導くもの
忙しいから、材料がないから、といった理由から夕食を外でとることはあまりない。基本的には時間に余裕をもって生活できる環境にあるし、何かしらの食料は常に準備されている。外食をするのはもっぱら友人と約束したときだけだ。
しかしそうすると、家に帰るのが常よりは遅い時間になり、メールを読んでシャワーを浴びてベッドにもぐりこむだけということになってしまいがちだ。さらに、量の多少はあるにせよそこにはアルコールがついてくる。すっきりと目覚められないとどうしても起き出すタイミングが遅くなり、あわただしい展開になってしまう。時として、届いた新聞を開くことすらなく棚につっこんでしまうこともなりかねない。
毎日をどのように過ごしたいかという目標はあるのだが、僕が望む日常というのはかなり限定された生活様式で、なかなかそれだけで365日を過ごすということは考えにくい。そんなことをすればあっと言う間に息が詰まってしまう。だから友人と共に食事をするというのは、ハレの行動として必要である。
何かを為そうとするときには、その進行の程度に余裕を持たせておくのは必要なことだと思う。どのようなことにせよ、八割方をこなすということを最終的な目標として考えている。100%を目標にして100%をこなせなかったことを悔やむよりも、100%を見据えつつも80%達成できたらそれに満足した方が現実的であるし、何より精神衛生的にも好ましい。だから、ルーティンの日々を過ごしつつも、週日に一回、週末に一回くらいで外食するペースが僕にとってはちょうどよい。
まあ、大体はそんな流れで日々を過ごしているのだが、先週はめずらしくドタバタとしていた。月曜の夕方に二日酔いを抱えたままバンコクからもどり、月火とはとりあえずありあわせのものですませた(出発前に冷蔵庫を整理していた上、買い物に行きそびれていたから、「ありあわせ」の程度もかなりのものだ)。水木金は約束があって外食。土曜は家にいることはいたのだが、友人連と鍋大会だったから、最終的に終わったのは日曜の昼過ぎくらい。
こういう時間の使い方をしていると、「やろう、やらねば」と思いつつも、意志の弱さが露呈してしまい、どうしても流されてしまう部分が多くなる。僕はインドアでアクティブな性向の持ち主だから、欲することの多くは家の中でなされる。家にいる時間が短くなれば、それだけ活動が制限される。
週明けを機に、生活の具合をリセットしようと思った。
経験則として知っているその方策は、夕食をきっちりと作ること。さらに具体的に言えば、熱々のみそ汁を飲むこと。今夜は、賽の目に切った絹ごしと、ほろ苦さを含んだ菜の花を具にしていただいた。一口めで、「ああ、これこれ」と心の底からほっとすることができる。それを契機にして物事はよい方向へ流れ始めるように思えるのだ。
一杯のみそ汁が僕を望ましい日々へと導き出す。それはまるで、熟練した水先人がたどるべき水路を静かに確実に案内するみたいだ。
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