取り壊されてなお

 普段目にする風景というのはほとんど気に留めないものだ。だから、街を構成するある一つの区画が取り壊されていたとしても、それが自分の日常によほど接していない限りさしたる感慨を得るわけではない。むしろ「更地になる前には何があったけ?」という疑問が浮かぶ方が自然であろう。しかもその場合ですら、取り壊しがあって更地になって新たなる工事があってという、目に見えて分かりやすい過程を経るからこそそのような疑問もわくのであって、一晩の内に隠密裏に違う建物にすり替わったとしたら、変化が起こったことすら気付きようがないのではなかろうか。
 阪急神戸線の西宮北口近辺に暮らすものにとって、武庫之荘というのはあまり存在を感じない駅である。特急に乗れば、梅田から十三を経て西宮北口。急行であっても塚口が停車駅に増えるだけで、結局のところ武庫之荘は路線図でしか存在しない駅なのである。あることは知ってるけど、それだけ。何があるかと問われたら、住宅街というイメージの他にはちょっと思い浮かべるものがない地区でもある。
 印象の薄い土地だけに、武庫之荘の駅の南側すぐで何かの取り壊しが行われていたのを、上りの特急電車の車窓からちらりと見かけたときには「おや、この前は何が建っていたのだっけ?」というしごくまっとうな疑問が浮かんだのだ。
 だが列車が駅を通過するのほんのわずかな間に以前の姿を思い出した。今でこそ瓦礫と重機しかないが、そう言えばそこにはラブホテルが建っていたはずだ。その機能を果たしていた頃から奇妙な感じを抱いていた。なぜ、こんなところに?とか、あるいはどういう状況の人たちが利用するのだろう?とか。
 もちろんラブホテルについて詳細に語れるほどの経験があるわけでもない。よほどの非日常的な理由が偶発しない限りあまり関係のない社会的存在である、少なくとも僕にとっては。
 だからよけいにそれはわけのわかりにくい建物だった。そしてそのわけのわからなさゆえに印象に残っていた。
  跡地にはいったい何ができるのだろうか。しかし、いずれにせよそこに関わる人たちは少々複雑な思いを抱くのではないだろうか。存在は消滅してもなお、閉じこめられていた特殊な雰囲気は漂い続けるだろう。酒屋がつぶれてコンビニができあがるというのとはわけが違う。ちょっと不思議である。


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