宵山は君と

 宵山。一ヶ月にわたる祇園祭のクライマックス山鉾巡行を翌日に控えた、いわば前夜祭。
 学生時代所属していたサークルに「宵山協定」という不文律が存在していた。これは「宵山の日まで上回生は新入生に手を出してはならぬ」という紳士協定である。これの意図するところは明快で、入学早々にやってきた新入生に声をかけてうまくいったらよいが、もしそうでなかったら、まだサークルそのものになじんでいないから、その人は気まずく感じてやめてしまうかもしれない、というもの。それはサークルとしての不利益である。
 確かに一理ある。組織の前には個人の自由が黙殺されるのか、って言ってしまえばそれまでかもしれないが。
 京都のよいところの一つに、イベントが豊富であるというのがある。吉田神社の節分祭、哲学の道の桜、葵祭、琵琶湖疎水の蛍、祇園祭、大文字の送り火、時代祭、紅葉に包まれた寺院のライトアップ、初詣、その他いろいろである。その中で、この宵山というのは頃合いとしてもちょうどよい。3ヶ月半が経ち、お互いに慣れてきて関係もほぐれてきている。もしひょっとしてその中に好きな人がいたら「宵山行かへん?」という大義名分で誘いやすい。 夏の始まりとしては申し分ない。
 待ち合わせは、日が暮れた頃の四条河原町。人波は尋常じゃないけれど、もちろん向こうからやってきた彼女はすぐに目に飛び込んでくる。歩行者天国になっている四条通を西へ向かう。広告の入った団扇があちこちで配られている。一つもらって、おどけながら風を送る。暑いからと途中でビールなんぞを買う。ほのかな酔いが心の緊張を緩める。
 烏丸通りを越える辺りから辻ごとに鉾が建っている。謂われはあるのだろうが、それを見物するどころではない。コンチキチンの鐘が夜風に乗って耳に届く。それとて、知らない国の言葉で読まれたどこか遠いできごとのように意味を持つことなく過ぎ去って行く。
 ふと、「そう言えば、宵山協定って知ってる?」と、さも自分には関係なさそうに話題をふってみる。去年、宵山の夜に恋に破れた先輩の話しなぞをして笑いをとる。「ところで……今日誘ったのは」。意を決する。「本当は4月に出会ったときから……」。西へ進み続ける群衆の中、僕ら二人立ち止まる。「もしよかったら……」。しばしの沈黙。
 そして、宵山が終わると同時に梅雨も過ぎ去る。三方を山に囲まれた古の都に、高温多湿の夏がやってくる。今年の夏は二人の夏。
 なんて言ってみたところで、正直なところ僕自身にロマンティックな思い出があるかと訊かれたら決してそうでもない。友人連中と出かけた今年も、なんだか特別に蒸し暑かったという印象くらいか。
 懐古調にふと思い描いた、見果てぬ夏の夜の夢。


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