肺病病みの青年が

 胸部X線の結果は「異常陰影」。「要精密検査」とのコメントつき。見せてもらった画像には確かに肺の半ばほどに白く小さなもやもやが写っていた。そう言えば、大阪では最近結核が流行しているというニュースや広報を目にしたことがある。微熱や咳といった自覚症状があるわけでもないが、万一ということも。
 検査の結果、療養施設へ赴くことに。そこは人里離れた高原のサナトリウム。平地よりも季節が早く、もう秋は果てようとしている。のりのきいた真っ白のシーツが敷かれたベッドに上体を起こし、窓の外を見やる。遠方の山はすでに雪を抱く。冬を運ぶ冷たい風が木々にわずかに残る枯れ葉をむしりとり吹き去ってゆく。
 「めっきり寒くなりましたね」と声がかかる。白衣の上にカーディガンを羽織った涼やかな瞳の看護婦。ゆっくりと振り返りながら僕は微笑みで応じる。
 あるいは、深夜。突然に熟睡から引き剥がされ、上体を二つに折り苦しげに咳き込む。口を押さえた手のひらには鮮血。枕元のナースコールを押すのが精一杯。闇の向こうからリノリウムの床を駆ける足音。扉を開き看護婦が駆け寄る。怜悧な月明かりがカーテンの隙間から闇を切り抜いている。ベッドの横に立つ看護婦の白衣が完璧なまでに白い。対照的に彼女の瞳は鬱蒼とした森の奥に湧き出す泉のように深く黒く僕を見つめている。それは医者や薬以上に僕を癒してくれる。
 と、堀辰雄的世界を果てしない妄想力で駆け抜ける。
 ともあれ専門科で再検査。
 大阪駅前の第1ビルの二階。「こんなところに医療機関が?」と訝しく思う。だいたい第1から第4まである駅前の雑居ビルのテナントのイメージは明るく清潔というイメージからは少しだけ遠い。金券ショップ、サラ金、雀荘、居酒屋、そんな店がぎっしりつまっているというのが率直なイメージ。もちろんそういう店以外の一般的な事務所や会社というのも多々入ってはいるのだが。
 診療所の中に入ってみてもやはり暗い印象はぬぐい去れない。蛍光灯のプラスティックカバーは白から黄色へ変わりつつあり、暗くはないけど明るいわけではないという程度の光量を放っている。
 診察室で服を脱いでいると、他人の身体の中身まで目に入ってしまった。「はいちょっと右向いて」なんて指示を出しながら、老医が手元のレバーと足下のペダルで巨大な機械を操作し、モニタに身体の内部の様子が白く映し出されている。あんな大仰なものを、と自分の健康に自信がなくなってきた。
 が、僕が受診したのはごく一般的なレントゲン。「あご乗せてぴったり前にくっついて。息大きく吸って、はい、止めて」というもの。
 窓口で名を呼ばれる。「現像できるまで時間がかかるので、午後にでもお電話下さい」と言われてとりあえず解放。緊張感が引き延ばされる。
 おかしなもので行くまでは完璧な健康体を疑わなかったのだけど、リアルな現場にひとたび含まれてしまうと、自分もその文脈をなぞらえなければならないような気がしてくる。そう言えば、胸の辺りに昨日までは気付かなかった痛みもあるような。
 おそるおそる電話をかける。やれやれ白衣の天使との邂逅は実現しないようだ。


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