雪よ降り積もれ
今、家の中ではたいていTシャツで暮らしている。暖房はよほどのことがない限り必要としない。朝方、ちょっとゴミを出しに外に出るときだって、特に上着を羽織ったりもしない。しみじみと京都とは違う気候区にあるのだなあと思う。
京都時代の冬というのは、シャツを着て長袖を着てその上にトレーナーなんかを着込んでいた。セーターを着るという習慣も、外出の際に手袋をするという習慣も京都で冬を迎えるまではまったくなかった。いわんや、ダウンジャケットなんていうものは買おうとすら考えたことがなかった。
もちろん石油ファンヒーターはフル稼働だった。オフタイマーを設定してつけっぱなしのまま寝るし、起きる30分前にはまたタイマーを仕掛けておいたものだ。これを忘れた朝には、鼻の頭が痛いわ足の先は重いわで、起きあがることすら億劫であった。布団の中にあって自分の体温だけではなんとも賄えない。恒温動物失格である。
髪の毛を整えようとムースを手のひらにとってみても、出も泡立ちも非常に悪かった。しゃかしゃかと精一杯振ってみても変わらず。だから、しばらくはお湯をはった洗面器につけて、ボイルシャルルの法則に従って内圧が上がり、しっかりと泡立つようになるのを待つ必要があった。
あの寒さはやはり「底冷え」と形容するしかない。足の先から、そして身体の芯からじわりじわりと冷気が広がっていく。なんというか、それはぎりぎりのところでの切羽詰まった寒さであった。北海道のように、きっぱりと諦めた上でしっかりと対処するというほどに冷え込むわけでもなく、かと言って看過するには気温は低すぎた。
でもそれは不快ではなかった。頻繁に雪が積もるというのが物珍しくその度に心躍った。太平洋ベルトで育った僕にとっては、雪というのは祝祭的な意味合いさえ感じられるのだ。
深夜、静かに降り積もる中、時折がさがさっと大きな音がするのは、屋根に積もった雪が塊として落下する音だと知ったのは、驚くべき発見だった。
大学を起点として北へ向かうと、順に北大路通り、北山通りという東西に走る太い道を渡ることになる「北山以北で雪なら北大路から向こうは雨で、大学は晴れている」とよく言われていた。僕が下宿していたのは東側の北白川という地域で、その中でも少々坂を上った辺りだった。東山の入り口、ちょうど大文字山の麓くらいだろうか。一度大学にいる友人に電話をしたとき、家の周りはかなり降っているが大学はよい天気だったということさえあったから、気候区的には北山以北と同等だったのかもしれない。
雪化粧をした北山連峰(送り火のための鳥居の図柄がうっすらと浮き出る)や比叡山も美しい。雪の積もったとき銀閣を訪れたこともある。そして、決して忘れ得ぬ情景がある。満開の桜に積もった、真っ白な雪。
天気予報によると、明日は近畿の南部でも雪が降るらしい。目覚めてカーテンを開いたとき、眼前に静かに広がる白い世界を夢見て眠りに就こう。
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