祝祭としての土曜日

 数人の友達が電話をくれた。電話をくれた3倍くらいの数の友人がメールをくれた。その中には2年間の世界一周の旅の途上でタンザニアのインターネットカフェから送ってくれた人もいれば、ポストペットで飼っているペンギンからのものもあれば、「美穂の旅」の分身からのものもあった。
 父親は「今までが学ぶ時期だとしたら、これからは自己実現の四半世紀かもしれません」とメールに書いていた。しかし僕にはまだまだ学ばねばならないし、学びたいことが抱えきれないほどにある。彼の時代よりも人が成長するのに時間がかかるのかもしれない。あるいはただ個人的に僕の発達が遅いだけなのかもしれない。
 残暑の厳しい折り、母親が僕を産んで25年が過ぎた。
 朝方、唐突に電話が鳴って、そいつの恋愛のことををあれこれ聞いて、僕が思う範囲で意見を述べた。その途中に携帯電話まで鳴って、昼過ぎには15歳年上の友人に梅田の地下街で串カツとビールをご馳走になった。
 その後、洒落た喫茶店でコーヒーを飲みケーキをつついた相手から「プレゼントというわけでもないのだけれど」と彼女が気に入っているという粉石鹸をもらった。
 ギネスを飲んで枝豆をつまみ、秋味を飲みながら秋刀魚を焼いてたっぷりの大根下ろしを添えて夕食とした。ドイツ帰り以来どうにも身体が重たい気がして油物は少なくとも家では極力避けるようにしているし、食べる量も少々減らしている。しかし、そういうテーマがあると、それはそれで料理をするのもまた楽しい。
 「あなたは食べ物よりもアルコールを減らすべきだ」と複数の友人が忠告してくれたけれど、僕は新聞か何かで読んだ「アルコール由来のカロリーは体に残らない」という話しを信じている。
 どういうわけかこれまでに手にとったことがなかった沢木耕太郎の「若き実力者たち」を読んでいる。3年前にバリ島で出会ってオニオンリングをつまみにビールを飲み、「ノルウェイの森」について語った男がいる。先週彼としこたま飲んだ。手みやげに彼がくれた安西水丸の「手のひらのトークン」を読む。
 音量は絞ってはいるが、α-STATIONの土曜日の番組がずっと部屋に流れている。
 夜、また携帯が鳴った。大学時代にもっとも仲の良かった友人の一人からだ。「おめでとう」と言い、こいつ実はイイやつなんじゃないかと思ったら、直後に「今晩泊めて」ときたものだ。
 多くのことが凝縮されたような誕生日だ。


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