ようやく、多少なりとも落ち着きを取り戻し、ベッドに身を横たえる。
どうやら母親の方がまだましなようだ。彼女のカバンに入っていた抗生物質をもらい、枕元の水で飲む。しかし、腹痛に端を発した全身のどうしようもない気怠さと不快感は、未だ僕を捉えて離さない。呼吸が荒い。そして、その行動がより肉体を消耗させる。
僕はかすれた声で言う。「痛み止めあるやろ、それもちょうだい」
息子の姿を目の当たりにした母は、しかし何たることか、薬を出し渋る。
「頓服って、あんま飲むと身体によくないねんで」
……。
いや、待て。「あんま」って、まだ一錠も飲んでないやないか。よしんば何かしら副作用が発生するのだとしても、そんな心配よりも、とりあえず目先の危機をしっかり認識してくれ。オレはかなり苦しいねん。あんたのその妙な親切に、適切に反応する元気すら、まったく枯渇してしまっているのだ。
「ええから、とにかく、薬……」
這々の体で、むしり取るように白い錠剤を飲む。
間もなく、これで、少し落ち着いた。
彼女の薬嫌いは、けっこうなもので、そのポリシーは、自分が育てる対象にも適用されてきた。子ども時分の僕は、そもそも病院に連れて行かれた記憶どころか、薬を服用した記憶がほとんどない。とにかく、安静に寝てれば治るんだ、というのが彼女の信条だった。
まったくの余談になるが、会社勤めを始めた頃、風邪をひいて医務室に行った。そこで渡された解熱剤というものを飲んだところ、てきめんに熱が下がり楽になったことに、僕は半ば驚愕した。なんて、世の中にはすばらしいものがあるのだ、と。それまでの20何年の人生で、何度か病気で苦しい思いをしたとき、もしかしたら適切な薬があれば、それほどつらい思いをせずにすんだのかもしれない。なぜ、僕はこれまで薬を飲むことをしなかったのだろうか。そう自問したとき、答えは自ずと明らかだった。
その答えの張本人が、カバンからごそごそと手帳を取り出す。何だろうと思ったら、あるページを開いてぶつぶつ言っている。
「これ、前回の旅行の帰り、検疫の黄色いカードに書かれてるの見て、写しておいてん。役に立つかなと思って」
そのノートの見開きの左側には、日本語で各種の身体症状が。その右側には、流麗な筆記体で対応する英語が記されている。
「腹痛……abdominal pain」「頭痛……headache」「発しん……rash」
これくらいは、まだよいだろう。と言うか、わざわざ書かんでも知ってるやろうが。だが、彼女のその単語帳は、次第に重篤な度合いを深める。
「けいれん……convulsion」「呼吸困難……difficulty in breathing」
仮に、本当に呼吸困難に陥った際、悠長にこの手帳を開いて、医者に説明をするつもりであったのだろうか。けいれんにせよ、呼吸困難にせよ、他人が見れば症状は明らかだろう。それに、その状態に陥った当人にしてみれば、説明している余裕なんか、どこにもないだろうに。
何を思って検疫質問表から写し取り、そして今ここで開くのだろう。
「検疫って、英語でquarantineって言うやろ。なんでか知ってる?」
何をまた唐突に言い出すのだ。
母は続ける。「ローマ時代にな、外国から来た船を、検疫のために港の外で40日間とどめておいてん。せやから、ラテン語の数字の40を使って、今でもquarantineがそういう意味やねん」
なるほど、勉強になった。しかし、僕の苦しさの緩和にはさほど役立つわけではないのだが……。
ようやく一夜が明けた。まだまだ低調である。腹痛や下痢は収まったものの、あまりに体力を使い果たしてしまったため、歩く事にすら困難さがつきまとう。
正月が明けた町は、昨日までのあの賑やかな状態が嘘のように、整然と機能し始めていた。僕らはかろうじて朝食に、目玉焼きの黄身だけをつまみ、こういう時だけ飲みたくなるコーラを飲んだ。一口飲んだ母が言う。
「20年ぶりやわ」
前回の体験は、コーラが日本に上陸したときのことではないのだろうか。
荷物を片付け、空港へ向かった。
シットウェー空港の出発口では、なぜかチェックインの後、男女別の扉へ案内されて、検査場へ。別段、服を脱いだりするわけでもなく、おざなりに荷物のチェックと、名前の確認。
エアコンどころか、天井の扇風機でさえぴくりとも動かないロビーのベンチで、僕も母もぐたっと横になる。呼吸は、相変わらず常より早い。そして、そのせわしない呼吸活動がは、飽くことなく体力を奪い続けている。
ミャンマーの首都、ヤンゴン。この旅の最後に、僕が予約したホテルは、「トレーダーズ・ホテル」。シャングリ・ラの系列。
最後くらい、母親にもゆっくりしてもらおうという、それなりの親切心からだった。旅行代理店からの勧めもあって、取った部屋は、「デラックスタイプ、パゴダ・ビュー」
シー・ビュー、レイク・ビュー、シティ・ビューというあたりはなじみだが、パゴダが見渡せる部屋というのは、世界広しと言えどもなかなかないのではなかろうか。首都の中心に、抜きん出た高さでそびえるトレーダーズ・ホテルにあっても、わずか全5室しかない、貴重な部屋。
空港から乗ったタクシーはエアコンがなく、午後の日差しの中を窓を開けて走った。だが、往来の至る所で、まだ水かけが続いていた。そこを通る度に、窓を閉め、温室のような空気に耐え、ようやくホテルに到着。
ドアをくぐった瞬間、エアコンが心地よかった。フロントでバウチャーを示し、ポーターが我々のカバンを部屋まで運ぶ。16階の部屋の、大きな窓の向こうには、こんもりした小山の上に、巨大な黄金のシュエダゴォンパゴダが輝いていた。