知らない国へ

 最後に「知らない国」へ行ったのは、いつ、どこだろう、と記憶をたぐってみる。
 2003年の年末から、2004年明けにかけてのモルディブがすぐに思い浮かぶ。
 バンコクからクアラルンプールまでは、オーバーブッキングのおかげでビジネスクラス。わずか一時間少々の飛行だが、ずいぶんと快適だった。風邪気味の身体を押して出かけたが、クアラルンプールの空港の待ち時間を寝て過ごすことで、回復させた。
 マーレの空港からは、ホテルのある島まで夜の海を船で渡った。翌朝目覚めてコテージから一歩外に出ると、硬質な青さを持った暑い空と海があった。あるいは、歩いて一周できる小さなその島には、空と海と我々の泊まるホテルしかなかった。
 ビールを飲むか、ビーチに転がるか、あるいはダイビングをしているかの間に、またたく間に休暇は過ぎていった。
 帰り便は、スリランカのコロンボを経由した上でクアラルンプールで乗り換える夜便。くたくたになっての帰宅だった。
 だけど、これは、いわゆるリゾート旅行で、僕が「旅」と意識するものとは、少し種類が違う。
 それ以降はどんな土地へ行っただろうか。
 日本最南端の有人島、波照間島。ラオスの古都、ルアンプラバン。高校の同級生を訪ねてのシンガポール。スマトラ沖大地震のため、急遽シミラン諸島ダイビングの予定を変更して飛んだアンコールワット、カンボジア。飲茶を食べに一泊二日の香港。
 どれも、「知らない国」ではなかった。行ったことのある国ばかりだ。
 では、モルディブ以前はどうだっただろう。また、しばらく頭をめぐらせる。
 2週間の内に二度、バリ島に行った。その先の先、小さなギリメノ島の海にも遊んだ。そう言えば、チュラ大にいた時代には、ヴェトナムのハロン湾へ行った。でも、バリ島もヴェトナムも、そのときが初めてではなかった。
 もしかして、イギリスまで遡るのだろうか。それは、ずっと以前のことに思える。世界の広大な未知を、わずかながらずつでも既知に置き換えることを求めて旅をしたいはずなのに、知らない国を訪れた記憶がずいぶんと遠くにしかないことを、自身で訝しく思う。
 そうなのか、本当にそうなのだろうか。
 自分のウェブを見てみる。こういう時、旅行記を残していると便利だ。
 やはりイギリスだ。2001年の9月のことだ。
 数字だけ数えれば、わずか4年前だけど、なぜか、遙か遠い時代のことに思えてならない。
 どこへ行って、何を見て、何を飲み食いしたか。あるいはアイラ島の海辺にそぼ降る雨が冷たい灰色の風景だったことなど、大概のことは明瞭に思い出せる。なぜならそれは、たったの4年前のことに過ぎないのだ。
 だが、それとは別に、どうしても、今の僕と、鉛のようなテムズの川面や、ラフロイグ蒸留所の、ピートで燻した麦芽の煙たい味との間には、具体的、客観的な数字が表す時間よりも大きい隔たりを認めざるをえない。
 悲しいわけではない。憤りを覚える種類の感慨もない。それらは、揺るぎのない事実だし、それ以降訪れた土地も、二度目だろうが三度目だろうが、それなりに十分満足する旅だった。
 「だけど、最後に知らない国を旅したのは、あのロンドンとアイラ島の時だったのだ」
 こう思い至ったとき、僕は自分のために少しだけ涙を流してもよいような気がした。
 それは、あまりに遠い。

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 西暦4月の中旬が、タイの旧暦の新年に当たる。どうしても知らない土地へ行きたい。だが、連休とは言え、日数はわずか五日。南米や東欧に興味があるが、近隣に目を向けざるを得ない。
 アジアで行ったことのない国がまだいくつかある。北朝鮮、フィリピン、バングラデシュ、ブータン、スリランカ、アフガニスタン、そしてミャンマー。
 それぞれにこれまで興味が向かなかった、あるいは興味はあっても具体的な計画まで至らなかった理由はあるのだが、今回はこの中からミャンマーを選んだ。
 強制両替のシステムがなくなっていたというのも一つ。学生時代のバックパック旅行の頃は、入国時に300USドルを強制的に外貨兌換券という物に両替せねばならぬというシステムがあり、次々と移動を続けることに喜びを見出していた当時の僕には、300ドルを一国のためだけに使うのは、あまりにコストパフォーマンスが悪かった。
 だがそれは、2003年8月頃から休止されていると言う。それに、バンコクの友達で何人か、ミャンマーに遊びに行って、それなりに良かったという感想を聞かせてくれていた。
 バンコクからヤンゴンへは1時間と少々。距離からすると、チェンマイまでとほとんど変わらない。
 とりあえず飛行機の予約を取った。
 バンコクから、まずはヤンゴン。後のことは、追々考えよう。胸が高鳴る。4年ぶりの、バックパックを背負っての、知らない国への、一人旅。

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 に、なるはずだった。
 3月の初旬のことだ。日本にいる、ある女性へメールした際、近況報告を兼ねて「来月はタイ旧正月で連休なんで、いよいよミャンマーへ行くつもりです」と書いた。
 翌日来た返事にはこうあった。「私も行ってみたい。邪魔にはならないようにするから、連れて行ってもらえないだろうか」
 iBookを前にしばし逡巡したが、結局、ヤンゴン往復便の予約に彼女の名前を追加した。
 4年ぶりの、バックパックを背負っての、知らない国への、二人旅。出発まで、あと2週間と少々。


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