鶏口となるとも

 大学時代の目標にTOEICで満点を、というのを以前書いたことがある。残念ながら、目標を達成することなく卒業してしまった。
 別段、何か強力な目的(例えば留学だとか)があってというわけでもないが、それでもぼちぼちと英語の学習は継続している。一番英語を使うのは旅行に出たときだ。だけど、実際的なことがいくつか便利になるからというだけが理由でもない。コミュニケーションの幅が広がることはそれ自体が楽しいし、また語学の勉強というのは僕の性に合っている気がするのだ。少なくとも数学の問題を考えたり、経済の事象に思いをめぐらすよりは遙かにしっくりとくる。
 点数化されることで、それを踏まえて目標を設定することもできるし、到達の度合いを確かめることができるからTOEICも時々受験している。
 先日の夜、家にもどってポストを開けると前回の結果が郵送されていた。何はともあれ点数を知りたく、マンションの廊下を歩きながら開封する。毎回毎回少しずつでも得点は増加しているし、今回の受験の前1ヶ月はNHKの「やさしいビジネス英語」を普段よりは高頻度に聴いていたのでそれなりの期待はあった。が、そこには意外な結果が。
 「それなりの期待」という言葉ではもったいない。リスニングが495点。これは満点を意味する。ようやく目標の道のりの半分を達成。蛍光灯で照らされた廊下を歩きながら胸が躍った。
 読解の方は今ひとつで440。これまでの最高値ではあるものの、聞き取りに比べて点数の増加の割合が鈍い。合計で935点、上位0.8%にいるのだそうだ。
 受験者の数は6万9千人以上あるから、人数にすると僕の上にはまだ550人くらいいることになる。550人と言うとかなりの数である。僕が通っていた高校は一学年に500人ほどいたのだが、そう考えると黒い学生服の群に埋まってしまいそうなくらいである。喜ばしいことは喜ばしいのだが、やはりまだまだ先は長い。
 もちろんTOEICで満点をとったから英語が完璧というわけでもない。それでも、どのような基準にしろ、どのような集団の中にあるにしろ、頂点を極めるというのはそれなりに容易なことではないし、その達成感というのは気持ちのよいものだ。
 生ぬるさの中、適当な位置にあることでなんとなく満足ということは性に合わない。何事においても、というほど僕のキャパシティーは大きくないけれど、少なくとも自分で選択した上でそこに価値を見いだす分野においては常に頂点を見つめていたい。


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