京都で神に出会う

 阪急河原町の駅から地上に上がる。ここ四条河原町は、東西の四条通りと南北の河原町通りとの交差点である。京都では地名をこのようなやり方で呼ぶことが多い。白川通今出川とか、北山下鴨中通上ルとか。
 とにかくここは人の流れがすごいのだ。ただし、人の数に対して道が狭いというのが最大の要因であるのだが。この人出をあてこんで、種々の活動を行う人も多い。布教、募金、右翼、選挙、署名エトセトラ。時としてこれらを同時に見かけることもある。交差点をぐるりと回るだけで、人間の社会活動について考察することもできるかもしれない。合間に、ピカチュウの衣装をまとった若者からテレクラのティッシュを渡されることもあるだろう。
 河原町通りを少し北に上がって、パチンコ屋の前にあるバス停へ向かう。3系統、もしくは17系統の北向きの市バスを待つ。いずれのバスもちょうど目的とするところまでは同じ経路をたどるので、先に来た方に乗り込むことにしよう。けれど、もし一台が来てもすぐ後ろに次の一台が見えていたら、混んだ車内が好きでない限り少々待って空いた後続に乗り込む方が賢明というものだ。
 三条を過ぎた辺りからバスはスムーズに進むようになる。左手に御所の緑が見え隠れして、右手に府立医大が建っている。コーヒー豆の安い出町輸入食品の店を通り過ぎると、河原町今出川の交差点。ここでバスは右に折れる。
 一つバス停があって、すぐに鴨川を渡る。左手遠景には北山が緑をなしている。橋のすぐ下は賀茂川と高野川が合流する、通称デルタと称される場所である。春になると新歓コンパで酒に酔った学生が威勢良く川に飛び込んでいる。
 京阪電車の出町柳駅を越えるとすぐ次が目的のバス停、百万遍である。その昔疫病が流行した時期、どこかの坊さんが念仏を百万回唱えた故事に由来するらしい。もう学生街のただ中である。
 ここで見かける男性にはシャツをきちっとズボンにたくしこんでいる人間も未だにいる。もしくは裾を外に出していたとしても、それはだらしなさなのか洒落っ気からなのか判断は難しい。眼鏡はスティールの縁のものが多い。上手に化粧をした女性というのは希有な存在である。食事の時間帯であると、研究者の卵たちがサンダル履きでぞろぞろと生協食堂や定食屋に繰り出すシーンを目撃するだろう。彼らの中には寝癖すらあまり気にならない人もいるらしい。見ようによっては求道者の一行のようにも見える。真理を求める犠牲に、何かを失った人々。
 コンクリートの無機質な建物を背景に、交差点の東南角に立つ巨大な手製の看板に目を引かれる。学生の主張を唱えるいわゆるタテカンである。ただ、この場所には劇団の公演予告であったりジェンダーについての講演会のお知らせであったりと比較的穏やかなものが多い。もしあなたが「米帝打倒」だとか「国会粉砕」であるとかのノスタルジーを望むのであれば、南に下った吉田キャンパスの入り口付近を訪ねるとよいだろう。
 少しだけ北向きに歩いた小さな雑居ビルの階段を二階に上がり、左手の扉をガラガラと引く。世俗の極みとも言える居酒屋という場に、アルコールの守護をまとったよき友人たちが、一升瓶を掲げて神聖な祝祭を繰り広げている。阪急電車に乗って市バスに乗ってという行脚をこなしてようやくと到達である。ここで僕は、歓喜の光に包まれる。得ることができるのは、かつてと変わらない希望と無謀の入り混じったわけのわからない巨大なエネルギー。そして楽園を垣間見た代償としての、翌朝の肉体的痛み。神は夜の闇にだけ光臨する。


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