リセット

 今日は川を下る日。出発までに少し時間があるので、宿からすぐの丘の上の仏塔を見に行くことにする。
 まばらに灌木が生える中に、何となく踏み固められた跡があり、乾いた砂地をずるずる滑りながらなんとか上っていく。下から、人が指さして僕らを見ている。
ミャウダウム
 頂上に着いて、苦笑する。もっとましな道が丘の向こう側にあったのだ。わざわざしんどい方を半ば四つんばいになりながら上ってしまった。
 わずかな標高しかないが、ミャウーを見渡してみると、地上から眺めたときよりも、より一層あちらこちらに仏塔が建っていることが手に取るように分かる。
 宿に頼んでおいたサイカーの内の一台は、昨日半日遺跡めぐりをしたときの兄ちゃんだった。目が細く、中国の北方系の感じがする顔立ちだ。
 水掛祭りは今日も続く。バックパックの中身は全てスーパーのビニール袋かジップロックで防護してある。パスポートだとかデジカメだとか服だとか。バックパック自体が水をかぶるのは、ある程度はしようがないと思っていた。
 船着き場までの道のり、やっぱりやられる。中に「アイラブユー!」なんて言われながら、水を掛けてくる女性がいて、そういうのはむしろ歓迎だ。
 水びたしになって、乗船。母親はさっそく、まだ乾ききっていない洗濯物を取り出し、船の中にかけている。
 腰掛けてしまうと濡れたジーンズが気持ち悪いので、舳先で風に当たりながら、乾くまでしばらく立っていることにする。
 行きと比べると風がなく、川面は滑らかだ。どれくらいかは知らないけれど、曲がりなりにも下流へ向かって進む航程である、行きよりも所要時間は短くて済むだろうと期待する。
 母は、相変わらず特殊な思想を持った人のような時代めいたサングラスで顔の半分くらいを覆っている。その黒いプラスティック片の向こうに、風景を眺めている。
 たまに、他の船とすれ違う。家族だろうか、3、4人が乗る程度のとても小さな物だ。彼女は、それに向かって手を振る。
 しばらくして、「あ、あれ何、何?」と、岸近くにいる動物を指さした。僕の目には、水浴びをしている水牛に見える。
水辺のワニ
 だけど、彼女にはそうは映らなかったようだ。明るい声で言う。
 「ワニ?」
 はしゃいだ声は引き続いて僕の聴覚を刺激する。
 「撮ってー、撮ってー」
 孝行息子には、カメラマンの役割も期待されているのだった。
 デジカメを渡して自分で撮るように言ったところで、詮無き話であることは、既に承知だ。ビデオデッキでさえ「爆発するから」という理由で触れようとしない人なのだ。
 そう言えば、先だってのヴェトナム旅行の帰り、ついに携帯電話を買ったということを聞いた。
 ずいぶんと進化したものだと、驚愕したのだが、その発言は不確かな物だった。
 彼女がフエの市場で買い求めた物の実際は、「ピカチュウの形をした、携帯電話のおもちゃ」であった。
 たぶん、ピロピロと音が出る程度の物なのだろう。彼女にとってのテクノロジーの限界は、おそらくその辺りにある。
 もしかしたら、彼女の目にはワニが見えていたのかもしれない。だが、僕のデジカメのモニタに写ったのは、やはり水牛だった。
 あっけらかんとしたミャンマーの大地を眺めながら、彼女の漏らした次の感想は、いったいいかほどふさわしいのだろうか。
 「印象派みたいな風景」
 僕は、美術にも詳しくない。だから、僕が抱いた違和感が正しいのかどうか、少し判断しかねるところがあることは確かだ。もしかしたら、ヨーロッパの川では、ワニが水浴びをしていて、それを題材に採る画家がおり、印象派と呼ばれるのかもしれない。
 ヴェトナム旅行の際に、メコンデルタを船で巡ったと言う。アジアの川、という連想は、僕にも理解し易い発想だ。彼女は、そのときの楽しかった思い出を語る。
 「ジャングルのストリームは、4人乗りの小さな船で行ったのよ」
 ストリーム? なぜ、「小川」とか「流れ」とかではなく、ストリームという単語が口をついて出たのだろう。城達也だろうか。
 彼女のこれまでの世界を駆けた思い出が、とめどなくその心に湧いているようだった。そこに何らかの一貫性を見出すことは、僕にとってはあまりに困難な作業だった。それはこの上なく個人的で、他者の共感を得ることは、現実的でなかった。
 さらにこんな感想も語られる。
 「思い出すわぁ。地中海にもこんな所あった」
 メコンデルタから地中海、彼女の膨大な記憶と、あまりに豊かな発想は、大陸をも軽々と飛躍する。
 僕のささやかに個人的な経験からすると、地中海にもアドリア海にもこんな風景はなかったはずだ。
 再び、水牛の水浴びの近くを通った。今回、二人の目に映った物は、幸いにして同じ動物だったようだ。
 「私、丑年やし、星座も牛やから、親しく感じるわ」
 その親しみを込めて、またここでも彼女は手を振る。そして言う。
 「牛は手振ってくれへんかな?」
 多分、無理。
 水牛はとりたてて反応せず、相変わらず粛々と水につかり、曲がった角と顔を水面から出しているだけだ。

