こぢんまりとした街
雨に近い曇り空。いつも通り、ホテルを起点に中心に市内を歩いてみることにする。コペンハーゲンで事前に知っている観光個所と言えば、人魚姫像とチボリ公園のみ。しかも倉敷のチボリを先に知った上で、そのオリジナルはここにあるという程度。
いくらも歩かない内にアメリエンボー宮殿。あまりのあっけなさに自分が眺めていた地図をよく見ると、縮尺がとても大きい。15分くらいだろうと勝手な見当をつけていたのだが、ホテルから宮殿の入り口まで、わずか200メートル程度のものだった。この感覚からすると「コペンハーゲン中心部」とある見開きの地図はあっと言う間に歩き尽くせそうだ。
丸みを帯びた昔の郵便ポストを少し縦に伸ばしたような、あるいはその先端の具合から大きな色鉛筆のようも見える、人一人が入ればいっぱいの詰め所の前に立つ、熊の帽子をかぶった衛兵の横に立ち、記念写真。
交代の儀式は正午。そのときにまた戻ってくるので、さらにその先へ道なりに歩みを続ける。大きく「訪問歓迎」と手作りの看板が出ていたので、聖アルバニ教会へ足を踏み入れる。僕は特に宗教を持たないが、妻はタイ人のほとんどがそうであるように仏教徒である。が、だからどうということもなく、むしろこういう宗教施設への関わり方は妻の方がぐっと自然に慣れている。そういえば、小学校から大学まで全部ミッション系の学校を出ている人なのだ。心ばかりの寄付をして、蝋燭に火を灯す。
海辺に近づき、そしてかの人魚像。ところが、周囲にビニールテープで囲いがされていて、CMだかプロモモーションビデオだかの撮影が行われており、女優らしき人とスタッフが5、6人いる。
海からボートがやってきて、観光客が写真を撮る。今日の午後は、僕らもあの船に乗ろうと思う。
今回、どうしたわけかこの街でよくベビーカーを見かけた。しかも、ちゃんとゴムタイヤで、がっしりしたアルミニウムの構造で、かなりヘビーデューティーなタイプものを。中には自転車の後ろに取り付けて引っ張るものまであった。
小雨がぱらついてきたが、傘をさすほどではない。再びアメリエンボー宮殿。ローゼンボー離宮からやってきた10数人の隊列が行進してきて、なんだか申し送りのようなことがあって交代。北欧の海のような色をしたブルーに白い縦線の入ったズボン。足並みは乱れがないものの、緊張感を持ってきびきび歩くという感じでもない。
シフトが終わるメンバーたちは、そのまま1キロほど離れたローゼンボー離宮へ戻っていくのだが、ごくごく普通に町中を進んでいく。おもしろいから後をつけていく。
もちろん信号が赤になれば全員立ち止まる。僕らを含めて観光客は思わずカメラを向けるが、コペンハーゲンの住人にとっては毎日のこと。まったく気にする風もない。先の宮殿での儀式よりも、この風景の方が僕にはおもしろかった。
運河沿いにレストランの並ぶニューハウンで昼食。1800年代の創業の味わいのある木造のお店で、ニシンビュッフェがある。スモークしたのや、酢漬け、クリーム煮、トマト煮込みなどなど。これは、美味しい。魚食いの日本人にとっても、身がびしっとしており、また味付けはどれも素材に寄り添う感じでなされておりいくらでも食べられる。少なくともこの国の食事は昨日までいたフランスのそれより、ずいぶんしっくりとくる。僕はツボルグの黒を飲み、妻は白ワイン。
たっぷり腹のふくれた食後には、アクアヴィットを頼んでみる。薬草のような匂いがあり、度数はそれなりに高い。
「どれどれ」と一口だけすすってみた妻は、その液体が舌に乗るや顔を猿のようにしかめ、しばらく身もだえた後に「鳥肌立ったやんか」と自分の腕をさすっていた。
午後はまず運河ツアーに参加する。途中、ヘビーデューティーどころかまるでリアカーのような(自転車の前方についているから、リア・カーではないが)乳母車も見かけた。
どこの街でも、生活感あふれる水辺を行くのは楽しいものだ。路上とは違い、ゆらゆらした独特の感覚も楽しい。
その後はストロイエ通りを歩き、買い物を目論む。まずは、スウェーデン王室の御用達銀器店、ジョージ・ジェンセン。せっかくの機会なので一生使えそうなものがあれば何か買ってもよいと、二人とも意見が一致した。イニシャルなどを刻印することも可能だそうで、妻が「記念にL&Sなんて彫ってもらうのはどう?」と提案。
「それも、悪くないね。二人のイニシャルで……え?」
ちょっと待たんかい。L.S.は君のイニシャルであって、僕のK.A.はどこにもあらへんがな。
「あららー、それもそやな。いやー、悪気はなかってんけど。あははははー」
このせいでというわけでもないが、特に物として心ひかれるものにも出会わず、隣に建つロイヤル・コペンハーゲン本店へ。煉瓦造りの、かなり気合いの入った年のとりかたをした外観のがっしりしたお店だった。ここもぐるっと一回りするだけ。
キッチン用品でおなじみボダム・ホームストアや、デパートのイヤマを見て回る。
確かにデザインとしてはおもしろく、また使い勝手も悪くなさそうだと思う。記念なのだから何かを買ってもよかったのだが、とりあえず家で日用するものとして「ぜひ必要だ」「すぐにでも欲しい」というものが何もなかったので、北欧らしいデザインの商品を眺める観光としての意味合いが強かった。
その後、半ば洒落で「性博物館」へ足を運ぶ(この手の施設として「世界第一号」との触れ込みに密かに何かしらを期待しながらも、妻に対してはそんなそぶりも見せずに)。その名も、「Museum Erotica」である。
だがしかし、これも何と言えばいいのか、「はいはい」という感じでおしまい。写真や絵画、時には人形なので色々のものが展示されているけれど、後ろ暗い雰囲気がないのは幸いだが、だからと言って心躍るというほどでもなく、ずいぶんとあっけない思いだけを得て一周しておしまい。
一方、こういうものに慣れていない(あるいはそのように装っている)妻にはそれなりに珍しかったようだ。妙に恥ずかしがっていた。僕としてはそれをからかうことの方が、博物館そのものよりもよっぽどおもしろかった。
フェニックスホテルへ戻る。
夕食へ出る前に、通りに面した半地下のバー、マードックス・ブックス&エールで、軽く一杯。重みのある歴史を感じさせながらも、明るくやわらかな店だ。普段の生活でもそうだが、旅行先でいいバーに当たるというのは喜ぶべきことだ。しかもそれが自分が選んだホテルの中にあるというのは、なかなかの幸運である。
しかし、一日あれこれと回った気がする、しかも運河ツアー以外は全て自分たちの足で歩いた。にしても、疲れを感じない。ひとえに、観光客が回る範囲ががぎゅっとしていて、さほど広い範囲にないからだろう。透明な空気感や口に合う食事、巨大な観光都市パリの後では、さらにはこういうことさえも好ましく思える。
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