静かの海へ

 何年前になるだろう、「テレビでハロン湾やるからぜひ見なよ」と僕に言ってくれた人がいた。ユネスコの世界遺産を紹介する番組だった。静かな海から岩山が生えている光景だった。ブラウン管の中の景色が、旅すべき土地の候補リストに加えられた。
 それから恐らく2年か3年、二度目のハロン湾は、スクリーンに映し出された。「夏至」というヴェトナム映画だった。そこでもやはり静かな光景として描かれていた。
 タイ語の授業の初級3から中級1への合間、1週間ほどの休みを使ってどこかに行こうと話しをしていて、「じゃあ、ハロン湾は?」と、また新たに薦める人がいた。その人も「夏至」を見て印象に残っていたのだと言う。
 タイミングというのは意外に大きな意味を持つ。外縁的な要素だと思いがちだが、少なくとも僕が振り返る色々には、時宜が果たしてきた役割は無視ができない。良いことも、そうでないことも。
 今回がハロン湾を訪れるべき時だった。これまでも何度か考えたことはあったが、実際にはその時々の理由でミュンヘンだったりロンドンだったり、あるいはプーケットだったりを選択してきた。今回、思い立つとすぐに、バンコク・ハノイ往復の航空券と、ヴィザとを申し込んだ。テレビ番組を紹介されてから、およそ4年の月日が経過していた。
 初級3の試験を受けた翌朝早く空港へ出た。出発ロビーには、なぜか年を召した人が多かった。その分、朝のドンムアン空港は、いつもとは違い、しんとしていた。
 ここしばらく、個人的に精神面があまりぱっとしていなかったこともあり、旅する快感を半ば強制的に予感しながらバンコクを発つ。ヴィエンチャン上空を通過するわずか1時間半のフライト。タイとヴェトナムの間には時差すらない。機内食を食べ、紅茶を飲み、軽く眠ると眼下の茶色い風景はヴェトナムだった。

付記:TBSのサイトから調べてみたところ、放送は98年10月18日だった。本当にぴったりと4年前のことだったのだ。


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