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 シットウェーには、結局行きと同じ程度の時間が流れた後だった。
 サイカーを拾って、予約してあるホテルへ。通りでは、派手に水かけが行われている。
 所々に水くみのポイントがあって、容赦なくと言うほどにやられる。バケツ単位で攻撃を受ける中、僕は小さな水鉄砲でわずかに応戦し、母は日傘で防御に励む。ミャウーのそれが、とても大人しかったのだと知る。
 ほうほうの体でようやくホテルに着いたとき、二人とも水浸しだった。
 今日の宿には、エアコンもある、冷蔵庫もある。お湯も出るという触れ込みではあったが、ちょろちょろした細い流れが、そう言えば水よりも温かいかもしれないという程度であった。
 さっぱり着替え、通りを見下ろすと、多少先ほどまでよりは勢いは止んでいるようだった。もしかしたら僕たちが通過したのが、一番派手な時間帯だったのかもしれない。
 いずれにせよ、何かを腹に収めたい。辺りをそぞろ歩くも、目につく店は軒並み閉まっている。
 時折通りかかる小型トラックの荷台に若者が大勢立ち、やはり単調な音楽を大音量で流しながら嬌声を上げている。
 ようやく出会った一軒の屋台で、とにもかくにもそこにある物をほしいと頼む。
 汁なしの麺だった。うどんのような麺に、何種類かのたれをかけ、紫玉ねぎの薄切りを散らし、ゆで卵を乗せ、そして、赤い服を着た店のおばちゃんが、その手で直接によく掴み、かき混ぜる。

麺
 躊躇する光景ではあったが、四の五の言わずに食べる。それなりではあるが、決して美味いものではない。魚の風味が、「だし」ではなく、「魚市場の午後」のような匂いだった。
 それでも、二人とも空腹である。ぺろりと片づける。こういうときに「不潔やからよう食べへん」なんて言わないあたり、旅の連れとしてはありがたい。
 辺りの子どもやおばちゃんが集まって、少しだけすまなさそうな表情を浮かべながら母に身振りで尋ねる。
 「水、かけまっせ」
 母は、しゃーないなー、という感じで、それでもその光景を僕にカメラに収めるように指示した上で、やっぱりぐしょ濡れになった。僕はうまいこと言って、交わした。
 酔っぱらいだろうか、男が数人喧嘩の直前の雰囲気に陥っていた。
 どうも、やはり、好きにはなれない雰囲気の街だ。何もかも、がさつだ。
 日が暮れるにはまだあるし、だからと言ってすることもないので、大通りに出て、目に付いた一軒でビールを酌み交わす。つまみに小さなスナック菓子の袋が出てきた。封を切り、ぽりぽりつまむ。
 そんな僕らの傍らに、ずだ袋を引きずった、鋭く暗い目をした少年が二人、ずっとこちらを見ていた。
 どうしようもできないし、しない。目を合わせないようにするだけだ。
 シットウェーの街を、僕は単なる中継地点としてしか考えていなかったし、ここに実際にいる自身の感じからしても、積極的に何事かをしようという気にもならなかった。
 でも、母はやっぱり元気だ。
 「歩き方」にある、日の入りが見られる岬には、是が非でも行きたいと言う。
 特に反対する理由もなく、サイカーに乗って出発。距離からして、ちょうどよい頃合いに着くだろうと思われる。
 東側がカラダン川の河口で沖には灯台も見える。西はもうベンガル湾だった。ここを超えると、インド亜大陸。
 売店の店先に腰掛け、二人がすることと言えば、やはりミャンマービールを飲むことだった。
海辺のビール
 ちょうどよい風に吹かれ、ずっと西の方に傾きつつある太陽を眺める母。
 その横顔を見て、僕は「いい顔だな」と思った。経てきた歳月が深く刻み込まれていた。夕陽を見て、満足げな表情もよかった。
 もしかしたら、人生を閉じつつある今の自分に重ね合わせているのだろうか。その胸の内には、これまでの出来事が走馬燈のようにめぐっているのだろう。
 そう言えば、西方浄土もこの方向だ。彼女の生涯からすると、そこに行き着ける可能性は、残念ながらあまり高いとは言えないが、それでも僕は僕を産んで育てたと主張するこの一人の女性の、近づきつつある現世の終焉をしみじみと思う。この人の子として、それなりに胸に去来するものがある。
ベンガル湾に沈む夕陽
 ビールを一口飲み、夕陽を見詰めながら彼女が満足げに言う。
 「人生のリセットやわー」
 「せんでええ! 今さらリセットして元気になられても困る。頼むから、このままゲームオーバーしといてくれ」
 偽るところのない突っ込みと感想が、僕の口をついて出た。
 「ちょっとお手洗い」と席を立った彼女を、何の気なしに目で追っていると、店員とのやり取りに少し手間取っているようだったが、意思が通じたらしく、店の裏手へ向かった。
 戻って来た彼女が、また唐突なことを言った。
 「いやー、英語で通じへんかったから、フランス語風に『トワレット』って言ってみたら、分かってくれたわ」
 言葉が通じたと言うより、必死さが伝わっただけのことではないのだろうか。

