しばしの葛藤の末にマフラーを購入。単にアードベッグのロゴ入りのタグがついている、というだけに過ぎないのだが。少し大きめのポスターも同様に自分へのみやげものとなった。波の打ち寄せる貯蔵庫とボトルがデザインされた白黒の一枚だ。さっそくそのマフラーを首に巻いて帰路についた。
 後藤がまだロンドンでうろうろしていた時間に訪れたボウモアでは、何も買わなかったのだけれど、物欲に火がついてしまい、ボトルを一本買った。ボウモアのドーン(DAWN)というもので、ポートワイン樽で仕上げられている。色がピンク色がかっていて、日本で飲むのが楽しみだ。
ハーバーインのレストラン
 夕食にはまだ少々間があるので、海辺に立つ宿屋のパブで森茉莉をめくりながら時間を過ごす。後から合流した後藤と、結局夕食は同じ宿のレストランでとった。ギネスを飲みながら、ドーバー海峡でとれた舌平目のソテー。
 お酒と美味いものだけで流れた時間はあっという間だった。明日の朝にはもうこの島を発たなければならない。


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