積み重なる記憶、果てない思い

 パスポートを更新した。
 最初に自分でパスポートを取ったのは、そう言えば5年前なんだと改めて気付く。その頃、僕は大学の2回生だった。例えようもなく良い時代だった。ついこの間のような気もするが、意外に遠くまで来てしまったものだ。
 顔写真を撮りに出かけたのが昼寝の直後だったから、多少乱れたままの髪の毛と、ぼんやりとした眼差しのままの19歳がそこに写っている。ネクタイはしめているけれども、着ているシャツはごく普段着だ。
 「飲茶食べたいな」と、工学部八号館地下にある中央食堂で何気なく友人と話しをしたのが、その時の香港旅行の発端だった。当時、そのアジアの小さな島と半島はイギリス領だった。
 二人とも、ツアーにする気はなかったから、エアインディアの安い航空券を購入した。生協の旅行センターで「やはりチョンキンマンションは万一の場合危険だから、お薦めはできません」というようなことを言われて、素直に日本からホテルを予約して、クーポン券を持って出かけた。向こうでは、パスポートはホテルのセーフティーボックスに預けて街を歩いた。
 それ以降の旅行では、二十四時間文字通り肌身離さず持ち歩いていたから、表紙の「日本国 旅券」という金文字もすっかり消えてしまった。汗でむれたせいで一番肝心のページの左右両端の角はぺろりとめくれてしまっている。偽物ではないかと疑われて、写真の部分を爪でこすられた跡が残っている。
 旅の仕方は変わったかもしれないが、根本はずっと同じだ。その場にしかない空気を呼吸することを求める。「飲茶を食べる」というのはどこでも可能だろう。例えば駅前のミスタードーナツであったとしても。けれど、「香港で飲茶を食べる」というのは世界で唯一、香港でしかできない。
 これまでのパスポートには、ちょうど署名の辺りに「VOID」と穿たれた。旅券としては何の役にも立たないが、刻まれた国境の記憶は褪せることはない。
 引き替えに手に入れたまっさらのパスポートは10年物である。紺だった表紙は赤くなっている。ページ数も1.5倍ある。面倒なのは番号が変わってしまったこと。あちらこちらの出入国カードに記入してきたから、覚えようとせずとも頭に入っていた9桁の番号は、まったく新しいものになっている。ちょうど真ん中の数字だけは奇遇にも7のままである。今度の写真はきっちりと目覚めているときに、スーツを着て写っている。
 10年が経ち、次の切り替えの時期がやってくると僕は34才になっている。どのような思いで24歳のスーツ姿の自分を見返して、どのような国の跡を刻んだページをめくることだろうか。時は流れる。そして、旅は果てない。


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