「僕らは」じっと自分の番を待っている。
この旅の主語は、複数形で語られる。僕たち。僕と彼女。
だが、この混雑の空港の数時間後、ヤカイン州のシットウェーからミャウーへ北上する船の中で、その同行者から「旅行記に、私のこと書かないでね。プライバシーよ」と、言われることになる。
僕は、久しぶりの「初めての国」の旅を、何かしらの記録として留めたい。そのとき、彼女にまつわる記述を全て避けて通ることも、技術的には不可能なことではないかもしれない。だが、そうすると、この旅のあり様を根底で規定する部分もすっぽり抜け落ちてしまう恐れがある。
4泊5日、基本的にずっと行動を共にし、夜には同じ部屋で眠りに就く。一人称単数だけで語るのは、現実的ではない。
だから僕は、この旅を共にする相手のことを、固有名詞として提示するのではなく、決して誰とは特定できない形で、あくまで僕の個人的な思い出として記すように留意する。
そのためには、どういう言葉がふさわしいだろうか。
代名詞の「彼女」には、不可避的に、この場合において適切でないニュアンスが含まれる。だからと言って、「同行者」と簡単に呼ばわってしまっては、僕と彼女との間に確かに存在する、ある種の特殊な関係を無視することになる。
これ以降、この旅の同行者である、僕と特別な関係にある、一人の日本人女性のことは、極めて一般的かつシンプルな普通名詞を用いて記述することにする。母親、と。
せやねん。言うなれば、親孝行旅行やねん。なんぼしんどいことになるんやろ。
確かに、ある意味、旅とか外国とかには慣れてる人や。学生時代にイスラエルで一年近く過ごしたり、ヨーロッパをうろうろしてたみたいやし。大昔の経験やけどな。アジアの暑さとか、ごちゃごちゃした感じとかかて、タイにも二回来てるし、つい二ヶ月前はヴェトナム行ってたらしいから、そんな問題ないとは思う。言葉かて、一時期はTOEICを趣味にしてたくらいで、ま、そこそこのスコアは持ってるんで、そういう意味でこっちが困ることはないとは思うんやけど。
そんな問題ちゃうねん。せっかくの休暇を母親と一緒かいな。
一人旅が好きやねんけどな、ほんまに。それか、「彼女」言うても、そっちの意味での「彼女」とやったらええで。そりゃ楽しいと思うわ。
あ〜あ、あんとき「次はミャンマーに行きます」なんてメールに書かずに、絵葉書で事後報告でもしときゃよかった。
後悔先に立たず。飛行機は、早朝の光あふれるドンムアンを飛び立ち、ヤンゴンに向かって北北西に旋回した。