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 「歩き方」によると、ここシットウェーは海産物が有名で、マレーシアなどにも輸出されるほどだとのこと。せっかくだから、それを食べようと、ホテルの従業員に尋ねると「シーフードもある」とのことだったので、もう濡れるのは面倒だし、ホテルの上の食堂でとることにした。
 他のグループが食べている皿を見ると、なんだか美味しそうだった。
 まずはビールを一本。さすがに一応はホテルである。これまで飲んだ中で一番冷えていた。食事への期待も膨らむというものだ。
 メニューを開くと、それなりに色々と並んでいて、食欲が刺激される。
 だけど、ボーイがすまなさそうに言う。
 「豚肉とエビしかないんです」
 落胆しながらも、今は正月なのだからしようがないと諦める。何品か、エビと豚の料理を頼んで冷えたビールを飲む。
 母は、先日道端で買ったピーナツをテーブルの上に取り出して、つまみにポリポリかじっている。
 しばらくして、ボーイがまたやって来る。
 「ガスが切れてしまったので、何も作れません」
 開いた口がふさがらないとはこのことだ。わき起こった食欲も止まらない。
 母が言う。「ご飯くらいあるやろ。それ持ってきて」
 何が悲しくて、海産物が有名な街で、白ご飯を肴にビールを飲まなければならないのか……。
 母はピーナツとご飯でそれなりに満足な風だったが(あるいは不満を表に出さなかったのか)、僕はどうしても何か食べたい。そう言えば、宿からすぐの所にレストランらしき店が開いていた。
 母を誘って、夜の街に降りることにした。
 が、狙ったそこは喫茶店のようで、お茶の類とソフトドリンクとビールくらいしか置いていなかった。
 どうにもやるせない気持ちで、暗闇から水をかけられないように気をつけながら、少しだけ歩く。舞台が出て、その上に踊り子さんたちが踊っていたりもする。
 多少歩いたものの、何も見つからない。腹は減っている。どうしようもなくて、ここでも道端に腰掛けて麺をすする。今度は汁そばだった。温かい物を腹に収めて、少しだけほっとした気持ちになる。
 中途半端ではあるが勢いづいて、先ほどの喫茶店らしき店の二階で、通りの賑わいを見下ろしながら、ビールを飲む。
 こういう暗い街では、時間が経つのが普段よりもゆっくりに感じられる。寝るには早い、かと言ってすることもない。
 部屋に戻った我々は、ルームサービスでビールをもう一本頼んだ。そして、電気を消してベッドに横になった。

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 そいつが僕ら二人を襲ったのは、日付も変わった午前3時過ぎのことだった。まず、僕だった。そして、少々の時間差をおいて、母がやられた。


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