アイラのピートの香り

 のんびりシャワーを浴びて、たっぷりの朝食(豚の血と脂肪を固めたブラックプディングが最高にうまい)を食べていたら、ラフロイグ蒸留所の見学の時間が迫ってきた。フロントに声をかけて、電話でタクシーを呼んでもらう。タクシーと言っても、普通のおじさんが普通のバンを運転しているようにしか見えない。

ブラックプディング
 島をまっすぐ南に下り、突き当たったエレン港から海沿いに東に折れる。クロワッサンの口が開いた部分が西側になるように縦に置いたようなアイラ島の南東の部分には蒸留所が並んでいる。ラフロイグ、ラガヴーリン、それにアードベッグ。今回の旅の最も大きな目的はラフロイグで自分の土地とされている場所を訪れることだった。
 予定の時刻を5分ほど過ぎて、蒸留所に到着。事務所で見学に来た旨を伝えると、向かいの建物で既に始まっているから合流するようにと言われた。体躯の大きな女性が、コメディー映画でいじめられ役を演じていそうな小柄なおじさんに説明をしていた。ちょうど、ピートを切り出す鍬のような道具の説明から僕らは交じった。
 「これを地面にこうやって差して、ひねって、そして手首を返すと」「ここにあるような形のピートの塊が切り出せます」
 昨日のボウモアでの説明は八割方理解できたのだが、こちらの英語は非常に訛りがきつくて、耳がほとんど追いつかない。でも、だいたいの説明の流れは似ていて(同じ島で同じようにスコッチを作っているのだから、そうそう大きく変わることもないだろう)言いたいことの概要くらいはつかむことができた。
ピートを燃やす
 発芽した麦芽を煙で燻している場所では、そのものを食べることができた。馴染みの味の起源を直接口にした。それは、確かに、ラフロイグを飲んだ後口に残るのと同じ味がした。この島で切り出されたピートを燃やした煙が麦芽に染み込む。その麦芽由来のアルコールが蒸留され、そこから10年以上の時が経っても、アイラのピートの香りは力強く残存し続けるのだ。
ポットスティル
 これから中身を詰められる樽が並ぶ倉庫のような場所で、壁に飾られた鹿の頭部の剥製があった。そいつは、赤いヘルメットをかぶり、プラスティックのゴーグルをかけていた。
 「あれは?」「安全第一、ってことよ」
 そしてツアーは終わり試飲の時間。しみじみと味わう。そして、そんなつもりはなかったのに、ラフロイグ特製マウスパッドを購入した。
 「ところで、『ラフロイグの友として』僕の土地へ行きたいのだけれど」
 「ああ、あなただったのね。昨日の予約を電話で変更してきたのは。はいはい、ちょっと待ってね」
 彼女はラウンジの一角の大きな書棚から、一抱えもある本を取りだしてきた。それは、世界中の「ラフロイグの友人」のリストだった。あらかじめ告げていた番号から、僕の名前のページが開かれた。そこにはきっちりとアワル・ケイと記されていた。
 連れて行ってもらえるのか、と思ったけれど、「蒸留所を出て道を渡った向こうだから」と 場所を教えられる。後藤と会話をして彼に指摘されるまで僕はまったく気付いていなかったのだけど、1平方フィートというのは、30センチ四方程度のものである。そこに立つので精一杯。なんとはなしにだけど、僕はもう少し広大な土地を想像していたのだが。
 想像と違ったと言えばもう一つ。地代として贈られたラフロイグは50mlの小瓶に入っていた。僕は証明書にあった「one dram of Laphroaig」という文言から、「一樽」を思っていたのだが。後日、dramという語をちゃんと調べてみると単位の定義によって変わるが、「1/16オンスないし1/8オンス」、あるいは「微量」「(酒の)一杯」という意味が載っていた。いずれにせよ、ほんのちょっとである。
自分の土地で
 薄い緑色と茶色の草が生い茂り、遠くには低い山が連なっている。ただの草原に見えるその場所は少し道路から離れて進むと足が埋まってしまいそうになってしまう。それに奥まで行こうが、入り口の看板の辺りにいようが、見た目はただの草むらでしかないので、看板の下で地代としてもらったラフロイグの小瓶のキャップをひねった。アイラ島に吹き付ける風の中で僕が僕の土地で飲むラフロイグ。
 辺りには多少踏み固めた跡があるが、看板を中心としたごく狭い範囲だった。誰もが考えること、やることは同じなのだろう。
 帰り道はエレン港へ向かって歩き出したのだが、すぐにこのままではバスの時間に間に合わないだろうと思われた。この田舎の一本道でも、たまに車が通るのでヒッチハイクをすることにした。東の方からやってきた一台の乗用車に親指を上げてみる。うまくしたものですぐに停まってくれた。これ幸いと「エレン港まで乗せていただけないだろうか」と運転席の男性に話しかけたら、なんと先ほどいっしょにラフロイグを見物した彼だった。
 エレン港を囲む町並みを見ていると、なるほどボウモアがこの島で一番賑やかな場所なのだということを知る。ボウモアにだって、何があるわけでもないけれど、ここほどではない。少なくとも道を歩く人の姿を少しは目でとらえることができた。だけど、ここは本当に静かだ。それでもインフォメーションもあり、宿の看板を掲げた家もいくつかある。
交通標識
 東西と南北の道路の交差点に立つ標識は、それはただ単純にその先の地名を表記したものに過ぎないのだけれど、僕の目にはとても麗しいものに写った。「ボウモア」「アードベッグ」そのいずれも地名であると同時に、アイラの酒の名称でもあるからだ。
 車に乗せてもらったおかげで、目的のバスに余裕を持って乗り込むことができた。これから宿へ直接戻るのではなく、空港で一度降りる。主人から離れた一夜をグラスゴーの空港で過ごした後藤の機内預け荷物を引き取るためだ。
 だけど、入れ違いだったことを知る。 親切な係員の計らいによって、午前便で到着した彼のカバンは宿へと送られていたのだった。
 次のバスにはまた数時間待たねばならず、仕方なくタクシーを呼んでボウモアへ戻る。旅行者にとってこの島ではレンタカーというのが最も便利な交通手段だと思う。ただし、酒を飲まなければという条件がつくが。
 昼食は、ボウモアのメインストリートが海に消えていくその突端に立つ「ハーバーイン」という宿屋でとった。ここでもまた生ガキを食べる。荒い塩をふり、レモンを搾り、先ほどのラフロイグの小瓶の中身を垂らす。アイラの生ガキはこうやって食べるのだと「もし僕らの言葉が……」にあったのだ。
 その土地のものを食べる意義と喜びを味わうことができた。お互いの潮の香り、あるいは磯臭さが調和しアイラをとりまく海の滋味が全身に染みわたる。
 そいつとローストビーフのサンドウィッチ。しっとりとした肉がたまらなくうまい。
 その後はひたすら飲んでばかりだった。コープでボウモアの350mlの瓶を購入し、部屋でごろごろしながら後藤とそれを飲む。
 夕方にはまた先ほどのハーバーインのパブに出かけ、ビールのグラスをゆっくりと傾ける。近所のおじさんたちがまだまだ陽は高いというのにいい感じに語らっている。強者はウィスキーのチェイサーにビールを飲んでいる。僕はその傍らでiBookのキーを叩く。
 体は黒いが首の方だけがまだらに白い大きな犬とそれを連れた老人が入ってきた。誰かがその犬に食べ物をやっていた。そいつは店の床で大人しくしていた。沈む少し前の夕方の光が、最後にもう一度だけたっぷりと輝きパブの窓から射し込んでいる。


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